これらの中には、まったく痕跡のカケラも残さないものから、ホーム跡が残っているものまで、様々なものがあるが、中頓別〜下頓別間にあった新弥生仮乗降場跡は、コンクリート製の簡素なホームがそのまま残されている。一方、そのすぐ1キロほど音威子府方にあった寿仮乗降場は、その名前の縁起の良さが買われて、仮乗降場にもかかわらず、入場券が発売されたこともあったというエピソードが残っている。
ホームだけがひっそりと残っている下頓別の駅跡を過ぎ、鉄道防雪林に両側を守られるようにして、沿線随一の町である浜頓別に近づく。町の大通りの突き当たりという、街の起点となる場所にあった駅の跡は、例に漏れずバスターミナルになっている。
浜頓別から鬼志別の手前あたりまでは、クッチャロ湖をはじめとする大小数多くの湖沼を左右に見ながら、天北線で一番美しい車窓風景を見せていた区間であった。そのうち、猿払までの線路跡は、そのまま歩行者・自転車専用道化されている。
近くに貸自転車のターミナルも設けられているので、素晴らしい景色を今でも手軽に楽しむことができるが、長閑で風光明媚な景観とは裏腹に、このような地盤の脆弱なところに線路を敷設するのは、さぞかし大変な事であったろうと思われる。このあたりは、天候と視界の条件さえ整えば、左手の低い宗谷丘陵を越えて、利尻富士が望めるというのは驚きである。

山軽の駅跡は、サイクリングロードの脇にプラットホームが、そして駅前の道路(といっても未舗装だが)側には駅舎の土台跡らしきものも残っている。ただ、駅前にあった集落が、井戸跡を残す程度で完全になくなっている。昔は電報も打てる駅だったので、乗降客も少なくなかったはずであるが、現在、駅跡から見える建物といえば、かなり遠方に牛舎のようなものがあるのみで、周辺は完全にクッチャロ湖と一体になった自然に還っており、人の息づかいは全く感じられない。現役時代末期の乗降人員も、線内では上音威子府とならんで少なかったようである。
山軽から次の浅茅野までは距離があるが、この間に2つの仮乗降場があった。最初の安別は待合室跡らしき小屋があるだけだが、次の飛行場前には板張りのホームがそのまま残っている。個人的な話で恐縮であるが、昭和61年に私が天北線に乗車したとき、自転車旅行のため、たまたま浅茅野まで天北線を利用するつもりだった友人と、音威子府駅の待合室でばったりとはち合わせした。その彼と、こんなところに飛行場なんかあるのかいなと、周りを見回しながら不思議に思い、当時の私としては珍しく写真を撮ったために、当時の風景が未だに脳裏に焼き付いている、思い出深い仮乗降場である。
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