■ガイド 小頓別〜浜頓別間

 廃線から十余年経った線路跡は、相変わらず熊笹に覆われた、こんもりとした築堤として姿を今に残しながら、頓別川に沿うように下っていく。やがて、ポツンと荒廃した駅舎が残っているのが見えてくる。これが上頓別の駅跡で、ライダーハウスとなっている駅舎のほか、土盛りがなされてわかりにくいが、ホーム跡も認めることができる。

 敏音知の手前あたりから、線路跡は牧草地などと化して、跡形もなくなるケースが増えてくる。ただ、小規模の橋梁だけはそのまま放置されていることが多いから、牧草地のような見晴らしの良い、だだっ広いところに、突然橋台や橋桁がポカンと突っ立っているのを散見できるのは、北海道の他の開拓地帯における廃線跡と同様である。

橋梁跡
このように、何もないところにポツンと橋梁跡だけ  
残っているケースが多い。後方は松音知岳(A地点)  
松音知駅跡
化粧直しされた駅舎やホームとともに  
美しく残されている松音知駅跡  

 敏音知の駅跡は、並行国道の道の駅として整備され、まったく面白味はないが、次の松音知の駅跡は、ホームや小綺麗に手入れされた駅舎に加えて、レールや腕木信号機などの遺物も残されている。もっとも、赤地に白帯を巻いた、出発(あるいは場内)用の腕木信号機が、いささか中途半端なところに建っており、これはおそらく移設されたものと思われる。そう思うと駅舎の中心に接するように建っている34キロ半の距離標も、どこかから持ってきたのかと疑念を抱いてしまうが、調べるとまさにこの駅は音威子府起点34.5キロジャストにあったようで、どうやらこれは本来の位置のままのようである。


 ただ私の訪問した平成12年5月当時は、駅舎の前にショベルカーが入って、整備工事をしているところであった。現役時代、線路敷より地盤が低くなっている駅前広場方向から見ると、清水の舞台のように骨組みの上に駅舎が建っていたのであるが、工事によって駅舎の下の部分に土が入れられて、いわゆる普通の形になっている。駅跡を公園か何かに奉るつもりなのかもしれない。

 天北線は、最期までタブレット閉塞式という、昔ながらの信号保安方式のままであったが、晩年でもここと曲淵、声問では急行「天北」が駅を通過しながらタブレット授受を行っていた。この様子を撮影するために、各駅を訪れるファンも少なくなかったという。

 松音知の少し先で、再び姿を見せた線路跡はまたまた消滅してしまうが、今度は改修された国道275号線に廃線敷を提供したためである。この区間を過ぎると再び国道の右側に築堤が現れ、音威子府を出て初めて町らしい町ともいえる中頓別に近づく。

 町の外縁部をなぞるように進むと現れる中頓別の駅跡は、堂々としたバスターミナルになっている。この路線の駅跡に立派なバスターミナルが多いのは、100キロを超える長大路線であったために、キロあたり3000万円で算出された転換交付金が潤沢であった(総額でなんと44億円余!)ためらしい。交付金の使途としては本来の目的に叶っているのであろうが、それにしても・・・と思わないわけでもない。

 中頓別の町を過ぎてからも、比較的明瞭な廃線跡が残っているが、重機が入って撤去工事がなされる直前のところも見受けられた。このような土地が有り余っているように見える地域でも、人の手が入って廃線跡は年月とともに消え去っていくものなのだなあと、今更ながら当たり前のことを思ってしまう。

 さて、この天北線には19の駅の他に、9つの仮乗降場があった。乗降場とは、沿線住民の日常生活の至便をはかるために、昭和30年頃から道内各地に設置されたもので、各鉄道管理局の権限で置くことができた。釧路局や青函局にも少しばかりあったが、旭川鉄道管理局の管内に多く置かれたのは、当時の鉄道管理局長がレールバスの採用とともに、重要施策として位置づけていたことによる。

 先述のように、JR化の際に道内の他の仮乗降場と同様、形式的には駅に昇格したが、実のところ、これは国鉄からJRへの資産譲渡上の問題からこうなっただけで、JR化後も運賃計算においては一つ遠い駅を基準にするといった点では、相変わらずの扱いであったといえる。

新弥生仮乗降場跡
新弥生仮乗降場跡には、簡素なホーム跡が残る  
下頓別駅跡
化粧直しされた駅名標と、ホームが残る下頓別駅跡  

 これらの中には、まったく痕跡のカケラも残さないものから、ホーム跡が残っているものまで、様々なものがあるが、中頓別〜下頓別間にあった新弥生仮乗降場跡は、コンクリート製の簡素なホームがそのまま残されている。一方、そのすぐ1キロほど音威子府方にあった寿仮乗降場は、その名前の縁起の良さが買われて、仮乗降場にもかかわらず、入場券が発売されたこともあったというエピソードが残っている。

 ホームだけがひっそりと残っている下頓別の駅跡を過ぎ、鉄道防雪林に両側を守られるようにして、沿線随一の町である浜頓別に近づく。町の大通りの突き当たりという、街の起点となる場所にあった駅の跡は、例に漏れずバスターミナルになっている。



■ガイド 浜頓別〜鬼志別間

 浜頓別から鬼志別の手前あたりまでは、クッチャロ湖をはじめとする大小数多くの湖沼を左右に見ながら、天北線で一番美しい車窓風景を見せていた区間であった。そのうち、猿払までの線路跡は、そのまま歩行者・自転車専用道化されている。

 近くに貸自転車のターミナルも設けられているので、素晴らしい景色を今でも手軽に楽しむことができるが、長閑で風光明媚な景観とは裏腹に、このような地盤の脆弱なところに線路を敷設するのは、さぞかし大変な事であったろうと思われる。このあたりは、天候と視界の条件さえ整えば、左手の低い宗谷丘陵を越えて、利尻富士が望めるというのは驚きである。


 山軽の駅跡は、サイクリングロードの脇にプラットホームが、そして駅前の道路(といっても未舗装だが)側には駅舎の土台跡らしきものも残っている。ただ、駅前にあった集落が、井戸跡を残す程度で完全になくなっている。昔は電報も打てる駅だったので、乗降客も少なくなかったはずであるが、現在、駅跡から見える建物といえば、かなり遠方に牛舎のようなものがあるのみで、周辺は完全にクッチャロ湖と一体になった自然に還っており、人の息づかいは全く感じられない。現役時代末期の乗降人員も、線内では上音威子府とならんで少なかったようである。

 山軽から次の浅茅野までは距離があるが、この間に2つの仮乗降場があった。最初の安別は待合室跡らしき小屋があるだけだが、次の飛行場前には板張りのホームがそのまま残っている。個人的な話で恐縮であるが、昭和61年に私が天北線に乗車したとき、自転車旅行のため、たまたま浅茅野まで天北線を利用するつもりだった友人と、音威子府駅の待合室でばったりとはち合わせした。その彼と、こんなところに飛行場なんかあるのかいなと、周りを見回しながら不思議に思い、当時の私としては珍しく写真を撮ったために、当時の風景が未だに脳裏に焼き付いている、思い出深い仮乗降場である。

飛行場前仮乗降場
現役時代の飛行場前仮乗降場にて  
(昭和61年8月、こんなんでスミマセン)  
飛行場前仮乗降場跡
板張りの簡素なプラットホームが  
ひっそりと残る飛行場前仮乗降場跡  

 実のところは、戦時中に軍の飛行場が、仮乗降場の脇の広大な空き地のさらに西側にあったらしい。これにまつわる話は、小川和通さんが詳述しておられるので、そちらを参照していただくとよいが、小川さんの言われるとおり、確かに怪しげなコンクリートの構造物が、ぽつねんと存在している所がある。

浅茅野駅
現役時代の浅茅野駅。友人が輪行袋を  
手に下車するところ(昭和61年8月)  
浅茅野駅跡
現在の浅茅野駅跡。ホームは  
半分しか残っていない  

 以前、友人が下車して宗谷岬方面に去っていった浅茅野の駅跡は、駅舎側のプラットホームが半分ほど残るだけで、駅舎があったあたりには、立派な消防団の建物や地震観測所が建っている。そして、人家や車が見えないようなところを突いていた廃線跡の自転車・歩行者専用道は、猿払駅があったところから、近年整備された道道1089号線となり、湖沼や牧草地の中をまっすぐに進んでいく。

勾配標
道路端に残る勾配標  

 面白いのは、この道道の上り坂が始まるあたりの道路端左側に、なぜかホンモノの勾配標が残っている。調べてみると、ここはこの勾配標が指し示すように、確かに水平と1000分の10の上り勾配の境目であることに相違ないが、いったん引っこ抜いたものを道路脇に刺し直したのか、勾配標のベラ部分の角度は2本とも少しおかしくなっている。

 勾配標の示す坂道を登りきったあたりからは、右方遠くにオホーツク海が望めるようになる。南稚内付近は厳密にはオホーツク海ではないので、天北線から直接オホーツク海が見える、唯一といっていいほどの区間であったのは、あらかじめ抱いていたイメージとかけ離れて、まったく意外である。

 線路跡の道道は、名称が猿払鬼志別線と付されているように、鬼志別まで整備する予定なのであるが、現在のところは芦野の駅跡にていったん舗装道路は終わっている。しかし、芦野〜鬼志別間の途中で再び道路は完成していて、河川改修により鉄道時代と少し地勢の変わった、猿払村の中心である鬼志別の駅跡に着く。

 ここの駅跡も、例に漏れずバスターミナルとなっている。中頓別や浜頓別でもそうだったように、天北線の様々な遺品も展示されている。思い返してみると、これまで通過してきた各町村の代表駅は全て瀟洒なバスターミナルとなっており、転換補償金の交付を受けた各自治体が、バスターミナル施設の立派さをそれぞれ競っているかのように見える。

  つづき

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