動木を出て切通しの中を進んでいくと、現実を思い出したように再び川のせせらぎが聞こえてきて、立派な桜の古木に守られる竜光寺前駅跡に着く。そして、10kmのキロポストを過ぎ、竹やぶに囲まれた河岸段丘の中腹のような地形を進むと、久しぶりに田園地帯を進むようになる。
下佐々の駅跡をすぎてまもなくのところで、左手に電車が静態保存されているのを見ながら左にカーブすると、今度は廃線跡のすぐ横の公園に別の電車が保存されている(D地点)。この電車の公園のトイレ側には、廃止当時のものと思われる惜別のヘッドマークがついたままである。
廃線跡は大きく左に回り込んで終着の登山口駅跡に着くが、ここも駅舎は完全に撤去されて跡地は大十オレンジバスのターミナル兼車庫になっている。バスを待つ間、付近を散策していたら斜面の中腹の家の庭になんと踏切の警報機が建っていた。(野上電気鉄道のものかどうかは不明)
この野上電気鉄道跡はまず市街地の中、続いて畑やミカン畑の中、そして切通しもあるかと思えば川沿いにもなる。そして、そこそこ大きな橋梁があり、足が疲れてきた頃に駅が頻繁に出てくるようになり、それにもそろそろ飽きたかなあという頃を見計らったかのように渓谷が現れ、竹やぶの中を通ったかと思うと田園風景に戻り、息つく暇もなく車両が現れて終点につく。この廻りの情景の変化が廃線跡を歩く我々を飽きさせず、不謹慎な言い方をすればまさに散策をする我々のために存在するのではないかと思ってしまうくらいの廃線跡である。
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日方駅跡の2kmほど西にある南海和歌山市内線が 通っていた明治生まれの煉瓦積みの隧道跡。現在 は歩行者・自転車専用道として地元民の利用も多い |
貴志川橋梁まではかなり変化してしまったが、それから先の区間は自信を持ってお薦めできる。全体でも11.4kmと手頃な距離であることもあり、徒歩による探訪が充分可能である。登山口からの帰りのバスは平均して一時間に1本はあり、あらかじめ時刻を調べなくてもそれほど困ることはない。
また、もし登山口に着いてなお余力を残しているなら、さらに先へ進むと日の目を見ることがなかった神野市場への建設線跡が、主に橋脚や橋台として残されている(写真を沿革に掲載)し、海南方では「鵬雲洞 明治44年11月」と書かれた扁額のある南海和歌山市内線の隧道跡もある。
最後に野上電気鉄道という会社はなくなったが、主要関連会社であった野鉄タクシーや野鉄観光のバスは今でも元気に走り回っていて、それらが社名変更されない限り野鉄の名前が消えることはない。この地に鉄道があったという記憶は永遠に残ることであろう。
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