■ガイド 堅田〜高島町間

 堅田駅跡を過ぎても、江若の線路はしばらくの間、国道161号線の20mほど西側を走っていたはずだが、前述の橋台を除いて跡はない。次なる痕跡を探しているうちに、真野川を渡っていた橋梁の浜大津側の橋台まで来てしまうが、すでに湖西線がすぐそばに寄ってきており、廃線跡は真野川の先で湖西線に取り込まれてしまう。そのため、この付近にあった真野駅の跡も見受けられない。ただ、江若で使われたのものではないかもしれないが、警戒色に塗られた踏切の柵が、付近の高架下2カ所に残っているのが面白い。

 廃線跡は2キロほど湖西線に取り込まれた後、湖西線の左側へと道路のかたちで分岐していく。そして湖西線の和邇駅の西方あたりで、小広くなった空き地のある場所に行き着く。ここが江若の和邇駅の跡そのものであり、今も当時の匂いが漂っている数少ない駅跡の一つといえる。

 この先は、新興住宅地に接するようにして、明らかな路盤跡が出現する。雑草が生えるにまかせてあるものの、この跡はそのまま貴撰川にぶちあたるまで続いている。そして、貴撰川には江若の小さな橋台が、つがいとなって残っていて、近くを走る湖西線の立派な施設とは好対照を見せている(D地点)。ただ、ここから先の跡は消えており、湖西線に三たび取り込まれる場所は定かでない。

貴撰川に残る橋台
雪解け水が勢いよく流れる貴撰川に残る橋台(D地点)。 
手前側の路盤は残されているが、川の対岸はすでに畑地と 
なって江若の名残はない。隣の湖西線に新快速がやってきた 

 これから先、比良駅付近までの湖西線は、基本的に江若の廃線敷を利用した区間である。そのために、数々の河川が比良山系から流れ出ているにもかかわらず、比較的残りやすい橋梁の跡も見あたらない。また、木戸川(E地点)と大谷川(F地点)と交わる2カ所では、橋梁ではなく、天井川トンネルによって川をパスしていたところであるが、強固に改修されたと思われる川の堤防をよく見ても、それらしき痕跡は残っていない。

 もっとも、大谷川を過ぎたあたりの路盤だけは、湖西線が大谷川を橋梁で越えてそのまま高架になっているがために、高架の東側に残されているのが、今でもはっきりと判る(G地点)。この路盤が再び湖西線と合流する手前に、青柳ヶ浜という臨時乗降場があった。この付近の湖西線の駅は地元の要望もあって、基本的に江若の駅を引き継いで、駅間距離が比較的短くなっているが、さすがにこの青柳ヶ浜は湖西線につくられることはなかった。

 また唐崎駅付近と同様、この付近のカーブの半径も、江若時代から緩和されているものが多いから、江若の路盤跡は一部湖西線からわずかにずれて残っているようであるが、その多くは雑草に覆われてはっきりしないというのが実状である。

 湖西線は、比良から高島町までの間で3カ所、江若が辿っていた経路を大きく短絡している。ということは、3カ所にわたって、湖西線から湖の方向へと、江若の廃線跡が分岐していることを意味する。

 その一つめは、比良〜近江舞子間で大きく湖側にせり出していた区間である。2本の古木を残して空き地になっている江若の比良駅跡から、廃線跡は湖西線より離れていく。この区間は、廃線後もかなりの間、そのままの部分が多く残っていて、江若鉄道跡探訪のハイライトの一つであった。しかし、近年自転車道路を併設した道路に整備されてしまった。

 ただ、比良川を渡ってすぐの所にあった近江舞子南口臨時乗降場跡付近から、湖西線近江舞子駅の少し南側にあった江若の近江舞子駅跡にかけて、廃線跡を踏みつぶしてきた道路が、内湖の沼地を避けるように迂回する。そのため、直線的に進んでいた江若の路盤跡を、柵越しではあるが、認めることができる(H地点)。

北小松駅築堤跡
北小松駅北方に残る築堤の跡(J地点)。左の 
湖西線はトンネルを使った直線状のルートをとる 

 二つめの近江舞子〜北小松間は、早いうちから生活道路化されていて、国道161号線と交差するI地点までは、言われないと鉄道跡と気づかないほどである。

 しかし、その先は道が細くなって、急に鉄道跡の雰囲気が濃くなり、途中にある人道をまたぐ橋の橋台が江若時代からのもののようである。そして、この細い道が急に広くなると、そこは北小松の駅跡である。すぐ西側には高架駅となっている湖西線の北小松があるが、この湖西線の駅前の敷地が意外なほど広いのは、その半分が江若駅の構内跡だからである。

 そして、三つめの北小松〜高島町間の廃線跡、これが江若鉄道跡全線のうちで、最も現役当時の雰囲気を残す区間といえよう。北小松駅跡の北端の小さな橋台跡の先には、鉄道跡の匂いをプンプンさせた築堤が、半径402メートルの優美な曲線を描いている(J地点)。ここを進んでいくと、右から寄り添ってきた国道を挟んで琵琶湖岸を進むようになる。

北小松駅築堤跡
琵琶湖も間近に進む廃線跡(K地点)。意外なよう 
だが琵琶湖を間近に望むのはここが初めてであった 

 江若鉄道の車窓では、滋賀〜叡山間などでも琵琶湖を眺めることができたが、ここから白髭浜駅のあたりまでが見晴らしが一番よかった区間であり、路盤跡も引き続き数百mの間、国道沿いに残されている。もっとも、この付近の廃線跡の地道は舗装されたとの情報を戴いており、実際近年仕事で上空を飛んだときに注意して見たら、やはり舗装されているようであった。

 左側の山がせり出してくるにつれ、廃線跡は国道の拡幅に使われてしまって消滅してしまう。湖上に白髭神社の鳥居が立っている、江若の白髭駅跡付近の国道の道幅が、山が迫っている割には広くなっているのも、廃線跡を道の拡幅に使ったためにほかならない。この付近は国道161号線の中でも、最も美しい風景を見せているところである。

 西側に迫っていた山の後退にあわせるかのように、江若の線路跡は国道のラインから左にずれていく。国道から分かれるあたりは、少し家が建て込んでいて分かりづらいが、日吉神社付近からは小径が残っている。

 やがて、数々のトンネルで山を突っ切ってきた湖西線と合流し、湖西線の近江高島駅に着く。ここは、江若の開通当時は大溝、のちに高島町と改称した駅があった場所でもある。その江若の駅は、現在の駅前広場付近にあった。

  つづき

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