■探訪

  山中馬車鉄道
JR大聖寺駅の東側の駅跡
JR大聖寺駅の東側の駅跡 


 山中馬車鉄道は、今のJR大聖寺駅の東側から発着していました、大同工業の工場とJR北陸本線の間に駅舎跡の空き地がある。
 JR大聖寺駅をはなれると右カーブしてしばらく行くと、国道8号線の高架下からは農道になっている、そのまま黒瀬駅方向に向かう丘陵地帯に入るが、廃道状態で今は使われていません。
 黒瀬町に廻って神社前に来ると左より廃線跡がこちらに延びている。黒瀬の停車駅は今、果樹のハウスがあるあたりだと思います。

黒瀬駅跡付近から大聖寺方向
黒瀬駅跡付近から大聖寺方向を見る 
黒瀬駅跡付近から山中方向
黒瀬駅跡付近から山中方向を見る 

 つぎの丘陵を越えると荒木町をすぎ河南町に入る。ここには河南駅があり山代線と接続していたので当時はかなり賑わっていたようです。駅跡は今工場が建っているあたりだと思います。
 このあたりの線路跡は生活道路や農道としてかなり残っています、そのまま山中方向に向かうと二天町にはいる、ここからは山中町です。温泉街に入ると線路跡は判別しませんが山中バスターミナルがあるところに山中駅がありました、今当時の面影はありません。

河南町より山中方向
河南町より山中方向を見る 
国道365号線合流付近より大聖寺方向
国道365号線合流付近より大聖寺方向を見る 

  山代馬車鉄道

 山代馬車鉄道はJR動橋駅(いぶりばしえき)東側から山代温泉に向けて敷設されました。
動橋駅前は倉庫群があり当時はかなり賑わっていたようです。
 駅前を山代温泉に向けて行くと整然と区画された田圃があり廃線跡はわかりません。
庄町付近から田圃道になっており車で通る事が出来る、庄町の墓地の横を通り国道8号線の元津波倉跨線橋に至る、今は廃線跡を利用して2車線道路があり国道8号線と立体交差している。

JR動橋駅
JR動橋駅 
元の津波倉跨線橋、上は国道8号線
元の津波倉跨線橋、上は国道8号線 

 国道8号線建設当時は電車の本数も多く危険なため立体交差にしたものです。
現在は国道の4車線化が計画されており、また様子が変更されるでしょう。現状は橋台、梁とも下の道路拡幅のため更新されたものです。
 ここからは、2車線の整備された道路になっている。青葉台の団地横をすぎ上野町(うわのまち)に入る。
 ここには宇和野駅があり粟津方面からの線路が接続していた。当時はここもかなり賑わっていたものと思います。今は圃場整備がなされ駅の遺構は分かりませんでした。
 そのまま山代方向に向かうと山代駅跡に出る。以前はバスターミナルがありましたが、今は小公園と道路に整備されている。
 ここから温泉街を通って河南方向に向かうと、桜並木が植えてある下り坂になりホテル百万石の裏を通って大聖寺川橋梁に至る、この橋の橋脚や橋台は当時の物を補強して使っています。

山代より河南駅方向
山代より河南駅方向 
大聖寺川橋梁
大聖寺川橋梁 

橋を渡れば河南町で山中線と接続していました。                                       

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