2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」

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 私は今回の事故で、2つの大きな矛盾を抱えることとなった。

 ひとつは、昔から鉄道旅行を好み、近年は鉄道の廃線跡を歩くことをひとつの趣味として、1冊の拙著を出してしまったほど、鉄道といい意味での関わりを持っていたのに、まったく裏切られる形となったことである。

 事故後、しばらく意識を失っていたことや、マンション1階の駐車場の狭い空間に閉じこめられ、あまり周囲の様子が見えなかったこと、そしてヘリコプターや救急車のサイレンなどの音が全く聞こえなかったことが幸いしたのか、今でもPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされることはなく、電車に乗ることに対して、特に抵抗はない。ただ、鉄道により命を落とす寸前までいったということは、全く想像すら出来なかったことで、誠に悲しいことである。

 この手記をインターネット上に公開して以来、100を越える感想メールをいただいた。どの方も、真剣に私の長い駄文に向きあわれ、また涙を流してまで読んでくださった方も、少なからずおられたようだ。そして、本名を記されているメールがほとんどであったどころか、この個人情報の管理が厳しく言われる時代に、きちんと住所も書いて、自らの文責を明らかにされている方も多く、本当に頭の下がる思いである。

 その中で、多かった感想のひとつが、マスコミ報道では判らなかったことが判ったということや、マスコミそのものに対する批判であった。これは、私が言うのも全く烏滸がましいのであるが、その通りであると思う。

 事件や事故の取材では、警察により、「線」が張られる。これは、物理的に現場で立入禁止線がひかれるだけでなく、内容的な面についても、証拠を押さえ、証言を集めるなど、すべての一次的な優先権は警察にある。これは至極当たり前、当然かつ必要なことである。

 そうすると、真実を報道すると思われているマスコミは、基本的には警察や当事者の、発表や会見に頼らざるを得ない。それ以上の情報を得ようとしても、基本的には「線」の外側から撮影したり取材することしかできないので、より真実に迫るためには、「線」の内側にいる当事者やその関係者、あるいは警察の人間に地道にあたるしかない、マスコミとはそんな性質のものである。ここに、速報マスコミの根本的な限界があるのだ。

 しかし私は今回、自分の意志に関係なく、「線」の内側にいたのである。この手記で書いたことは、警察=事故調査委員会に証言したことと同一、いやその時は時間の制約があったり、尋ねられたことしか答えなかったことを考慮すると、それ以上の内容を含んでいる。よって、この痛ましい大事故全体のうち、私の周囲で起こったごく一部分に限ってのことではあるが、私がこの手記を公開することで、マスコミ報道で判らなかったことがいくつか明らかになるのは、ある種当然とも言える。

 ところがところが───何を隠そう私はテレビ局に勤務する、1マスコミ人でもある。報道を直接担当してはいないものの、おそらく今回事故に巻き込まれていなければ、現場中継に行っていたに相違ない立場の人間である。これが今回、自分自身の抱えた、最大かつ最悪なる矛盾点であった。

 よって、被害者=被取材者の立場と、取材する立場の両方が判る人間として、今回の事故においては、他の被害者の方とは少し違う、かなり特異な状況に置かれることとなった。そのひとつの責務として、まだ一般的に脱線原因が分かっていなかった事故直後に、声だけの出演ながら、自社のニュース番組で、電車が線路を逸脱したのは、転倒によってであるという主旨の証言をした。この時点で、事故が車両転倒であったと言うような論述は、ほとんどなかったと思う。

 この証言は全国に流れたものの、残念ながら、一被害者である私の証言だけでは、到底世間全体を納得させるにはほど遠く、車両が転覆脱線したと広く認められたのは、前にもふれたように、事故現場の架線柱の折れ方に注目が集まってからであった。

 また、ひっそりとだが手記を公開したこともあって、活字メディアを主として、たくさんの取材依頼をいただいた。あまり気は進まないが、忙しくても時間を作って、ご要望にはお応えしたつもりである。これは、傷ついた心を奮い立たせながらも、自社の取材に応じてくださっている方々がおられる一方で、私が他社の取材を断ることは、マスコミ人の端くれとして、許されないと思っているからである。

 ただ、自分もその一員ながら、今回のマスコミの対応に、大変落胆した面があったことも否定しない。特に、JR西日本本社の記者会見で横柄な態度を取ったり、「正義の味方」ぶった質問を浴びせた新聞やテレビ局の記者には、思い出すだけでも厭な気分になるくらい、大きな嫌悪感を持った。

 後日、当時の記者会見場に入っていた人間に、その場の雰囲気を詳しく聞いてみたが、かなり異様であったらしい。記者がJR側に質問をぶつけても、JR側の担当者が回答に窮し、いったん会見場から引っ込んで持ち帰って、答えるまでに時間が長くかかるケースも多く、会見場にいた皆が説教モードというか、大変苛立っていたのだという。

 そんなムードもあって、JR職員による、飲み会やボウリング大会をはじめとする「不祥事」探しに、躍起になり出したのであろうか。ある社の記者は、職員によるゴルフコンペを「発見」したときに、ガッツポーズをして小躍りしていたと聞く。あまりもの視点のずれさ加減には、呆れるほかない。

 また、事故現場上空を舞うマスコミ各社のヘリコプターが、負傷者救出作業の邪魔をしたことも否定できない。大変心苦しく思う。ヘリの画がないと、全体の様子が分からない面はあるが、いつも重大事故が起こると、各社のヘリが何機も上空を旋回し、現場に多大な迷惑をかける。被害者の方が、ヘリの音を聞いただけで事故当時を思い出して、気分が悪くなる気持ちも分かるし、どうにかならないものかと思う。

 さらに、今回もマスコミの取材集中に対して、被害者、あるいはその家族が苦悩されているケースが多く見受けられたようである。実際、私にメールをくださった被害者の家族の方にも、取材攻勢に参ったとこぼす方がおられた。今回も、大いに問題があったと認めざるを得ない。

 取材を全面的に断られる気持ちは、痛いほどよく分かる。だからこそ、あえて取材に応えてくださっている方には、私が言う立場ではないのかもしれないが、心から感謝したい。


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 年の瀬も押し詰まった12月25日、新潟県の羽越本線で、築堤上の線路を走行中の特急電車が突風にあおられ、3両が横転するなどして、5名の方が亡くなるという、痛ましい事故が起こった。

 考えてみると、今年一年、鉄道システムそのものの信頼性が、大いに揺らいだ一年であった。

 3月2日、高知県の第3セクター鉄道で、特急列車が終着駅に止まりきれずに、駅舎に突っ込んで運転士が死亡、11人の方が怪我をされるという事故が起こった。事故の発生した駅は、平成9年に新規開業して間もないので、最新式の安全装置が設置されているものと思っていたのに、なんと前近代的な事故が起こったものだと驚いたものだ。しかし、その後1ヶ月余りで、自分自身も高知の事故と同じような次元の事故に巻き込まれるとは───IT社会と言われて久しく、クルマにおいては自動運転の実用化さえ夢物語ではなくなってきたほどの現代において、こんな鉄道事故は到底起こりえないものだと思っていた。

 さらに、今回の羽越線の事故で転倒した電車は、国鉄時代に製造された、古いタイプの重い鋼鉄製の車体であった。それなのに、築堤上で突風にあおられたために、走行中にもかかわらず、転倒したようだ。尼崎事故では、ステンレス製の軽量化された車体にも、問題があるのかなあと思っていたが、重い車体でも転倒事故が起こって、どうにもわからなくなってしまった。

 ただ唯一、これは間違いないと言えるのは、羽越線の事故も、もしレール幅が標準軌であったならば、転倒する確率はより低かったはずだということである。


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 そんなこともあって、一大決心をして、引っ越しをすることにした。別に狭軌の電車が即危ないと言いたいわけでもないし、JRに乗っていると、動悸がするわけでもない。ただ、事故にあった路線に乗り続けるのが、大阪弁で言うところの「けったくそ悪い」からであった。違う表現を使うと、心機一転したいからであった。

 後で気づいて大変驚いたのだが、期せずして、引っ越し日は12年前に新居に移った日と同じとなった。新しいひと回りの始まりである。

 再び阪急沿線の住民となって、一番驚いたことは、私が阪急から離れたひと回り前と比べ、車両のラインナップがほとんど変わっていないことであった。つまり、新しい車両が驚くほど入っていない。また、以前はこんなことはなかったように思うのだが、内装が色あせた車両もまま見受けられる。

 以前は、阪急の車両は新しくて綺麗、一方のJRはそんなに古い車両でなくとも小汚い、といったイメージがあった。しかし、今ではJR西日本は、福知山線や東海道線などでは・・・であるが、あの207系や321系をはじめとする、新型車両を大量投入している───321系は2年間で273両!!らしい───ために、この12年の間に、車両面における優勢は、JR側に移ったかのように見える。

 阪急の新造車両は、ゼロの年さえあったと聞く。そのため、私が知らない間に、阪急系列の車両製造メーカーであったアルナ工機も、車両受注数が少なくなって、会社が維持できなくなり、一般鉄道車両の製造から撤退し解散、分社化されてしまったようだ。こんなところにも、いけいけドンドンで押していくJR、防戦一方の阪急といった構図を見て取ることができる。

 しかし、地道ながら無理をしない阪急の客となり、これから一生のおつきあいをさせていただこうと思う。

  つづき
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