2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」

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 脚の痛みは依然として残るものの、体はかなり快適に動くようになってきた。そんななか、一つやり残していることがあった。それは事故現場への訪問である。

 ただ、なんとなく漠然と───ではあるが、あの、死を意識するほどの凄惨な体験をした現場に、自らすすんで足を運びたくないような、そんな複雑な気持ちを、併せ持っているのも事実だ。何か都合のよい用事があればいいのにな、などと勝手なことを思ってしまう。

 事故にあって以来初めて電車に乗り、あの現場の横を通った───7月下旬のことであった───時には、さすがに相当意識したものだ。しかしそれ以来、走る電車の車窓からではあるが、献花台が置かれている現場の横を、幾度となく通り過ぎても、あまりにこざっぱりと整理されているためか、直視しても不思議なほど自分の中でフラッシュパックもしないし、実感のようなものも湧かなかった。

 また車窓から見る限り、現場に行っても、背が高く張られている白いフェンスの取り囲み具合からみて、私が5時間にわたって閉じこめられて、己の限界と闘った、あのマンション1階部分の駐車場ピットへは、入ることはもちろんのこと、あまり近付いて見ることもできないようである。すでに無人となったマンション「エフュージョン尼崎」が、将来、どのような扱いを受けるのかは知らないが、もし取り壊されるようなことになっても、その前にあのピットにだけは立ち入らせてもらいたいものだが───

 そんな事故現場であるが、ひょんなきっかけで近づくことになった。それは、警察の実況見分によってであった。

 11月12日の土曜日、尼崎東署の捜査本部から依頼を受けて、2人の男性の刑事さんと、JR尼崎駅で待ち合わせをした。凶悪犯罪などで、実況見分が行われたというニュース映像をちょくちょく目にすることはあるが、実際にどんなことをしているのかは、全く素人にはわからないものである。いったい私はどうすればいいのだろうかと少しばかり緊張していると、主に私の姿を入れ込んだ状況で、現場写真を撮りたいとのことであった。

 そのため、まず宝塚行きの快速電車に乗って、宝塚駅にまで移動する。宝塚折り返しのJR東西線直通快速は、全て事故を起こしたものと同型の、207系電車によって運行されている。

 前の方に乗ってしまったので、宝塚駅に着いて電車をいったん降り、3人で2番線のプラットホームの上を、とぼとぼと尼崎方向へと歩く。そして、尼崎方先頭1両目の、あの日、自分の乗り込んだ乗車位置にまで移動して、チーフクラスの刑事さんの指示に従い、開いている扉の前に立つ。私と電車の扉、そして宝塚の駅名標を入れ込むため、いくぶん私からは離れた位置から、若いほうの刑事さんが写真を撮った。

 普通、こんな所であまり写真を撮らないものである。周りにそれほど人はいなかったけれど、男3人が笑顔もなく写真を撮っている光景を、周囲から好奇の目で見られているような気がして、なんとなく気恥ずかしい。

 そのまま、4月25日と同じ扉から電車に乗り込む。ただ、昼間で車内はガラガラなのに、私が事故当時座っていた座席にだけ、たまたま男性の先客があった。その男性に席を移ってもらうほどでもないので、対面の座席に座って、刑事さんに当時の状況の説明をする。入院中、病室に刑事さんが来て、2時間近くにわたって事情聴取を受けたことがあったが、今回はそれと比べれば雑談風である。

 やがて発車した快速電車に乗りながら、伊丹ではオーバーランの詳しい話をするなどした。そして再び尼崎まで戻ってくると、ここからは刑事さんが手配した警察の黒い車に乗り込み、事故現場まで移動である。車で現場に行くのは初めてであり、その道順を含め、新鮮であった。

 脱線現場付近の、複線の線路の西側に沿う道路に降り立った瞬間、こんなところだったのかと、少しばかりの感慨があった。自分が体験した現場の筈なのに、自分のいたところから線路の反対側にいるだけで、よくテレビに映っていたあの場所かというような、第三者的な、変な記憶の照合の仕方をしてしまい、不思議な感覚がする。

 刑事さんは、私が初めてこれはおかしいと気づいた、正確な位置の写真が撮りたいと言われる。そのため、もう一度車に乗り込み、名神高速の高架下に行って、うろうろすることになった。このとき初めて、幅の広い高架道路は名神高速のものだけでなく、その北部分3分の1ほどは、一般道の高架であったことに気づいた。

 福知山線の線路をまたぐ跨線橋にのぼる。事故以来、テレビの映像や新聞の写真で何度も目にした、今は60km/hに下げられた速度制限標識込みで、カーブの入り口を撮影するポイントはここだったのかと思いながら、跨線橋の踊り場のようなところで、すぐ脇の線路を指さして写真を撮ってもらった。ここからあのマンションまでは、意外なほど距離があるように見える。

 この高架下でハッと思ってから、電車が転倒してマンションにぶつかるまで、一瞬に感じたあの間に、これだけ長い距離を移動していたのだ・・・あのカーブが始まってしばらくの、あのあたりから、電車の片輪が浮いてやがて電車が倒れ、滑り込むようにマンションにぶつかって、あの下にもぐり込んだのか・・・目の前の景色にそんな画を描きながら、思わず見とれる。

 よく生き残っているものだと、今更ながら思う。

  つづき
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