2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」

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 8月1日、ついに社会復帰の日を迎えた。

 会社に行くと、いつもの顔が、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれる。あーだこーだと議論したり、悩んだり、考えたりしながらも、目の前の仕事に取り組む、そんな普段通りの光景の中に自分がいることを嬉しく思う。当たり前のことが、当たり前にあること、そんなさりげないことが、実は貴重であったことを改めてかみしめる。

 体力的には少々キツくても、精神的な安定感が得られる歓びは、やはり大きい。私にとっては、社会に出ることが、何よりのリハビリだ。


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 さて、社会復帰してから1ヶ月ほど経った9月6日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(以下事故調)の中間報告(正確には経過報告)が発表された。この中で、いくつかの興味深い事実が明らかにされた。

 まず第一には、列車が転倒するまで、運転士はほとんどブレーキをかけておらず、問題のカーブへの進入速度が、おおよそ115km/hであったことである。これは、私の体感とほぼ一致する結果である。

 事故に至るまでの自分の記憶は、けっこう鮮明に残っていたので、カーブの進入速度が108km/hであったとされたことに、割り切れないものを感じていたことは、前にも書いた。108km/hと115km/h、ほんのわずかな差ではあるけれども、直線区間を120km/hで走行していたのであれば、ブレーキをほとんど感じないままカーブに突っ込んだので、108km/hまではスピードが落ちていないはずであった。

 また、先頭車両の運転席のブレーキレバーが、非常ブレーキの位置になっていたため、しっかりとブレーキがかけられていたのではないかとか、急ブレーキをかけたことによってバランスがより崩れて転倒したのではないかと論じられることがあって、私の感じたこととは異なっているなあと思っていたが、この引っ掛かりもなくなった。

 そして、私が特に問題視していた、列車防護無線が発報されなかった件については、車掌は発報ボタンを押したものの、事故によって装置の電源が停電してしまっていて、結果的に発報されなかったとのことであった。その一方で、電源系統を非常用に切り替えてさえいれば、防護無線を発報することができたということも明らかにされた。

 同じ207系電車であっても、常用電源が停電したときに、電源系統が自動で非常用に切り替わるタイプと、そうでないタイプが混在していたこと、そして自動で切り替わらないタイプでの電源系統の切り替え手順を、乗務員に教えていなかったことなど、総じて会社側に落ち度があると言える。ただ、現場の人間も困ったときにどうにかしろよと思うのは、普段現場で仕事をしている私だけではないと思う。

 今回の事故調の報告は、解析可能であるデータのかなりの部分を公開したという点において、中間報告としては、かなり踏み込んだ内容であると評価できる。私にとっての不満は、車掌への事情聴取の結果が反映されていないことくらいである。もしかすると、ある程度時間が経った後に出される最終報告でも、今回の中間報告に比べて、驚くような新事実は出てこないような気さえするほど、今回の報告はかなりの分析結果が反映されている。

 だが報道によると、ご遺族の方々は、なぜこのような無謀運転に至ったのかが解明されていない、このことを知りたいと訴えられている。それは私も同感だ。ただ、運転士が亡くなった以上、彼の心の中を解明することは、大変困難になってしまっている。

 私は、運転士は曲がりきれないことを承知で、わざとオーバースピードのまま、あのカーブに突っ込んだと思っている。この思いは、事故直前に「!」と感じた瞬間から、全く変わっていない。このスピードで、まさか電車が転倒するとは思わなかったとは言わせない。ある程度の電車運転の経験があれば、百十キロを越えるスピードであのカーブを目の当たりにしたとき、安全に曲がりきれないことは直感的に分かっていたはずだ。

 ましてや、何かに夢中になって、うっかりブレーキをかけ忘れたとも言わせない。電車はクルマと違ってハンドル操作がないぶん、前方から目をそらしても、即事故につながらないとはいえ、運転士が気絶でもしない限り、目の前の風景から何十秒も目を離すことはあり得ないはずだ。

 だから、わざと突っ込んだ───つまり、多少の暴論であることを承知で言わせてもらうなら、もしかしたら運転士の自殺に私たちがつきあわされたのではないのか、とさえ思っていた。だから事故後、運転士のペナルティーとして日勤教育があるような話が報じられた時には、伊丹駅でのオーバーランがあった後だけに、なるほどなと思うところがあった。

 ところが、である。以前からマスコミによって報じられていたことではあるが、事故調の中間報告においても、事故の前に運転士が同じ電車を回送運転した宝塚駅到着の際に、実に不可解な運転をしていることが、明らかにされた。

 このことについては、論じられることが多くないように思うので、事故調の報告書を基に、少し詳しく述べてみる。

 乗客がいない回送電車が、宝塚折り返しのために、宝塚駅2番線に進入する時のことである。駅手前の信号機が赤表示だったのだろうか、いったん10km/hほどにまで減速した後、信号表示が変わったことにより加速をしたのはいいのだが、2番線に入るために右分岐する40km/h制限の分岐ポイントに、60km/hを越える速度にまで加速しすぎながら突っ込んでいる。

 ブレーキをかけ始めたのは、分岐ポイントの数メートル手前からであり、完全なかけ遅れである。それどころか、速度グラフを見ると、そのポイントのあたりでは、ブレーキをかけているのに速度が上がっている。分岐ポイントのある付近は、基本的に軽い上り勾配であるため、こういう結果が残されているのは、クルマでいうアクセルとブレーキを同時にかけたのかな、と思いたくなるような状態である。

 しかも、オーバースピードでポイントに突っ込んで、遅ればせながらもブレーキをかけて減速をし始めた頃、その次にある信号機は赤表示していますよ・・・というATS(自動列車停止装置)の警告が鳴った。これに対し、運転士は5秒以内に確認ボタンを押さなかったために、自動的にATSによる非常ブレーキがかかり、2番線のプラットホームのすぐ手前あたりで、急停止している。

 このATSの警告は、客室内にまで聞こえるほどの音量で、運転室内にベル音が鳴りひびくし、ATSの確認ボタンは運転士から見て体の正面の一番押しやすいところにある。それなのに、確認ボタンを押さずに、5秒間も放りっぱなしにするのは、明らかにおかしい。

 さらに、である。プラットホーム手前で非常停止した後、再発進して、電車停止定位置に向かっているとき、運転士は停止位置が迫っているのに、またまたブレーキを大幅にかけ遅れている。2番線の線路は、プラットホームを行き過ぎると、上下線の線路に合流してしまうので、電車がオーバーランして、脱線や衝突するのを防ぐために、停止位置の少し手前にATSのセンサーが仕込まれていて、ここである程度以上の速度超過を検知した場合、これまた自動的に電車に非常ブレーキがかかるようになっている。

 この安全機構によって再び非常ブレーキがかかり、急停車している。そして、その場所が、たまたま正規の停止位置に比べ許容範囲内であったのか、その後手動で位置を修正したような操作は記録されていない。

 つまり整理すると、宝塚駅の手前にて、速度超過しながら右分岐したかと思うと非常ブレーキにより急停車、その後動き出した後も、また非常ブレーキがかかって急停車と、素人以下ともいえる明らかな異常運転である。

 電車が止まった後、プラットホームで待っている乗客を乗せるために、ドアを開けた回送電車の車掌───実は事故を起こした電車の車掌と同一人物であるが───は運転士が少しおかしいなとは思わなかったのだろうのか。このような運転を受けて、回送電車の”唯一の乗客”であった車掌が、折り返しのためお互い反対端の乗務員室に行く途中、運転士とプラットホーム上ですれ違ったときに、いくら顔見知りでなかったとしても、一声かけなかったのか、そしてそのときの運転士の様子は・・・など、やはり車掌に聞きたいことが増えてきた。(車掌は一声かけたという報道も目にしたことがあるが・・・)

 伊丹駅でのオーバーランを、事故と結びつけることは可能だし、おそらく関連があるのだろうが、それよりもっと前に起きた、私たちが知りうる限りでの、運転士のこの日最初の狂気の行動である、回送電車の宝塚駅2番線分岐ポイント進入時の不自然な過加速に、私は注目している。

 ただ、この宝塚駅における初歩的な運転ミスは、事故に至る一連の流れの中でも、まったくもって不可解きわまりない事象である。このことによって、かえって事故に至るまでの運転士の心の闇が、全く想像すらできなくなってしまった。

 この謎が解明されることは、果たしてあるのだろうか。

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