2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」


 私こと吉田恭一は、昨年4月25日に発生した福知山線快速脱線事故に巻き込まれました。
 そのときの模様を入院中に書き留めた手記を、鉄道に関するページを運営する者として、ここに掲載いたします。

 皆様が報道によりさんざん目にしたであろう、あの銀色の車体の中では、こんなこともあったということをご理解いただければ幸いです。

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 「その日」は好天であった。本来なら、大阪郊外の千里に設けられた会社の拠点に、自家用車に乗って行くべき日だったのだが、ひとつだけ些細な用事ができたので、梅田にある本社に電車で向かうべく、8時40分過ぎに自宅を出た。そして、JR西宮名塩駅に入って来た、4両編成の各駅停車大阪行きの客となる。

 このとき、なんとなくだったのであるが───些細な用事は調べものであったこともあり、後々大阪駅にて改札口が近くなる、前のほうに乗っておこうかと、先頭車両に2つある扉のうちの左側、つまり列車の一番前のドアから乗車した。人ごみ嫌いである私は、普段、一番後ろか、そうでなくてもその一両前の車両に乗ることの多い人間であるのだが、この日に限って先頭の方に乗ってしまった。このことが、後の人生を左右しかねない大きな後悔のもととなる。

 宝塚駅では、今乗っている各停より後に宝塚を出るのに、尼崎には早く着く、9時3分発同志社前行き快速5418Mが、同じホームの向かい側に止まっているはずである。各停が宝塚駅に近づいてスピードを落とすと、この快速に乗り換えるべく、進行方向に向かって右側の扉の前に人が群がり始め、私もその列に加わる。そして、電車が止まってプラットホームに降り立つと、意外なことに、乗ってきた4両編成の各停と、待機している7両編成の快速の先頭車両の位置が同じであった。

 2つの列車の編成の長さが倍近くも違うのだから、常識的には、プラットホームでの電車の停止位置は、編成の中心合わせをして、各停の先頭位置が快速の2〜3両目あたりに来そうなものである。だから、電車のアタマがきれいに揃っていることは意外であったが、そのまま自然な流れで、同志社前行き快速の先頭車両の前から2番目のドアから乗車する。

 くぐったドアの左側にある座席は、進行方向に向かって左右とも、座席の座面・背面の柄が専用のデザインになっている優先座席であり、誰にでも一目でわかるようになっている。そのため、歩く動線そのままに右奥の座席、つまり進行方向に向かって右側の座席に着座する。ただし、端の座席には先客があったため、その彼(若い男性だったように記憶している)の隣に座り、ノートパソコンと携帯電話を取り出した。

 前日終了した、私にとっては年に何回しかないような大きな仕事に関するメモを、携帯電話からノートパソコンに手作業で移すためであった。膝上に置いた鞄の上の左隅に携帯電話を置き、ノートパソコンを開いて、以後、データ移行作業に専念することとなる。

 そのためか、後にその名が世間に広く知れ渡ることとなった、23歳の運転士の運転が特に荒かったという印象はない。ただ、電車が駅に到着するたびに、作業のひと休みと、席を譲る必要のあるような人が乗ってきていないかの確認がてら、視線をノートパソコンの画面から上にあげたので、私が乗車していた一両目では、発車して最初の停車駅である中山寺駅で座席が全部埋まり、その次の川西池田駅から乗車した乗客は、皆が立ち客となったこと、そして私の近くの立ち客にご老人が見あたらなかったことは覚えている。

 そして、作業に没頭している間に、いつの間にか北伊丹を通過し、伊丹駅に到着した・・・はずなのに、扉が開く音がしない。パソコンの作業中で、液晶画面を注視していた私も、さすがに電車が停止したのに扉が開いた雰囲気がないことは気になり、オーバーランしたのかなと思って、顔を上げた。

 というのも、今の私にとって、オーバーランに遭遇することは、それほど珍しいことではない。私が結婚するまで、子供の頃から四半世紀にわたって、レジャーや通学・通勤のために乗り続けた阪急電鉄では、オーバーランに出くわした経験はたった一度しかなく、そのときには車内が「なんだなんだ」とざわついたのを鮮明に覚えている。しかし、頻繁に利用するようになって十年あまりのJRでは、すでに10回は経験している。

 JRでは他の乗客も慣れているのか、オーバーランがあっても声を上げたり驚いたりする者は皆無で、車内は取り立てて騒がしくなることもない。車掌が、電車を正規の停止位置までバックさせる旨の、アナウンスをすることはあるものの、基本的には電車は静かにバックして、何事もなかったかのように扉が開くのが通例である。

 しかし、電車は止まったまま、扉が開くなり、バックするなりの次の動作がない。「なんだこの間(ま)は・・・」と思いながら、パソコン画面から顔を上げていると、対面の広いガラス越しに見える風景から、電車が駅を行き過ぎているようにも思ったが、なんせ普段は先頭車両に乗らないために、「先頭車両のいつもの景色」がきっちり頭に入っているわけではない。しかも、進行方向向かって左側にある伊丹駅のプラットホームは、右側に座っている私の視点からは直接見えない。

 かといって、後ろを振り向いて下り線のプラットホームの位置を確認するほどのことでもなかった───後でわかったことだが、伊丹駅の上下線プラットホームは、位置がきっちり正対していないので、いずれにしても判らなかったはずである───ので、なんで止まったまま、扉も開かないし、バックもしないのだろうと思った。

 運転士は、電車の進行方向を反転させるスイッチの操作に手間取っているのだろうか? しかしこの時は、自分の右方、10メートルも離れていない乗務員室にいるはずの運転士を見ようとは思わなかった。なんか気まずく感じるほどの、空気までもが静止したような、いやな時間が流れる。そのため、電車がバックを始めるまで、10秒ほどかかったように感じた。もちろんそんなにはかかっていなかっただろうが、それほど長く感じるほどの、いつものオーバーランよりは長い「間」であった。ただ、バックを始めたスピード自体は、一部の乗客の証言にあるような手荒さは感じなかった。荒くもなく、しかし、かといって丁寧でもなく、普通の感じでバックしていく。

 それにしても、ガラス越しに見える架線柱の横切り方から見ても、軽く1両分以上はオーバーランしていたことはわかった。後に、運び込まれた病院のICUで、伊丹駅でのオーバーランが8mであったと報道されていると聞いたときには、少なからず驚くことになる。

 そして電車が止まって扉が開き、いったん通り過ぎた電車が戻ってくるのを待ちわびた乗客が乗ってきた。

 この車両の、青く長いシートは7人がけである。しかし、私が座っていた方や、対面側の7人がけのシートには、それぞれ6人ずつしか座っていなかった。朝夕の混雑時には、このシートにきっちり7人座ることが多いが、この快速電車のような、ラッシュの最盛時を過ぎた電車では、立客がいても座っている客がゆったり座ったままで、また立客も、座っている人の隙間をあけてもらって座るということもあまりないので、7人がけに6人というケースが多い。補足すると、首都圏の電車に最近多い、座席の座り位置をシートの形状や捕まり棒で限定するやり方ではないので、このようなゆったりとした座り方が可能なのである。

 私が乗っている先頭車には、この7人がけが6つ、そして2両目との連結部に4人がけが2つあるので、座っている客は計算上40人あまり、そして立っている客は50人くらいであろうか───一両目におおよそ100人ほどの乗客を呑み込んで、電車は伊丹駅を発車した。

 するとまもなく、「只今のオーバーランによって、列車が遅れまして皆様にはご迷惑をおかけします」といった主旨の車掌のアナウンスが流れた。オーバーランにはしょっちゅう遭遇したことがあるが、このようなアナウンスを聞くのは初めてである。驚いたのと同時に、車掌はまずいことを言ったなと思った。こんなことを言えば、運転士が乗客の注目を浴びて、プレッシャーを受けるのではないかと感じたのである。

 そのとき初めて、その運転士を見ようかなと思ったが、なんとなく面倒になって結局それはせず、引き続き膝上の作業に戻った。後述する事故直前にも、運転士を見ることがぎりぎりできなかったので、私は結局運転士の姿を見ていない。もっとも、立ち客によって遮られるなどして、それほど見えなかったに違いないが───

 伊丹発車後は、なんとなく、いつもよりスピードが出ていたような感じもするが、それも事故の衝撃による印象づけであったかもしれないから、なんともいえない。とにかく、半分以上終わった膝上での作業の仕上げを急いだ。

 そして、作業も佳境に入って画面に見入っていたそのときである。塚口駅を通過して、多くの分岐ポイントを通過した振動があった後、車内が少し暗くなった。というより、ノートパソコンの液晶画面の反射が少なくなり、画面が見やすくなったと言った方が、的確な表現かもしれない。いずれにしても、液晶画面を注視していても、名神高速道路の高架下に来たことには気づいた。その瞬間、キーボードをたたく指が一瞬止まった。

 「あれ? 電車の速度が落ちていない!」

 この名神高速の高架の先に右カーブがあることは、個人的な趣味で廃線跡探訪をしている私にとっては、ここが線路付け替えがなされた場所であることもあり、よく知っていた。いや私だけでなく、一般の方々も、それまで数分の間、全速力でブンブンにとばしていた電車が、結構大きなブレーキをかけてかなりの低速にまで減速し、続いてカーブの横Gがかかるということで、車内アナウンスがなくとも尼崎駅に近づいたことを体感するポイントとして、認識している人が多いのではないかと思う。

 通常は、塚口駅を通過して、駅に関連する分岐ポイントをいくつかやり過ごしているうちに、ほどなくブレーキがかかり始める。そして、名神高速の高架下が終わるあたりでブレーキが緩まり、続いて車輪をキーキーと軋ませながら問題の右カーブに進入するのであるが、高架下にまで来ているのに、ブレーキが全くかかってないではないか。と思っているうちに、すでに電車は高架下をくぐりぬけ、車内は明るくなってきている。ほんの一瞬考えた後に、えっ・・となった。その時、咄嗟に

 「カントに負ける!」

と思った。正確に言えば、”てにをは”間違いで、「カントが負ける」が正しい表現であるが、とにかく咄嗟に出た心の叫びはこれであった。カントとは、事故後、報道により世間一般にも少し有名になった用語であるが、列車がカーブを通過するときの遠心力による不安定動作、極端に言えば転倒防止のために、カーブの外側を内側より上げる高さのことを指す。まったくブレーキがかかっていなかったように感じたので、カントにより線路の外側を持ち上げている高さより、列車の速度による車体の遠心力が勝って、車両自体が横倒しになってしまうと感じたのである。

 「運転士何考えとんねん!」

と思い、右前方にある乗務員室の中にいるはずの運転士を見ようと思った瞬間、車両の進行方向に向かって右側、つまり自分の座っている側が、あたかも遊園地の遊具のように「ふわっと」浮いた。つまり、これは直前に直感したとおり、電車が左に横倒しになり始めたのである。しかし、遊園地の遊具のように、私たちはシートベルトをしているわけではない。そのため、右側の座席に座っていた私たちは、右斜め前の宙に体が投げ出されてゆく。

 つまり車体が横転してしまうぞ、という事象は直前に予感できたのであるが、実際にそれが起きて自分の体が投げ出される段になると、「うわっ」「あれあれ〜」という感じでパニックになった。しかしなすすべはなかった。

 事故後、何両目かのレコーダーの記録により、このカーブの進入速度が108km/hであったと、それが確たるものであるかのように伝えられたが、私は108km/hどころじゃないと思っている。私の感触では、まったくブレーキはかかっていない。つまり、体感的にはカーブ進入時で120km/h近くあったように感じた。

 もちろん、普段、電車に乗りながら速度計を見ているわけではないので、この数字になんの後ろ盾もないのであるが、直線部分の最高速度が120km/hであったならば、108km/hにまで落ちるほどの減速を感じなかったのである。いくら座席に座っていても、急ブレーキがかかったなら体が振られるはずだが、それがなかったのだ。

 ただし、体は確かに右斜め前に投げ出されたので、転倒を始めたときには何らかの制動はかかっていた可能性は否定しない。しかし、これも急カーブの抵抗によるものかもしれぬ。だから、事故後の運転席のブレーキレバーが非常ブレーキの位置まで押し込まれていたというのは、電車の事故に至る動作からして、私はいまだに信じることができないでいる。

 また、計算上、133km/h出ないと転倒しないという発表にも、ひどく落胆した。そんなことはない。一両目に乗っていた私が断言する。確かに133km/hまでは出ていなかったものの、カーブ進入時に、鉄道工学に関して素人である私が、これは電車が転倒すると直感し、事実、横倒しになったのであるから───

 投げ出された体は、運転士を見ようと思った意に全く反する形で、左回りにまわって、背中が進行方向を向くのがわかった。横倒しになった車体が地面をこすりながら激しく震える中、その車内で後ろ向きになった私の眼前には、ハリウッド映画の爆発シーンのような画が広がる。事故後、誰かが言った「洗濯機の中にいるよう」という表現が、一番この時の車内の状況を言い当てているかもしれない。

 しかし、このような事故に遭遇したときによくなるといわれ、現に私も39年間の人生を送ってきた中で数回経験がある、物事がスローモーションになるような現象は起こらなかった。物や埃が舞い、激しい振動でぐしゃぐしゃになっていくなかで、意識が遠のいてゆく。「なんで普段使いの通勤電車でこんなことになるんや・・なんでや・・・」と思いながら───

  つづき
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