1971年,まだ単線だった近鉄大阪線の青山峠越えで電車同士の衝突事故があり,それを契機に複線でほとんど真っすぐな新線が出来た.途中には,当時私鉄最長の新青山トンネルがある.東青山駅のホームには駅付近の案内として,「青山トンネル,5652m」というのがあるが,駅から西に見えているトンネルは,実は1.2km弱と比較的短い垣内(かいと)トンネルであり,垣内トンネルを西に出るとすぐ谷を挟んで青山トンネルとなる.正確には新青山トンネルであるが,近鉄は,案内板のように単に「青山トンネル」といっている.それはそれで良いが,垣内トンネルも青山トンネルの一部として気がつかない人も多いのではなかろうか.実際,垣内トンネルと青山トンネルの間の距離は僅かである.

 旧線の青山トンネルは,1930年(昭和5年)に開通した.長さは3432.1mあり,単線ながら当時の私鉄としては最長であった.現在の東青山駅と西青山駅の間に相当する旧線には青山トンネルの他に1km弱のトンネルがあと3本あり,勾配もきつく難所の山岳路線であった.

 新線への切り替えは1975年なので,2,3度は旧線を走る電車に乗ったことになる.乗った急行電車は向かい合わせの狭い4人ボックス席でシートは赤い色であったのは覚えがあるが,その他は全く覚えが無い.ただ,事故は死者25人を出した大事故で,レールがグニャグニャになった写真が新聞に載って良く覚えている.しかし,事故後旧線を通ったときも事故を思い出すことはなかったと思う.

 数年前から旧線への関心が強くなり,車窓から見える旧線の跡を探したりもした.また,新線のトンネルを通っている際も旧線や事故の事を考えるようになった.関心が飽和点に達し,とうとう03年秋に現地を歩くことになった.

 山岳路線なので,1/25000の地形図を用意した.主要部分が載っている「佐田」,その西の「伊勢路」と南の「二本木」である.



 03年10月11日,大阪から朝2番目の快速急行に乗り榊原温泉口駅で降りた.当駅は以前は佐田駅と云い,地形図では駅の南西あたりの集落が佐田である.駅の大阪方面行きのホームには,遠望できる青山峠に設置されている風力発電の解説板があった.ここの風力発電は日本で最大規模で,一基にプロペラが3枚あり一枚のプロペラは長さが25mで,発電量は一基当たり750kW/hとあるがこれは最大値であろう.天気はまあまあで数えると17基見えた.プロペラは以前から車窓から良く眺めたものだが,こんなに多く数えられたのは初めてである.解説板に現在何基あるかを書いて欲しかった.

 ホームから東を見ると単線のトンネルが2本ある.北側は真っ直ぐでトンネル入口はホームのすぐ先であるが,南側は地形に沿ってやや南に迂回し,トンネルを短く済ませている.南側が単線時代の線路なのは明らかである.ちなみに伊勢中川駅までには同様なトンネル部分がもう一カ所ある.複線化に際して,新たに複線のトンネルを掘る必要は無く,単線のトンネルをもう一本増設した事になる.こちらの立場で云えば廃線跡は無い事になる.

 当駅は西半分が土盛りの上にある.出口は南側で,いつものようにタクシーや温泉宿の送迎車が何台か客待ちをしていた.榊原温泉は久居市にあり,当駅は最寄り駅だが白山町にある.路線バスは津や久居からが便利で,駅の名前にもかかわらずこっちは不便である.

 駅から西へ坂を下りた.やや西に現線の土盛りをくぐる車道がある.断面はたまご型の2/3くらいを切り取った,変な形であった.現線の北に出ると地形図にあるように,現線からなめらかに北に離れる土盛りがあった.車窓から何度も眺めた旧線である.旧線の北側に沿った里道を西へ歩く.旧線に沿って現線から分かれて西へ続く送電線があり,廃線歩きの目印になる.

 旧線へ上がる管理用らしい道があるが,柵があった.横から容易に入れそうであり,旧線の軌道面を見たい誘惑に駆られたが止めた.

 ちょっと西には旧線をくぐる通路があり断面は四角でコンクリートで固められていた.その基部はかなり広く,旧線の土盛りは予想以上の規模であった.通路を南側に出ると現線は目の前で,電車は警笛を鳴らして頻繁に通過している.警笛を鳴らしていることから,現線の新梶ヶ広トンネル東口は近い様子である.しかし旧線のトンネルはまだ先である.

 里道を進む.旧線は,始めは緩やかな登り坂であるが徐々に勾配がきつくなっている風であった.地形図で,里道が旧線から北にやや離れる所に家屋が記載されているが,実際は廃業した小規模のホテルであった.送電線の鉄塔の6番目に当たる.ホテルの敷地には,何やら物見台があり鉄道遺物の様である.旧線は緩やかに南にカーブしているので信号でもあったのかもしれない.

 里道はやや北に離れ,軌道跡は,少し東から土盛りから北斜面の切り取りに変わっている.地形図の通りであった.里道は急な登り坂になり旧線を跨ぐ橋のたもとに至る.橋のすぐ西には,地形図に記載されている南北に走る幹線の送電線があって,旧線に沿った鉄道用の送電線に電気を供給している事が分かった.

 橋には,「いのくらおんせんばし」とあり,北700m位にあって白山町が力を入れている猪の倉温泉へのアクセス道路となっている.平成2年3月に架かった新しい橋であった.地形図にはなかったが,道路橋の西側に歩道橋が独立に架かっていた.橋を南に渡った西側から旧軌道に降りることが出来た.歩道橋の下部はトラス構造をしていて,もはや電車が下を通過するスペースは無かった.

 橋の下から東を見ると,旧軌道は草が刈られた良い道である.先ほどの柵から容易に歩いて来れそうであった.橋の東側の旧軌道は,駅から山にかかった辺りから南に緩やかにカーブし,橋の西側も同様に緩く左にカーブしていて,地形図の土盛りや切り取りと一致する.見えるかと思われた梶ヶ広トンネル東口は見えなかった.また,西側の軌道跡は藪でトンネルを見に行くことは出来なかった.橋の上に戻って,トンネルを遠望しようとした.橋の北寄りが最も見通しが利き,植生の間に黒っぽい部分が見えた.トンネル入口かと思われたが自信は無い.

 地形図には,廃棄されたトンネルの印は記載されていない.橋の300m西には切り通しの印があり,そのすぐ西に140mの等高線がある.梶ヶ広トンネル東口の軌道面は,従って135m位であろうか.ちなみに榊原温泉口駅の標高は読みにくいが90m位で,東口までの距離は1500m位なので,平均勾配は30‰となる.この付近でも既に山岳路線の登り勾配に入っていることが分かる.

 現線の新梶ヶ広トンネルと新惣谷トンネルの間の軌道のすぐ北には,地形図で谷を跨ぐ土盛りの印があり,旧線の両トンネルの間の軌道に間違いない.土盛りが続く距離は,地形図で4mm位で100mになる.現線のトンネル間より,やや短い様である.

 惣谷トンネルの西口は,現線の車窓からほぼ現線のトンネル西口のすぐ北と推定出来ている.従って,梶ヶ広トンネルも惣谷トンネルも350m位の長さであると分かる.

 現線と旧線の両トンネルの間の谷筋には小道があり,軌道をくぐっている記載がある.北を迂回しても南を迂回してもかなりの遠回りであるが,何としてでも行きたいので北側からアプローチする事にした.

 橋の北の十字路を西に進む.榊原温泉口駅から来た道を橋を渡らず直進する道である.急坂を登って「上佐田」集落に至る.集落を通り越してから南へは小道が2本あり,西側の道を南下すれば目的のトンネルの間に行けそうである.

 計画通りに行けば尾根まで登らねばならない.集落の中に南下する林道があったので,ついついそっちへ進んでしまった.道は何度か分岐して2〜3度迷ったが,結局地形図にある東側の小道を南下してしまった.新梶ヶ広トンネルの西口のやや東にため池があり,そこに至って間違いに気がついた訳である.

 急坂を下り,ため池を2つ見ると,何のことはない,先ほどの橋から南下する道路に出た.道路の南の交差点には,猪の倉温泉入口のアーチがあって,R165から温泉にやってくる車の目印になっているのが見えた.

 車道から分かれ,山裾の道を西へ歩く.2本のトンネルの間の小さい谷は地形で分かるが小道の入口が良く分からない.地元の人に伺って目的のあぜ道,つまり北から南下しようとして分からなかった道,を教えてもらった.また惣谷トンネルの西口への小道も伺った.付近にはコスモスがきれいに咲いていて雰囲気は良かった.

 あぜ道はすぐ山道となるが,かなりの難路である.伺った方に親切に,「足元に気をつけて」,とアドバイスをもらった意味が良く分かった.地形図で400mくらい北に進めば現線のトンネル間の橋をくぐるはずである.やがて近鉄の警笛が聞こえ,現線の高架橋の下に至った.現線の橋はコンクリート橋であった.車窓からは分からないアングルなのでそれなりの感動はあった.それまで車窓からこの谷を何度か凝視したが,道があるとはとても分からなかった.

 現線から旧線まではすぐであった.旧線のトンネル間の土盛りをくぐる部分はコンクリートで,四角く間口が開いていた.普通,谷には増水に備えて,水の流れを妨げないように高みに橋を架けるが,ここはそうはなっていない.谷の土盛りは穴の開いた堰堤として機能させる設計と思われた.増水時,水が一旦せき止められたら水の流れが緩くなり堰堤が守られると考えられるが,時代を感じさせる.

 単線の旧線をくぐったが予想以上に長い.今日のはじめ,榊原温泉口駅近くで旧線をくぐった場所と同様な造りであった.くぐって西側から土盛りをよじ上って軌道に出た.実は初め,東側から上ろうとしたが半ばで進めなくなったのだが,それくらい藪が濃かった.また南側からは東西どちらも上るのは不可能であった.上ってみると軌道跡はきれいで送電線の管理が為されているのが分かる.軌道には,現線の車窓からも見える送電線の鉄塔があった.送電線は両側のトンネルの上を走っているのが見える.先ほど道を間違えて梶ヶ広トンネルの上を横切ったのだが足元ばかり見ていたので気が付かなかった.せっかく旧線の上を横切ったのに位置が分からず残念な事をした.

 さっきくぐった短い橋を渡って梶ヶ広トンネル西口に行く.トンネルの開口部は,コンクリートブロック積みで立派であった.入口には柵があったが左右の隙間は壊されていて中に入る事は出来る.ちょっとお邪魔して中に入れてもらった.懐中電灯の明かりを頼りにしばらく歩くと東側の開口部からの明かりが見える.トンネルは途中から南にややカーブしているらしかった.これは地形図からの推定と一致する.トンネルの東口までは行かずに引き返した.先の,猪の倉温泉橋の下から300m位しか離れておらず,何倍も遠回りをしたことになる.

 戻って,惣谷トンネルの東口へ行く.トンネル間の距離は,地形図の通り100m位で,西へ向かって登り勾配である.こっちの開口部も同様で立派な造りである.間口も広く架線のスペースが設計に入っていることが分かる.こちらも柵の端が壊されていた.

 さて,南の道路に戻って先ほど伺った道で惣谷トンネル西口まで行くのはかなりの迂回で,しかも先ほどの濃い藪を下に降りねばならない.トンネルは350m位で西口まで行って,駄目なら戻ってもよしと考えた.トンネル内部は天井がコンクリートブロック積みで,綺麗で崩落の危険は全く感じなかった.地形図で想像したとおりやや北に曲がって西口に到着した.途中には左の壁に丸く「65」という標識があり,これは西へ向かう電車の制限速度であろう.

 惣谷トンネル西口には柵はなく車止めの棒が1本渡されているだけであった.トンネルの西口の標高は160mなので,付近の平均勾配は30‰強となる.トンネル間の土盛りは標高145mと読め,誤差が出るが一定勾配の登り坂であろう.山岳路線によくある,33.3‰というやつかもしれない.

 惣谷トンネルを出ると現線はすぐ南である.東青山駅も,正面やや南に見えている.トンネルの上から来た送電線は現線に合流している.一区切りした感じであった.

 トンネルを出た北側は,徐々に低くなる切り取りとなっていて石積みの壁があり,架線用の基礎も残っていた.バラスが残っている緩やかな登りの右カーブを歩くとハイカー用の道しるべがあった.来た道は,「総谷トンネル」とあり字が違う.現線は新惣谷トンネルだから通過したトンネルは惣谷トンネルのはずである.すぐ北のため池も惣谷池と記載されている.さっきのトンネルで起こった事故を意図的に隠しているのでは無かろうが,単に間違っているのなら直したほうが良い.

 1971年の事故では,東へ向かう特急電車が,青山トンネルの東口からトンネルを少し入った地点から,ここまでブレーキ無しで暴走してきたので標高差は140m位になる.140mの自然落下を単純に計算すると189km/hとなる.高層ビルからの落とし物を考えれば良い.斜面を転がっても垂直に落下しても,位置エネルギーの変化は同じで,同じ運動エネルギーを得ることになる.もちろん,レールと車輪の抵抗や空気の抵抗があり,前者はカーブで多くなり後者はトンネル内で増大すると考えられるし,車体の振動で電車の速度は軽減される.現実には,電車は時速120km/h以上になっていたそうである.

 惣谷トンネルを出た所からは垣内信号所があり複線であった.事故の電車は,大阪方面からの本線から,南側に並行する中川方面からの本線へ入らなかった.列車の交換のために,ポイントが本線へ向いていなかったと考えられる.電車は側線へ入り,車止めにぶつかり脱線し,トンネルに入ったそうである.速度超過が原因であろう.電車の方向から云うと側線の左カーブを曲がりきれなかったことになる.東からの本線のレールに車輪が添う形でトンネル方向へ暴走したと考えられる.側線は先ほどの切り取りの上にありそちらの方へは行かなかった.そして東からの対向の特急電車が間に合わずつっこんだ.東からの制限速度は65km/hだと分かったのでブレーキをかけてもそれを少し下回る速度であったと推定出来る.西からの電車が脱線のあと既に止まっていたかどうかは分からない.トンネルの,たぶん南側の開口部付近にも部分的にぶつかったと考えられるので速度が落ちていたのは間違いない.しかし,電車が大きく壊れ,レールがグニャグニャになるのは容易に理解できた.単線が根本的に持っている危険性が発現してしまったことになる.

 近鉄のハイキング用のパンフレットは地図を持たないハイカーに便利である.「てくてくまっぷ」と云い,この辺りは,No.4とNo.31で一枚紙の両面に印刷されている.以前はB4版だったが,今日榊原温泉口駅でもらったのはA4に変わっていた.比べるとほとんどいっしょだが,青山高原越えをするNo.4の方では道が1本だけに減らされていた.No.31は東青山駅付近の,「東青山四季のさと」の案内となっていて,”旧線路バラス道”,も記載されている.地形図でも記載があるその道は北へ大きくカーブし現線から大きく離れる.つまり一定勾配で峠を越えるのに地形を選んで遠回りしている訳である.

 事故後,新青山トンネルが出来るまでの一時期,先行して完成した新梶ヶ広トンネルと新惣谷トンネルを用いて,垣内信号所も含めて複線区間とした時期があった.しかし新惣谷トンネルから,”旧線路バラス道”,へ連絡する軌道跡は分からなかった.

 それまで,東青山駅に停車する電車から旧軌道を何度も見たが一見してかなりの勾配が付いていることが窺えた.現地を歩いても勾配はかなりあった.複線分の軌道跡は良く整備されていたが,先の惣谷トンネル西口付近以外では鉄道遺物は発見できなかった.バラスは砕かれて歩きやすいようにしてくれていた.車窓からいつも見える,「四」「季」「の」「さ」「と」の看板の横を通って進むが,パンフレットにあるように軌道跡は行き止まりとなる.現実には車止めの先も車の轍が続いていて残念である.立入禁止の先に開いているはずの二川トンネル東口を見たかったが,左に緩やかにカーブした軌道のかなり先らしかった.

 「四季のさと」を横切り,二川トンネル西口へ向かう.パンフレットの,No.4にも青山高原までの山道の途中に,旧軌道を少し歩く場所が記載されている.”東側(二川トンネル)”,”西側(溝口トンネル)”と書かれている.地形図でも現線の垣内トンネル東口の北西1.1kmの谷合に短く谷を跨ぐ土盛りの記載があり,その場所に間違いはない.標高は225mと読める.

 二川トンネルは長さが799.2mで,逆算すれば東口の位置は容易に推定出来る.標高は200m位だが地形図には記載は無い.トンネル内の勾配は30‰強であり,榊原温泉口駅からほとんど33.3‰の登り勾配らしい.これより西も同様だと考えられる.

 二川トンネルを歩いて通過すると仮定すれば,いくらトンネル内が登り勾配とはいえ西口に到達するのは容易であろう.しかしハイキング道では一山越える感じである.しかし,梶ヶ広トンネルの上で迷ったのに比べると道は良く整備されているし,道しるべもあるので安心であった.

 道は途中で小さな谷を横切るので,正確には小さくもう一山越え,二川トンネル西口に到着した.直前では,道は二川トンネル西口の上を北に横切り階段を下って軌道面に降りるようになっていた.ハイキング道の途中とはいえ,かなり深い山の中である.

 二川トンネルの西口はこれまでと同様でコンクリート積みの立派な造りである.柵は完全に壊されていた.ちょっと入ってみる.下り勾配が感じられた.ややあって北側の壁に,91kmのキロポストがあった.端数のない大きい方のキロポストである.91の,”1”はかなり不明瞭であった.帰ってから近鉄大阪線の上本町からのキロ呈を考えると,91kmで正しい事が分かった.ただ別の重要な事実も判明したので,それは最後に触れる.

 二川トンネルから溝口トンネルに向かう.100m位の距離であり,山岳路線の典型である.谷は深く鉄道橋の軌道面から谷底まではかなりある.溝口トンネルの東口も柵が壊されていた.少し中に入って雰囲気を味わった.登り勾配が感じられた.

 ハイキング道は橋と溝口トンネルの間から一旦南下してから青山高原に向かうようになっている.軌道脇には休憩所が設けられていた.座って小休止し,事故の事を考えた.ここは,電車が暴走しはじめた標高と事故現場のほぼ中間の標高に当たる.ここでもかなりのスピードになっていた事であろう.西の溝口トンネルから電車が出てきて,すぐに東の二川トンネルへと吸い込まれたに違いない.現在は,南に900m弱に東西にほぼ真っ直ぐな新線がある.ちょうど垣内トンネルの中間辺りになるが,この旧線の事は絶対に忘れてはならないと思った.

 休憩所には,もともと二川トンネル開口部付近にあったと思われる解説板が置かれていた.けっこう厚いプラスティック製であるが,人為的に壊されていた.

 以下に写す.

旧二川(ふたがわ)トンネル 全長799.2m(単線)
このトンネルは,昭和5年12月20日に
近鉄の前身である参宮急行電鉄により
開通し,昭和50年11月22日に新青山
トンネルが開通し,大阪線が全線複線
化されるまで,約45年間にわたり,大
阪,京都から伊勢志摩・名古屋方面へ
の幹線トンネルとして使われました.
向かい側の旧溝口トンネルは長さ931.1
mで,旧東青山駅はさらに西の滝谷ト
ンネルを出たところにありました.
なお,トンネル内には入らないように
お願いいたします.
 近畿日本鉄道

 この下部には旧線と新線の略図が描かれていた.割られた板を継ぎ合わせたが,文中で,7行目の中央付近の”とし”・8行目の”旧溝口”・9行目の”青山駅は”にかけての部分と,9行目の”らに”・10行目の”にありま”部分の2カ所が欠落していた.考えて補える範囲だったのは幸いだったが,15cm位の2個の部品が見つからなかったのは残念な気分であった.

 地形図ではここからすぐ南に,谷に沿って幅員1.5〜3.0mの道路が記載されている.近鉄のパンフレットでは,”開拓道路”,となっている.谷を下れば,垣内トンネルの東口の下をくぐって東青山駅に行くことが出来る.来た道を戻って山越えせず,谷をそのまま下ることにした.

 階段を下りると林道に出た.青山高原へは,西へ登りの山道が付いていた.すぐ東は沢筋になっている.二川トンネルと溝口トンネルの間の鉄道橋の下部構造を見るために,沢筋を少し遡上してみた.装備が無いので足が濡れたが深くはない.ちょっと上流に小さな滝があって遡上は途中であきらめたが橋の下部構造は見えた.先と同様のコンクリートで固められた物であった.ただ,梶ヶ広・惣谷トンネル間の橋より規模は大きく水面から軌道面まではかなりの高さがあった.

 ちなみに沢筋には上流に向かって小道が地形図で記載されている.軌道をくぐった後,本流から離れてやや西の脇の谷を遡上する様に記載されている.実際,道があるようには見えず,とても進めるような感じではなかった.

 戻って林道を下る.東の対岸に崖を切り取ったスペースが地形図に記載されている.林道は沢を横切ってそのスペースに行く様になっていた.見るとそのスペースには産廃があった.どう見ても違法投棄である.こんな山奥にまで・・・,という気持ちである.水質汚染も気になった.

 考えるとそのスペースは,トンネル工事の飯場跡ではなかろうか.完成したトンネルだけを見るのではなく,トンネルを掘る工事の事も考えた方がよい.昭和の初めに行なわれたトンネル工事に関して,この林道の重要性を認識した.林道は地形図でも分かるように険しい谷に作られている.でも歩くのは快適であった.

 さてこの沢は近鉄のパンフレットによると大村川と云う.なるほど地形図の「佐田」と「二本木」をつなぐとそうであるのが分かる.実は大村川は,「中勢鉄道」廃線跡で登場した川である.近鉄の大三駅の南でお互い近づき,大村川が雲出川に合流する直前に鉄橋で川を渡るのであった.大村川の源流部にいることが分かって不思議な縁を感じた.また,ここから榊原温泉口駅付近までの小川,例えば猪の倉橋で旧線といっしょに渡った川,梶ヶ広トンネルと惣谷トンネルの間の沢,惣谷トンネル西口の人工的に流路が付けられた水路は全て大村川の支流であった.

 てくてく林道を下る.途中の沢に構造物があり鉄砲水のモニターかもしれない.現線の垣内トンネルの東口が見えてきた.垣内トンネルの東にある橋梁の規模は大きく,目を見張った.橋梁の下部はトラス構造をしていて鉄骨は赤く塗られていた.規模は全く異なるが,先の猪の倉橋の歩道橋と同様の造りでちょっと変わっている.車窓から見えない部分が見えて満足した.後で調べて,大村川橋梁と云うと分かった.

 現線の垣内トンネルの軌道面は標高150m位と読める.一方旧線の二川・溝口トンネルの間の軌道面は標高225m位であり,かなりの標高差があることがわかる.大村川橋梁の現線から下の林道までは30m位はありそうである.大村川の源流の谷はそれだけ険しかったことになる.

 谷がやや開け,里は近い.「あまごといのしし」を喰わせる料亭があり,車が数台止まっていた.青山高原への車道をくぐると林道終点である.標識には,林道二川線,とある.大村川のこの源流部を,二川,と云うのであろうか.そうなら,”二川トンネル”の意味も明瞭である.

 舗装道路に出て,北はすぐ先ほどくぐった青山高原への分岐である.ここから先は,「四季のさと」で路上駐車禁止の看板が多い.先の駐車場は有料である.車道を歩いて現線をくぐり東青山駅に到着した.

 駅に着いたのは午後2時半で,5時間40分位の廃線歩きであった.途中,一旦駅前の「四季のさと」を通過したので,2つのパートをこなしたことにもなる.

 今日は,廃線歩きといっても軌道そのものを歩いたのは短い距離であった.しかし満足感は大きかった.

つづき