明くる日,10月12日.大阪から朝一番の快速急行で東青山駅に来た.天気は悪い.昨日,駅の掲示で布引の滝の南にある溝口トンネル西口と滝谷トンネル東口が載っているハイキング図を見つけていた.これは略図ではあるが,よく出回っているパンフレットには無い情報が書かれていた.古い方のB4のパンフレットには滝から沢に沿って下る道は無く,新しい方のA4のパンフレットにいたっては布引の滝のある滝谷の沢に降りる道も除かれていた.一方地形図では,滝谷の遡上は滝に至る手前で行き止まりのように描かれていた.駅のハイキング図では,実際は滝まで道があることや山越えの林道から滝谷に降りることが出来るのも分かった.ちなみに駅のハイキング図では旧東青山駅は無く,もちろん廃駅への道も書かれていなかった.地形図を見れば旧東青山駅は平坦な地形として明瞭に判別できる.旧西青山駅からのトンネルの長さを計算しても場所は確かである.

 昨日の最後,青山高原への車道を見たが,今日はその車道で尾根筋に出ることにする.

 駅前には昨日榊原温泉口駅のホームで見たのと同じ風車発電の解説看板があった.今日は駅から車道を行かず,昨日駅前で見つけた構内をくぐる歩道で近道をした.歩道の階段が車道に合流する地点には駅への案内は無かった.昨日,分からなかったはずである.合流地点は二川林道が車道に合流する地点と青山高原への車道の分岐の間であった.昨日は遠回りをしたことになる.

 歩道が車道に合流する地点から,僅かに戻れば先の青山高原への車道である.駅の地図では尾根の上に霊園があることが書かれていた.車道は脇に歩道も設けた新しくて広い道だが,かなりの登り坂であった.坂を登り切ると,「青山メモリアルパーク」とある.乗渓寺霊園なのだが,洒落た名前が付いている.標高は225mで,ここから北西に尾根に沿って林道が付いている.

 てくてく歩いて,地形図にある行き止まりの分岐を左に見てさらに進むと,「四季のさと」からの東海自然歩道が東から合流してくる.昨日,二川トンネル西口と溝口トンネル東口の間から再び山道を登った地点である.

 少し歩いて滝見台に着いた.ちょうど標高350mの等高線がある場所なので,かなり登ったことになる.滝は音は聞こえるが,霧雨で見えない.ここからハイカーは青山高原の三角点を目指すのが普通だが,目的が違うので谷への急坂を下る.地形図で,下の谷筋には標高277mの表示が記載されている.霊園から,標高にして125m登って,73m降ることになる.

 急坂を降りきって谷に降りると,道しるべがあった.

 谷を遡る方向は,三角点2.9kmと西青山駅8.8km.
 谷を降る方向は,国道165線垣内バス停2.8km.
 戻る方向には,東青山四季のさと3.6kmと東青山駅4.1km.

で,東海自然歩道は近鉄のパンフレットと異なりこの沢筋に一旦降りるようになっている.東海自然歩道の方がハードな山道である.

 一旦,滝谷を少し遡り,飛龍滝と大日滝の2段になっている布引の滝の全容を見る.滝は地形図にも固有名詞が記載された有名な滝である.ここに至るのが難路だけに素晴らしい眺めであった.ただ谷が深いので視界は狭い.旧線時代,東青山駅から北東へ滝谷トンネルの上に付いた滝見の登山道があったそうだが,今は地形図に山越えの道は記載されていない.廃線と共に廃道となったらしい.

 さて,地形図で溝口トンネルと滝谷トンネルの開口部はここから下流の1つ目と2つ目の堰堤の中間,やや北寄りにあると推定していた.ちょうど谷の崖の記載がある部分を通過するすぐ北に当たる.駅のハイキング図では堰堤は2つでその間に旧軌道があると記されていた.3つ目の堰堤のすぐ南は現線の垣内トンネルと新青山トンネルの間の橋梁であるが,それは書かれていなかった.地形図では,昨日の二川トンネルと溝口トンネルの間の軌道の土盛りは記載されていたが,こっちには何の印も無かった.沢筋の道から軌道面に行けるのかどうかも事前には分からなかった.谷の底から高みに軌道を見るだけかもしれない.

 滝谷川の左岸に付いている小道を南へ下る.布引の滝よりは規模が小さいが,連続した立派な滝があった.1つ目の堰堤を通過する.この辺は良く整備された山道である.だんだんどきどきしてきた.

 周りをきょろきょろしながら歩くと,いきなり軌道面に出た.左右にトンネル開口部が見える.軌道は,谷筋の道と平面交差していたわけである.溝口トンネル西口も滝谷トンネル東口も柵は壊されていた.トンネル間は100mもない位で,昨日の二川トンネルと溝口トンネルの間より短く感じた.谷も同様に深い感じで,水面まで距離があった.橋は10m位,例の四角な開口部の幅は5m位で,二川・溝口トンネルの間の橋と同様,沢筋にやや斜めに架かっていた.

 両トンネルとも懐中電灯で照らして少し中に入った.バラスはそのまま残っている感じがした.ガスで懐中電灯の明かりは空中に光の筋ができた.トンネルの壁や天井はコンクリートブロックが規則的に積まれていて綺麗であった.

 ここに来ることが出来て,しかも軌道面に立てて満足した.旧軌道が現役であった時は,沢筋を遡上して滝へ向かうハイカーはここでレールを跨いだことになる.電車はかなり頻繁であったので,こんな深い山の中で電車の通過待ちをする気持ちは如何であったろうか.

 さて,ここの軌道面の標高は,地形図に人工物の記載が無いので精度が悪い.西の滝谷トンネル(726.9m)の西出口の旧東青山駅を含む平らな部分に標高280mの記載があり,また溝口・二川トンネルの間は225mと推定出来ている.ここが標高255mなら東西がほぼ一定勾配と計算できる.地形図でも255mは矛盾しない.勾配は32〜34‰と計算でき,東からずっと33.3‰の一定勾配が続いているらしい.  ここは地形図で布引の滝の印から南東に13mmなので320〜330mの距離になる.溝口トンネルと滝谷トンネルの間の軌道は,東に向かって真東から北寄りに40度の方向である.鉄道の軌道は滑らかなので,溝口トンネルはトンネル内で大きくゆったりと南にカーブしていることになる.

 旧軌道とのクロス部分を後にし,さらに沢筋を下る.すぐに崖の部分を通過する.2カ所,崖に丸太を数本渡しただけの場所があり,赤い危険標識は付いているのだが,文字通り危険である.しかも2本目は丸太がゆるんでいてぐらぐらした.谷底までは相当の距離があり安全な所から見下ろすだけでも恐怖感がある.ハイキング道によくある柵はなく,難路といえる.

 2番目の堰堤に着く.歩いた距離感から,軌道は2つの堰堤の中間よりやや北にある事が分かった.地形図で正確な位置が同定できた.駅にあったガイド図では軌道が沢筋を横切る位置が南にずれているが,これは概略図なので仕方なかろう.

 考えるとこの沢筋はトンネル工事用にはあまり役に立たなかったと思われる.二川・溝口トンネル間へ行く林道と全然様子が異なり地形はもっと険しかった.結構立派な2連の滝があったが,見とれると危険である.不意に近鉄の警笛が聞こえた.谷が深いので大きく響く.びっくりして下に落ちないようにせねばならない.

 山道が尽き,林道に出た.それまでは,「砂防指定地 三重県」ということが分かった.現線が見え,もう一つ堰堤があった.林道を少し行った地点は現線を真横から見る高さである.そこは,新青山トンネルと垣内トンネルの間の僅かの間に車窓からよく見た場所であった.現線の橋はコンクリート橋で,当然だが頑丈そうであった.

 たたずんで電車の通過を眺めた.
 9時53分,上本町8:15の急行通過.乗ってきた電車の2本後(2時間後)の電車.
 9時55分,後を追って団体用の水色の電車通過.
 9時57分,東行きの伊勢志摩ライナー通過.
 10時02分,名古屋行きアーバンライナー通過.
 10時04分,難波行きアーバンライナー通過.
 東行きの電車は警笛を鳴らさず,西行きが鳴らすことが分かった.そういえば東青山駅で特急待ちをしていると,名阪特急が上り下り共にほぼ同時に通過するのを見かけた気がする.

 林道には垣内トンネル西口への工事用の道路があり,正確には覚えていないが,”巡回警備中”というのが柵止めに架かっていた.垣内トンネル西口はすぐに同じ高さに見えている.新青山トンネルの東口は車窓からしか見たことがなく,斜めから見ると開口部が良く見え立派であった.ちなみに新青山トンネルは,開通時,私鉄では最長であった.

 林道は急な下り坂で現線の橋をくぐる.開口部は橋本体の左岸部に独立に作られていた.左岸には変電所があり,すぐ南の鉄塔から送電線が引き込まれていた.東西に走る幹線の送電線は地形図にもあり,山を越えて東旧青山駅付近も通っている.旧線当時も電気を供給したのであろう.

 変電所への階段を見るとすぐ舗装道路に出る.来た道は滝谷だがここで垣内川に合流する.滝谷川が垣内川に合流する直前に架かる道路橋を渡った所には保養施設があって,そこまでは道路は良く整備されていた.

 川を下らずに,予定通り垣内川を遡る.1km上流に東青山駅跡付近の平坦な土地がある.駅は,川筋が人工的に暗渠にされているので地形図で良く分かる.駅を建設する際にそういう治水工事が為されたらしい.

 保養施設を過ぎると道は狭く,勾配もきつくなる.地形図にある小橋を渡って,垣内川の右岸に移る.そこからはすごい登り阪である.川筋は両岸が崖で大きな水の音がする.地形図を良く見ると滝の印があることが分かった.滝のすぐ上流が暗渠の出口である.天気が悪くガスがかかっているので滝は全容は見渡せないが,落差のある立派な滝であった.名前が地形図に載っていず,看板もないのはもったいない気がする.

 旧東青山駅が現役であった頃は,駅へのこの道を利用した地元の人も少しはあった違いない.ただ相当の悪路で,さっきの小橋にはキャタピラーが捨ててあった.橋までは車でなんとか来れるかもしれないがここから先は無理な感じがした.駅へは,オフロードバイクは利用できたかもしれない.

 急坂を登りきると平坦な地形になる.ガスが薄くかかっていて幻想的な風景であり,高原の湿原の様にも見える.ただ旧駅のホームが同時に見えている.構内へは数段の丸太の階段があるが腐っていた.足元に気をつけながら降りても,ブッシュですぐ見えている西行きのホームへの階段へはブッシュをかき分けねばならなかった.

 改札と思われる場所付近には,駅があった頃の物が散見出来たが駅舎の残骸は見いだせなかった.駅舎の基礎も地面が自然に帰った形で見つからなかった.東西方向に延びるホームの東の端にある階段につく.階段を上がると島型ホームで白線が明瞭に残っていた.ホームの幅は狭く,白線間は1m強であった.ホームの基礎は木やレールを利用して組まれていた.ホームはアスファルト舗装なので植生は少なかった.

 西行きの本線はホームの北側で,南側は待避線と思われた.待避線の南側は石積みで,その上が来た道になる.ホームに立ち周りを見渡すと,文字通り,廃墟,であった.

 ホームを西へ歩く.ホームは途中が撤去されていて,何やらコンクリートのマウントがこしらえてあった.切れたホームから無理矢理降りると先の道に行く小道が付いていた.先ほど来た道はまだ西へ続いていた.戻ってマウントに上る.西はブッシュで進めそうにない.青山トンネル東口は,ガスと植生で見えなかった.大変残念であった.西行きホームの続きは見えていて,白線が直角に曲がって付いていたことから,ホームの西端部分が残ってることが分かった.

 仕方なく戻り,上下線の間の軌道面を東へ歩く.複線分なので幅が広く,草は刈られていた.バラスはかなり残っていた.北側の東行きのホームは石積みであった.待避線は無く,北側に山が迫っていた.東青山駅は上下線が行き違いが出来るばかりでなく,西行きには待避線があることになる.西に長い青山トンネルを控えているからだと思われた.

 事故の列車は青山トンネルを少し入った地点からこっちに向かって暴走を始めた.駅構内はまだ速度があまり出ていなかったはずである.また,ブレーキが無くなったことも分かったはずである.この先の長い下り坂を考えれば,故意に脱線させるとか,大胆な手が打てなかったものかと思われた.

 さらに東へ歩く.駅構内を出ても軌道跡は草が刈られていた.東行きのホームの東側は階段ではなくスロープになっていた.そこから北東側に,多分,布引の滝へのハイキング道らしい階段が付いているのが見えるが,まず軌道跡を東へ進む.軌道は少し北へカーブして滝谷トンネル西口に着いた.柵は壊されていて少し中に入れてもらった.下り勾配が始まっているのが感じられた.地形図では入口付近に標高280mの記載があり,一方滝谷トンネル東口は255mと計算できたので,33.3‰と思われる勾配はここから榊原温泉口駅付近までほとんどずっと続いているらしい.

 滝谷トンネル入口辺りの南側には鉄柵があった.鉄道用地の境界らしく,その南側は傾斜地であった.西を見ると青山トンネルの開口部と推定される地点までは数百メートル位ありそうで,地形から,山間部に駅を作る場所はここしかないことが分かる.

 戻って,先ほどのハイキング道の入口に行った.概略図の看板があり,やはりこの階段は布引の滝への道だと分かる.階段の途中には岩が落ちていて,階段の鉄柵を曲げて止まっていた.廃道になってからの歴史を感じた.ひょっとすると廃道を示すために意図的に岩を落としたのかもしれない.看板はかなり剥げていたが,麓から駅と滝を結ぶ道も書かれていた.三角をなしているわけで2辺を歩いた事になる.他に青山峠の三角点と丸山草原・(旧)西青山駅への道も記載されていた.左右に注意書きがあり,右は,「観光地はみんなの心がけできれにしましょう」,左は,「火災防止にご協力下さい 白山町観光協議会」とあり,表現が古めかしい.やや西には廃屋があり,ホームと共に廃墟の図を形成していた.

 ここの現役時代の雰囲気に思いを馳せた.少ない下車客はハイカーが多かったに違いない.また,単線ながら幹線として列車交換や通過列車が頻繁であったことが推定される.トンネルの保線の仕事もあるので結構活気があったのではなかろうか.望んでいた駅跡に来た充実感と満足感は大きかった.

 帰ってから,地形図で現在線の新青山トンネルの立体的な位置を推定した.平面的には,旧駅付近から北に僅か100mに東西にトンネルがある.標高は旧駅からマイナス60m位と計算できる.北へ俯角30度位の山体の地下,直線距離で120m弱の位置に現線が通っている事になる.すごく近い.廃墟のすぐそばには現役の複線のトンネルが在るのであった.

 逆に現在線からは新青山トンネル東口から1km弱の地点の,南へ仰角30度の地面に旧線と旧駅があることになる.距離はもちろん同じで近い.現線のトンネル通過時も時々は思い出す必要を感じた.

 滝谷トンネルは駅から見て東北東に向いており,現線の上を横切っている.滝谷トンネル西口から150〜170m位入った直下に新トンネルが掘られているわけである.そこまで行けば電車による地鳴りが聞こえたかもしれない.

 丸太が腐った階段から道に戻る.実は,地形図から道を西へ進めば,途中から平坦な土地を南に300m強引に進めば国道に出れるともくろんでいた.西へ歩く.石垣の上からは西行きホームが眼下に見える.地形図にある暗渠の入口を過ぎる.青山トンネル東口を探すが見通しが利かない.

 しばらく歩くと流れを塞ぐダムに出た.ダムは,流れに斜めに,しかも湾曲して設置されていた.流れをせき止め,人工的に南の山裾に水路を造ったことが分かる.駅付近の地形を人工的に改変している事情が理解できた.

 やや西に流れを北に渡る橋があって鉄筋コンクリートの廃屋があった.集電用のガイシがたくさんあり旧線の変電設備と思われた.西へ進むにつれ道が悪くなり,いよいよ進めなくなった.仕方なく戻る.再び駅の南の石垣の上から駅跡を見た.ガスはいよいよ濃くなり,より幻想的な景色に変わっていた.近くに見下ろすホームの白線が特に印象的であった.



 来た道を戻る.滝谷の分岐に戻ったのは,ちょうど正午であった.広い車道を下る.1.5km位で,垣内集落に入った.地形図は「二本木」に変わる.集落には乗渓寺があった.今日初めに通過した霊園を作った寺であった.集落のはずれに,垣内(かいと)宿跡があり,解説看板があった.うっかりしていた.ここは,初瀬(はせ)街道の宿場なのである.街道は西の奈良盆地から長谷寺を経て,ずっと続き,青山峠越えをし,この宿場に至るのである.車道を降りてきた途中には西へ林道があったが,後でそれが旧街道の分岐であることが分かった.間が抜けていて,自分を恥じた.

 初瀬街道は垣内宿から東へは,「上ノ村宿」(現東青山駅の南の集落)・「中ノ村宿」(以前訪れた白山町郷土資料館あたり)・「二本木宿」(地形図のタイトルで大三駅あたり)と続き,「中ノ村」と「二本木」は,既に触れた中勢鉄道跡等で行ったことがある.

 垣内の集落からさらに歩き,R165に出たら白山町の巡回バスがあることが分かった.しかし時間が合わなかったので東青山駅まで歩いて戻った.最後は,昨日下りてきた二川林道の分岐を左に見,今朝下りた駅からの階段を逆に上って駅へ,到着は午後1時ちょっと前であった.

 時間はまだある.東青山駅のホームに上がると,上下線ともアーバンライナーが通過した.新青山トンネルと垣内トンネルの間で見た現象の,3時間後であることが分かった.特急は,どちらもドアがスライドする新車であった.



 13:11の急行で新青山トンネルを抜け,西青山駅で下車した.車窓からいつも周りを見たが,下車は初めてである.駅はR165を跨ぐ高架駅で新青山トンネルはすぐ見えている.駅の構内にはR165を跨ぐ歩道橋があって保線用の現場に行く事が出来る.もちろん中には入れぬが,同じ目の高さでトンネル方向を見ることが出来た.無人の改札を出て,南に並行する旧線への階段を上る.ハイキング道の起点である.

 これまで廃線歩きは東から西へ向かったが,最後は逆である.

 旧線は,付近が三軒屋信号所なので複線である.軌道跡は広く良く整備されていた.榊原温泉口駅から東青山駅までで見た旧線に沿った鉄塔と同じのが続いていた.

 軌道はいかにも線路跡といった感じで,カーブもゆったりとしているが,かなりの登り勾配である.現線の西青山駅の南の旧線は標高320m位,1.5km先の青山トンネル西口は標高370m位なので,33.3‰の登り勾配が続いていると思われた.

 青山トンネルの勾配は,トンネル自体が長く両口を何処に空けるかの選択に限りがあるので,自動的に勾配が決まる.西口は標高370m,東口が290m位とすれば,勾配は東に下って23‰位となる.トンネル西口もしくは旧西青山駅が峠越えの最高地点になっていると結論できる.

 新トンネルは,西青山駅を出てすぐ東で標高を上げることなく東青山駅までトンネル内で下り勾配である.計算すると旧トンネルと同様,23‰位の勾配である.旧線は,現線の西青山駅の南から旧西青山駅まで上る分だけ多く下らねばならない.旧東青山駅を作る場所は動かせないので,そこから東へは,北へ膨らむルートにして距離を長くしたとしても急勾配になるのは仕方ない.トンネルをなるべく短くするのと裏腹である.  青山川の南に沿って旧線を歩く.R165は川の対岸である.新旧両西青山駅の中間付近で県道767と交差する.地形図の「伊勢路」の南東隅である.交差点は今は旧軌道を崩して平面としているが,当時は軌道の下をくぐっていたのは明白であった.その部分だけ軌道面は壊されていた.

 周りには鉄塔や枕木があって雰囲気は良い.ただ,近鉄の「てくてくマップ」の馬術クラブが近づいてくると軌道に駐車している車が多く目障りであった.ハイキング道は馬術クラブに突き当たると北に折れ,橋を渡って国道に出る.軌道は馬術クラブの敷地内で入れない.西青山駅跡も調べることは出来なかった.

 青山川を渡って,R165を東へ歩く.青山トンネル西口を見たかったからである.馬術クラブをやや高みから見下ろす.敷地は狭く馬が窮屈そうに動いていた.

 国道をしばらく歩く.地形からみて,トンネル西口は国道から死角になっているかもしれない.しかし,国道の南側に付いた歩道部分から,崖の竹藪越しにトンネルを見つけることが出来た.距離は近いが,角度が無いのでつぶさに観察は出来なかったが,はっきりと確認できてうれしかった.

 来た道を戻る.馬術クラブは私にとっては邪魔な存在である.大阪に帰って馬刺でも喰ってやろうか,と不遜な考えが浮かんだ.

 1時間を要して,次の急行で帰路についた.昨日より1時間早い電車で来て,1時間早く帰ることになった.



 二川トンネルの91kmのキロポストの部分で触れたが,帰ってから,おかしな事実を見つけた.山岳路線の勾配等を作図して考えている際に分かったことである.

 旧線の距離を現線の西青山駅から榊原温泉口駅まで,どれくらい遠回りしているかを計算したときである.地形図で旧線をトレースすると11.5kmで,一方時刻表を見ると,上本町起点で,西青山駅は85.8km,榊原温泉口駅は97.4kmで11.6km,なんと現線の距離とほとんど同じではないか.これはおかしい.現線の東青山駅は上本町から93.5kmでこれは地形図でも頷ける.西青山駅〜東青山駅は7.7kmでその内のかなりの距離は新青山トンネル(5652m)である.現線の東青山駅〜榊原温泉口駅を地形図で調べると,2.6km位しかなく,キロ呈の3.9kmより1.3kmも短い.現線のキロ呈は旧線時代をそのまま流用し,実キロとの矛盾を,東青山駅〜榊原温泉口駅に押し込めた事になる.

 これはどうしても腑に落ちない.国鉄などは線路の付け替えで距離が短くなると正直にキロ呈を変えていたではないか.阪急電車も伊丹(仮)駅や三国駅付近の高架化で距離を短くしたではないか.近鉄も運賃や特急料金をキロで計算するので,いくら,”運賃計算キロ”,と称しても不義理な感じがした.

 最後に,「馬」と「距離」でミソを付けられた気分である.だが,旧線歩きは軌道そのものを歩く距離が短かったにもかかわらず,大変満足したのは確かである.