薩摩大口駅の栗野方では、2キロ近くにわたって宮之城線と線路を並べていたが、その跡は2車線道路と化している。L地点で、雑草が生い茂る宮之城線跡を右方へ見送った後も、山野線跡は引き続き道路となって伸びており、私が探訪した平成14年の春には、市山川橋梁があった場所を除いて完成、一般供用されていた。山野線廃線後の早い時期から道路化されていた西菱刈付近と、早晩つながるようであった。
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| 西菱刈駅跡付近に残る「ハエタタキ」 |
西菱刈の駅は、道路に沿ったホーム一本のみの駅であったが、その道路が線路跡を活用して拡幅されたため、プラットホーム等の遺物はない。ただ、駅跡の水俣方に、通票閉塞用の信号線を束ねた電柱(その形から俗にハエタタキと呼ばれる)が、道路わきに1本だけ残されているのが目に付く。
国道268号線のバイパス的役割を担い始めている廃線跡の道路は、さらに菱刈駅跡の先まで続く。伊佐郡唯一の町、菱刈町の玄関口であった菱刈駅跡は、ほかの駅跡と同じような遺物が並んでいる。旅客車両に比べてコンパクトであるわりには形に個性があるからか、ここで鎮座している車両も、貨物列車の最後尾に付いていた車掌車である。駅跡の栗野方には、ハエタタキ型の電柱と農業倉庫が残っていて、物資の集散地であったであろう昔を彷彿とさせる。
ただ、菱刈と聞いて思い浮かぶ、日本一の埋蔵量を誇る菱刈金山は、鉄道駅としてはここが最寄りであるものの、本格的に開山したのが昭和60年ということもあって、当初から鉱石は加治木港までトラック輸送されたのち、四国へ航送されている。つまり、この間に鉄道が入る余地はないわけで、布計金山に関連した輸送では多大な貢献をした山野線も、ここ菱刈の金山ではまったく蚊帳の外であった。
廃線跡の道路は、国道と交差するM地点の先で、少しの間、通学専用道路となった後、再び新しい道路となっている。菱刈中学への通学用途しか考えられない場所にあった前目駅の名残はすでにないが、この道路が突然終わるところでは、少しの間ではあるが、築堤が残されている(N地点)。
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| ホームの残る公園となった湯之尾駅跡 |
やがて、線路跡は線路があった当時の幅のままの、いわゆる昔の雰囲気を残した道路となるが、山野線はすぐ近くの湯之尾温泉街には向かわずに、これをしばらくやり過ごしたところに湯之尾駅を設けていた。ここにはプラットホームと線路が残っているのが特筆されるが、駅跡自体は道の駅として綺麗に整備されており、線路も敷き直したように見えないでもない。
境川にかかっていた橋梁がそのまま残されている(O地点)のを過ぎて、1キロほど先に進むと、三たび「ハエタタキ」が、それも2本残っているところにさしかかる(P地点)。そして、ここから川内川を渡る手前までの廃線跡は、地元の栗野町により、サイクリングロードとして整備されている。
昭和34年に増設されたホーム1本の無人駅・稲葉崎の駅や、山野線で最長を誇った川内川橋梁は跡を残していない。しかし、サイクリングロードの途切れた川内川の栗野方には、廃線後そのまま放置されている築堤が残っている。よく見ると、その北側にはさらに低い土盛りが並行している。これは、川内川の改修に伴う川内川橋梁の架け替えにより、昭和27年に放棄された開通当初の築堤跡なのである。
ここから栗野方へと辿っていくと、大きいほうの築堤に、農道を越えていた小さな橋梁が、簡素なガーダーの上に枕木を載せたまま残っている一方で、旧線の低い築堤の方にも、かなり低いところに橋台が残され、今なお面白い対比を見せている(Q地点)。
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