a. 和歌山市─加太(南海和歌山市内線)
和歌山口(廃駅)─加太 9.15km |
1912.06.16 開業 |
和歌山市─和歌山口(廃駅) 0.80km |
1914.09.25 開業 |
和歌山市─北島 0.8km |
1955.02.15 廃止 |
北島─東松江 1.8km |
1966.12.01 廃止 |
b. 紀三井寺─琴の浦─海南駅前(南海和歌山市内線)
紀三井寺─琴の浦 km |
1911. . 開業 |
琴の浦─黒江 km |
1911. . 開業 |
黒江─日方口 0.32km |
1918.06.21 開業 |
日方口─海南駅前 1.03km |
1929.06.01 開業 |
和歌浦口─海南駅前 7.4km |
1971.01.10 廃止 |
c. 和歌浦口─新和歌浦(南海和歌山市内線)
和歌浦口─新和歌浦 km |
1913. . 開業 |
新和歌浦地内 0.16km |
1914.09.07 開業 |
和歌山市駅─新和歌浦 7.1km |
1971.04.01 廃止 |
d. 新和歌浦─高津子山(新和歌浦ロープウエー)
新和歌浦─高津子山 km |
19 . . 開業 |
新和歌浦─高津子山 km |
1997.02.01 廃止 |
和歌山市─加太 毎時8、10、48、50分(1944年頃) |
和歌山市駅─海南駅前 20分毎(1965年頃) |
和歌山市駅─新和歌浦 20分毎(1965年頃) |
東和歌山駅(現JR和歌山駅)─海南駅前 20分毎(1965年頃) |
東和歌山駅(現JR和歌山駅)─新和歌浦 20分毎(1965年頃) |
新和歌浦─高津子山 20分毎(1997年頃まで変わらず) |
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写真1 旧線と現在の南海加太線の分岐点 (東松江側から和歌山市方を見る。 旧線は手前へ伸びる道。) |
現在南海加太線は、東松江からいったん北上し、紀ノ川駅にて本線と合流していますが、昔は東松江(その当時は現在位置よりも西にあった)からほぼ直線的に現在の和歌山市駅に向かって伸びていました。その東松江駅の和歌山寄り、単線になる部分の南の道が廃線跡になります。現在線との仕切の柵にはレールが使われていますが、旧線のものを使用しているとのことです。すぐに土入川(廃線跡を歩く2では出入川になっていますがミスだと思われます)を現在線の南側を沿うように越えますが、そこにはイギリス積みの煉瓦でできた橋台が残っています。橋を渡り終えると、現在線は北に折れますが、廃線跡はまっすぐ進んでいきます。(写真1)
島橋駅の跡は何も残っていませんが、そのあたりから国道26号にぶつかるまでの間は、ほぼまっすぐな廃線跡が残っています。同じような幅の道が2本平行に走っていますが、北側の道が廃線跡です。
国道26号を越してしばらく行くとガソリンスタンドがありますが、そのあたりに北島駅があったそうです。ガソリンスタンドから伸びる道は、浅井建設の建物の先で行き止まりになります。
| 写真2 紀ノ川西側の河原にかかるガーダー橋 (右に行くと紀ノ川橋梁、和歌山市方。) |
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| 写真3 台風で傾いた橋脚(左から2番目が 傾いたままなのがわかると思う。) |
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回り道をしてその先へ向かうと、紀ノ川橋梁へ向かう緩やかな坂道が確認できます。紀ノ川の河原の手前のところには、ガーダー橋が道路橋として再利用され残っています。(写真2)紀ノ川橋梁は、現在河西橋と名を変え、自動車通行不可の道路橋として再利用されています。両端部分の橋脚はその当時の石積みのままで、和歌山市駅寄りから11番目(水に浸かっている部分では7番目)の橋脚は、ジェーン台風で傾いたままなのがよくわかります。(写真3)
紀ノ川橋梁は和歌山市寄りでやや北寄りに曲がり、渡り終えた廃線跡は市駅の方へ向かっていきます。ちょうど和歌山検車区のあたりに向かっていったようですが、今ではよくわかりません。
南海和歌山市内線は、そのほとんどが道路との併用軌道でした。(写真4)しかし、この紀三井寺─琴の浦間は専用軌道を走っていました。現在の地図では、紀三井寺駅の南側、紀三井寺への参拝道のところから南に点線で廃線跡が示されています。そこは紀三井寺緑道としてきれいに整備されています。
| 写真4 南海和歌山市内線 東和歌山駅前にて (奥に見えるのが国鉄東和歌山(現和歌山)駅舎。) |
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| 写真5 紀三井寺付近の廃線跡 (紀三井寺側から琴の浦方を見る。左の紀 勢線は写真奥で黒江方へ左折していく。) |
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紀三井寺からしばらくは、紀勢線の西側を平行に進んでいきます。紀勢線は黒江の方へ曲がっていきますが、廃線跡は直進します。(写真5)少し行くと布引駅の跡に着きます。単線の幅だった緑道は、その部分では広くなっています。話によれば、ここで列車の交換できたそうです。
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写真6 琴の浦のトンネル跡 (紀三井寺側の坑門。要石と草に 隠れた篇額がわかると思う。) |
そのまま廃線跡はほぼまっすぐ南へ向かい、しばらく行くと紀三井寺公園に着きます。その正門あたりに浜の宮駅があったようです。話によればテニスコート寄りの線路にホームがあったようですが、記憶がはっきりしないとのことでした。この駅は交換駅ではなかったそうです。
さらに道沿いに南下すると、トンネルが現れます。坑門の部分はその当時のままのようで、煉瓦はイギリス積みで要石と篇額もあり、路面電車のものとしては立派すぎるものでした。(写真6)トンネル内は補修されているようで、壁はコンクリートに塗られ、待避所はふたをされていました。トンネルを抜けたところには落石覆いも残っていました。その後すぐに、紀三井寺から平行に走っていた国道が西から近づいてきて、廃線跡はその道に吸収されていきます。
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写真7 市内線新和歌浦駅跡からロープウエー高津子山駅を望む (手前の広い場所が駅跡。高津子山駅は山の上に見える。) |
南海和歌山市内線は和歌浦口から二手に分かれ、一方は新和歌浦へ向かっていました。引き続き併用軌道ではありましたが、話によれば今の道路の中央ではなく、南行車線側を通っていたそうです。
道なりに進むと、やけに道の海側が広くなるところがあります。そこが新和歌浦駅の跡です。今はきれいに整地されていて、何も残っていません。そのすぐ先で景色が開けていて、和歌浦港が南側に見えます。また、新和歌浦駅の跡からは、3.4に書かれてある新和歌浦ロープーウェーの高津子山駅跡がよく見えます。(写真7)。
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写真8 ロープウエー等の廃止を知らせる看板 (ホテル萬波側の上り口にあったもの。) |
実はこの新和歌浦ロープウエーの存在、そして廃止になったことを私は知りませんでした。実は、南海加太線の紀ノ川橋梁跡を歩いているときに、近くに住む廃線派の方に声をかけられまして、(名前を聞かなかった!)その方が勤める住友金属の専用線の跡と、このロープウエーの存在を教えていただいたのです。和歌山市内線の跡を歩くつもりでいたので、新和歌浦に行ったついでに見に行こうと思ったわけです。
この新和歌浦ロープウエーは今年の2月に正式に廃止になったわけですが、運転は1年ほど前に取りやめていました。運転を休止して安全点検をしていたそうですが、その結果、施設を丸ごと作り替えなくてはならなくなり、資金面等から廃止に至ったそうです。
ロープウエー新和歌浦駅へは、先ほどの市内線新和歌浦駅から雑賀崎へ向かう道を上り切ったところにあるホテル萬波のところを折れる道と、雑賀崎への道をさらに進んだところに残っている階段を上がる道の2通りがあります。そのどちらにも営業廃止を知らせる看板が残されていました。(写真8)。
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写真9 新和歌浦駅から高津子山駅を望む (高津子山駅にもう1台のロー プウエーが止まっている。) |
道を上りきったところにロープウエー新和歌浦駅が現れます。休止して1年のわりには、その痛み具合はひどかったです。乗車口は板でふさがれていましたが、降車口はそのままだったのでホームまで上がることができ、残されていた車体(まつかぜ号)と山上駅の様子を確認することができました。(写真9)山上駅の展望台は回転展望台だったようです。また、写真中にスライダーとありますが、これは山上からこのホームのすぐ横まであり、現在も使われてはいませんが残されています。その売りは、「上までロープウエーで行ってスライダーで降りてくる」だったようですが、子供以外には需要がなかったような気がします。
私は時間の関係で新和歌浦駅しか見ていませんが、高津子山駅もなかなか面白そうな気がします。ただそこまで行く道がどうなっているかは責任もてません。
和歌山市駅─北島─野崎─島橋南口─狐島─野崎─北島─和歌山市駅線
和歌山市駅─和歌浦口─紀三井寺─琴の浦─海南駅前─( )線
和歌山市駅─和歌浦口─新和歌浦─雑賀崎線
北島方面の和歌山市駅は1番乗り場です。約40分おきに運行しています。
和歌山市駅─海南駅前間 約40分 520円
和歌山市駅─雑賀崎間、約60分おきに運行しています。
鉄道ファン1983年11月号
鉄道廃線跡を歩く2 宮脇俊三編著
時刻表復刻版(戦後編)
国土地理院地図 25000分の1 和歌山(S22)、海南(S22)
国土地理院地図 25000分の1 和歌山(H5)、海南(H5)
以上