
| 調査区間:焼山〜歌志内 |
| 調査年月:1995年8月中旬 |
歌志内線の路盤は、函館本線と併走しているが、すぐに離れていく。
このあたりの路盤は、草が多くてとても歩ける状態ではない。
焼山駅付近で、ようやく歩けるようになる。踏板が無く警報装置が無い踏切があったようで、踏切の冬季閉鎖の注意書きがあった。
焼山駅は、駅跡碑があった。もう駅はないと判断して、先に進むことにしたが・・・。
文珠駅は、訪れた当時、更地となっており、ショベルカーが走っていた。路盤をいじっている様子だった。その先で、自転車道を造っている工事を実施していた。西歌駅跡は公園となっており、花がきれいだったが、そんなことに目をくれている余裕などない。でも、今度は余裕を持って尋ねることにしよう。
だんだん、山が両脇に迫ってきた。炭坑の建物らしき廃虚も多く見うけられる。雨に濡れて、物悲しく見える。
神威駅は、なんと、全て残っていた。駅舎は、地元の町内会が倉庫として使用しているらしく、大太鼓や御輿などが置いてあった。
そのあたりからは、路盤は川と住宅に挟まれたわずかな空間を縫って走っていた。
歌神駅は、堀 淳一氏の本によれば、駅舎を商店が店舗として使用していたが、電話で問い合わせたところ、仮の店舗だったらしく、すでに使用しておらず、また解体されたときいていた。
果たして、駅舎は跡形も無く、コンクリートのホームの柵が倒れていた。
さて、終点の歌志内駅は、まだ駅が残っていると聞いていたが、歌志内郵便局の新庁舎を建設しているところだった。
線路は、歌志内駅で終わりではなく、その先も続いていて、炭坑へと通じていた。路盤らしき物を確認したが、時間の関係で調査しなかった。
調査が終わった後、テレビドラマ 昨日、悲別で のロケに使われた、悲別ロマン座を見に行った。この作品の脚本を書いた人は、テレビドラマ 北の国から や、映画 駅 STATION で有名な、倉本 聰氏である。
ここは、作品中では劇場として使われていたが、今でも劇場として使われている。倉本氏が主宰している劇団 富良野塾が時折、劇を公演している。
ここで写真(写ルンです)を撮影してフィルムを使い切った後、砂川駅へ自転車で急いでいたら、焼山駅の待合室とホームらしいのが見えた!
そうです、予備の 写ルンです がないので写真撮影は不可能で、また、時間の関係で調査できなかったのです。
皆さんも、時間の余裕を持って調査しませう!