そしていかにも鉄道跡らしいゆったりとした右カーブを曲がった先に、樫曲・獺河内の両トンネルが連続して現存しているのが見えてくる(G地点)。道路としてはトンネルは北行き一方通行になっていて、そばに土砂作業場があるせいかポータルの汚れが激しいが、突然目に入ってくるそのものズバリの遺物は、印象的な光景として我々の前に迫ってくる。
そのまま北陸道に沿って北上すると、やがてその北陸道をアンダークロスするが、このあたりが新保駅のあった場所である。ここは当初は信号所として開設され、後に昇格した駅であった。アンダークロスしてすぐ右手の所に駅跡を示す石碑があり、これにはスイッチバックしていた構内配線図も詳しく記してあるので、現在の地形(木ノ芽川にかかる複線分の橋梁橋桁や、敦賀方向に残っている1番線に相当する線路敷跡等)と見比べて当時の様子を想像することができる。
また今庄方の引上線は、北陸トンネルの工事期間中は線路が延長されて、葉原竪坑への資材運搬のための拠点となっていたという。
さらにぐんぐん登り、葉原の集落をすぎると無人地帯に入り、道が狭くなって廃線跡の趣が増してくる。SLの撮影名所であった葉原の大カーブ(H地点)を左に曲がると、北陸道が寄り添うようになり、やがて正面に葉原トンネルが見えてくる。
トンネルの手前には、これまたスイッチバック構造を持っていた葉原信号場があったはずだが、本線の左手今庄方の引上線跡は埋められ、敦賀方にあった信号場跡もすぐとなりに迫る北陸道に浸食されてしまったようである。
さて、葉原トンネルであるが、長いうえに途中でカーブしているために、信号機がついている。このトンネルは、平成8年2月に起きた北海道豊浜トンネル岩盤崩落事故の直後から通行止めの措置がとられ、管理者の敦賀市によるトンネルの形態・動態調査がなされた。その結果、改修工事が必要であることが分かったために、引き続き通行止めの上、改修工事を行って、平成9年12月にようやく再開通したという経緯がある。敦賀市によると、歴史のあるトンネルであるので、出来るだけ形状を変えない施工方法を心がけたとのことである。
 |
このようなトンネルが連続して現れるようになる(I地点) |
鉄道現役時代には、葉原トンネルを抜けたところが、突然左手に海を望む絶景が広がる印象的なポイントであったのだが、現在では憎き北陸道が今度は景色の邪魔をしていて、廃線跡から海は見えにくくなっている。
さらにごく短いトンネルと、少し長い曲線トンネルを続けざまにくぐると、杉津駅のあった地点にさしかかるが、駅跡は北陸道上り線の杉津パーキングエリアになっているため、優美な曲線を描いていた構内の雰囲気はない。パーキングエリアに景色の良いところを奪われて、すみに追いやられた格好になった廃線跡の道路からは、俯瞰で海を見下ろす絶景も見えにくくなっているが、ここからの景色は何度見ても飽きることはない。
今も昔もここからの景色は変わらない、と言いたいところであるが、対岸の半島に原子力発電所のドームが見えるのが、現代であるということをいやがおうにも呼び覚まさせる。
杉津から先は北陸道と別れることにより、人工的な音が周りから消えて、鳥のさえずりが急に耳に入るようになる。道の通行量は杉津までと変わらないのに、音が静かになるだけで、落ちついてトンネルの中なども観ることができるようになるのは、不思議なものである。
特に草の少ない春先などは、トンネルの合間の景色も思う存分楽しむこともできて、申し分ない。ここが、山中越えで現役当時の雰囲気を最もそのままに残す区間であり、山あいの無人地帯を数々のトンネルでつらぬいて進んでいく。
実はこのトンネル群も、先ほどの葉原トンネルと同様な理由により、平成10年の4月末まで通行することができなかった。こちらは県による施工だが、オリジナルの姿を極力変えないよう留意した上で改修工事が行われた点は、葉原トンネルと同様である。
この区間のサミットは最後の山中トンネルになる。ここは1キロ以上と相当長いわりには、完全な一直線のトンネルであるためか入口に信号はなく、対向車がないことを充分確認してからトンネルに入らなけらばならない。
|