5:朱鞠内〜湖畔

 朱鞠内駅の構内を抜けるとまもなく、国道の踏切を渡って、国道275号とはしばしお別れをしていた。 その先で第6雨竜川橋梁(コンクリート桁との併用で、コンクリート桁の長さは不明)を渡っていた。

第6雨竜川橋梁
第6雨竜川橋梁 全景(第4次調査時)

 第3次調査時にこの橋梁の橋側歩道の柵が一部、外側に大きく歪み、橋側歩道の支柱とコンクリート桁との接合箇所に亀裂が見受けられていたのが気になっていたが、第4次調査時には、橋側歩道は脱落していた。おそらく、平成08年の冬に、雪の重みで崩壊したのだろう。

 第6雨竜川橋梁を渡っていると、かつては左手に桁の架かっていない新しい橋脚があったが、第4次調査時には撤去されていた。情報によれば、平成09年05月の時点で撤去されていたそうだ。おそらく、平成08年09月〜12月の間に撤去されたのだろう。橋梁は、本来ならば名羽線の第1名羽雨竜川橋梁となるはずだった。

 名羽線(朱鞠内〜羽幌)は、石炭などの地下資源や豊富な森林資源などの開発を目的として昭和30年代後半に建設が始まったが、炭坑の閉山、国鉄羽幌線の廃止などで9割程建設が終了したところで中止された。現在も、隧道や橋梁の橋脚、築堤などの構造物が山中に放置されている。第6雨竜川橋梁を渡るとそば畑が左右に広がり、左手のそば畑の奥には、名羽線の築堤が見えていた。

 80キロ地点を過ぎるとまもなく第7雨竜川橋梁を渡り、長らく車窓を楽しませてくれた雨竜川とはここで別れていた。JRバスまどか前バス停の近くには、笹の墓標展示館(無料)となっている旧光顕寺がある。この寺は、名雨線(深名線朱鞠内〜名寄)の建設と朱鞠内湖・雨竜ダムの建設の際の死者が運び込まれた所である。


湖畔駅
在りし日の湖畔駅(平成07年08月12日)

 名雨線建設と雨竜ダムなどの工事では、当時の朝鮮から連れてこられてきた方を含むタコ部屋労働者が使われ、大勢の尊い犠牲者を出した。パンフレットによると、雨に濡れたまま寺に次々と運び込まれる死体の為に、寺の畳が腐って抜け落ちたそうだ。展示館には、深名線の建設時の写真を含む当時の資料がある。

 戦前の北海道では、この深名線を始めとする路線・道路建設などの土木工事、鉱山採掘などは、初期は囚人労働、後にタコ部屋労働(斡旋に始まって、中国・朝鮮から騙されたり人さらい同様に連行されてきた例や、挙げ句の果てには捕虜まで動員した例もあった。)といった強制労働の上に成りたっていた事を忘れるべきではないだろう。
深名線の事を知りたかったら、まず、この記念館を訪ねるべきであろう。

 さて、朱鞠内川橋梁(詳細な資料なし)を渡ると、左手に元仮乗降場の湖畔駅があったが、第3次調査時に残っていたホームは第4次調査時には撤去されていた。私にとって思い出の多い湖畔駅は見る影も形も無くなってしまった・・・。




6:湖畔〜白樺※この区間のトンネルは崩落する恐れがございます

 湖畔駅を出発すると、宇津内川橋梁(コンクリート橋)を渡っていた。第4次調査時に残っていた宇津内川橋梁は、日本国有鉄道百年史によれば、国有鉄道で他に例がないコンクリートゲルバー橋梁であったそうだが、平成11年の08月には既に解体されてなくなっていたそうだ。この橋梁は技術史に残る貴重な橋梁であったのだが、なくなってしまって非常に残念である。

宇津内川橋梁
宇津内川橋梁(第4次調査時)
  
宇津内トンネル
宇津内トンネル 深川側坑口(第4次調査時)

 宇津内川橋梁を渡ると森に突入し、しばらくの間坂を登って宇津内トンネルに突入していた。

 坂を下って朱鞠内湖に通ずる林道が横切ったところで85キロ地点を過ぎていた。かつてはその辺りに宇津内駅があったが、昭和24年頃になくなった。宇津内駅の位置については、朱鞠内駅のノートに書き残していった人によれば、85キロポストの手前にあったのではないかと推測している。第4次調査では駅の位置を割り出すに至らなかったが、周囲の状況から彼の意見を支持する。

85キロ地点 レール表記
85キロ地点 レール表記(第4次調査時)
  
85キロ地点 名寄方
85キロ地点 名寄方(第4次調査時)

 時折、森の切れ間から笹薮を見下ろしながら坂を越えて、左手に山々を眺めつつ第2宇津内川橋梁を渡ってから坂を再度登りきると、かつては35キロの速度制限標が見えて線路がわずかに右へそれていた。以前はその左手に蕗ノ台駅があった。第4次調査時には、駅周辺の広大な空地に撤去したレールなどの残骸が山積みになっていた。

 ・・・私がここを訪れたのは、平成10年10月中旬の、暖かい昼下がりであった。廃止直前には藪となっていた駅の跡地は、草が取り払われて残骸の山となっていた。陽炎が昇るレールの行方をぼんやりと眺めていると、朱鞠内の方から唸りを上げて接近してくるものがあった。何事かと注視していると、陽炎の向こうからモーターカーが坂を越えてきて、私の目の前に現れた。

蕗ノ台駅にて1

 モーターカーがゆっくりと停止したかと思うと運転士が近くに止めてあった重機に乗り込んで、モーターカーの後ろに積んであった線路などの残骸を黙々おろし始めた。多くの時間と、血と汗と涙を費やしてやっと完成した路線の終焉を告げる、とてもさびしい光景であった。モーターカーの乾いたエンジン音と、残骸の山を作っている重機の唸りだけが、山奥に空しく響き渡っていた・・・。

蕗ノ台駅にて2

 第2雨竜トンネルをくぐりつつ泥川橋梁を渡ると、かつては速度制限標が見えて線路がわずかに右へそれていた。この左手には、冬には営業を休止する白樺駅があったが、やはり、路線廃止前になくなっている。左手にホームへ降りる階段などが残っている位だ。




7:白樺〜名寄※この区間のトンネルは崩落する恐れがございます

 白樺駅を過ぎると、かつて、列車の右手に一瞬だけ朱鞠内湖が湿地帯の奥に見えていた。この一瞬の景色はすばらしいと思う。列車はかつてブトカマベツ川橋梁を渡って太釜トンネルに突入していたが、内部には亀裂が多数あり、水蒸気が立ち上っていたそうだ。

 母子里隧道を抜けて、沼除川橋梁を渡ると北母子里駅が左手にあった。北母子里駅は、平成09年頃に駅舎が撤去されてしまった。

 北母子里駅の先で再び国道275号と出会っていたが、第4次調査時には、踏切の脇に山積みされていた線路はすっかり片付けられていた。国道275号と別れて牧草地から離れ、まもなく坂を登り始め、100キロ地点を過ぎたところで坂を上り詰めていた。

初茶志内トンネル
初茶志内トンネル 深川側坑口(第4次調査時)

 一度坂を下り、坂を再度上り詰めたところで、かつては4箇所の隧道をくぐりつつ、9km程森の中の坂を下っていた。最初の隧道は、深名線で最長を誇る名雨トンネルである。下り列車だと通過するのに2分近くかかっていた。

 名雨トンネルを抜けるとすぐに熊牛内トンネルに突入していた。この辺りから半径250mの急カーブが随所にあった。中ノ沢トンネルを抜け、右手にふもとを眺めながら初茶志内トンネルを抜けていた。

 初茶志内トンネルの出口から3km程進むと坂も終わり、左手に天塩弥生駅(旧称初茶志内駅)があったが、第4次調査時には全て撤去されていた。廃止直前に駅の脇で建設中だった民家が完成していたのを見て、時の流れというものを感じた。

天塩弥生駅
在りし日の天塩弥生駅(平成07年08月12日)
  
西名寄駅
在りし日の西名寄駅(平成07年08月12日)

 左手にあった西名寄駅は第3次調査時には残っていたが、ライスターミナルが建設された為、全て撤去された。

天塩川橋梁
最末期の天塩川橋梁(第4次調査時)

 廃止後に完成した国道40号バイパスの先で天塩川橋梁を渡っていたが、第4次調査時の平成10年11月から撤去工事が始まっていた。なお、橋脚などのコンクリート片は、リサイクルと称して堤防の中に埋められたそうだ。

 天塩川を渡ると、市街地で120キロ地点を過ぎ、左カーブを曲がって宗谷本線と合流して名寄駅に至っていた。以前は0番乗り場で発着していたが、除雪の都合と名寄本線の廃止によってホームに余裕が出来た為、末期は3番乗り場へと移動していた。

 全長121km795mの深名線の線路は、ここで終わっていた。


 この深名線の跡地をたどる旅は、鉄道が廃止となった直後の平成07年09月05日に、板橋様と2人で湖畔駅から朱鞠内駅までの1.890kmを歩いたのが始まりだった。
 この路線を調査しようとしたきっかけは、路線の最期を見届けた事、労働者の多大な犠牲を費やして開通した路線の血と汗と涙の結晶を記録しようと思った事、水田やそば畑、雨竜川や朱鞠内湖といった沿線の美しい風景と、そこに住む住民の人情などに魅せられた事、そして、平成07年09月05日の思い出が忘れられなかった為である。




最後に、一個人の趣味に協力して下さった方々に感謝の意を込めて、ここに名前を挙げさせていただきます。

協力者(平成07年09月05日第1次調査より)

地元住民(この方々の温かいまなざしで、調査を続行する事ができました)

資料提供者など(貴重な情報の提供のおかげで、調査が捗りました)

 この本文は、野本様を始めとする知人各位のご指導と最新情報なしには完成はありえませんでした。ここで改めて、知人各位に厚く御礼を申し上げます。
そして、深名線跡地調査の原動力である、とてもすばらしい思い出を下さった仙台市の板橋様に、厚く御礼を申し上げます。

 末筆になりましたが、この路線の建設工事で命を落とされた方、特に朝鮮から強制的に日本に連れてこられて、遠く望郷の念にかられつつも、志半ばにしてこの地で命を落とされた方に深い哀悼の意を表したいと思います。
そして、列車の運行、除雪、保線などに携わった全ての関係者に敬意を表したいと思います。