大屋を西方に出ると、高架道路をくぐったあたりから信越本線、および当線の上田東方面へ向かう線路と分かれ、左にカーブして千曲川を渡っていた。
この全長190メートル余の千曲川橋梁は、当初は5つあった桁すべてが、トラス高の低いクラシックな形の平行弦トラスであったのだが、昭和3年8月に洪水による被害を受けて、丸子町方の2連のみ、九州鉄道で使われていた、これまた古い曲弦トラスに架け替えられた。英国製とドイツ製のトラスの競演が象徴的であった橋梁は、丸子線廃止の翌々年から、大屋と石井の頭文字から取った大石橋という名の道路橋としてそのまま再利用され、いわば丸子線跡のランドマークであった(E地点)。
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丸子線の名残を残していた大石橋は 架け換え工事中であった(E地点) |
さらには、この橋梁は土木史上も貴重であったらしく、土木学会の日本の橋2000選に選ばれてもいた。
ところが、平成13年の夏の調査で、一部の橋脚の基部に空洞が見つかり、通行止めの措置がとられていたところへ、9月の台風15号に伴う千曲川の増水によって、橋脚が倒壊、橋桁も落橋してしまい、結果すべてが撤去されてしまった。
実は、それまでにも、部分的にに被害を受けたことがあって、一部の橋脚はコンクリート製のものに交換されながらも、橋桁は鉄道時代のものが使われつづけていたのだが、平成13年の水害の被害は、とうとう橋梁すべてを根本的に架け替えさせてしまったのである。
平成15年秋の探訪時には、新しい大石橋のための橋台および橋脚が、目にも眩いほどの新しいコンクリートの姿を見せているだけであった。それにしても、平常時は穏やかな流れに見える千曲川であるが、大石橋から10キロほど上流にある、旧布引電気鉄道の橋脚を倒したり痛めつけたりしていることからも、増水時の破壊力には計り知れないものがあるようだ。
この先の丸子線跡は、結論から言うと、線路跡がそのまま道路化されている。そのため、線路跡のルートを類推する楽しみはなく、廃線跡歩きの魅力のひとつは確実に失われているのだが、所々に鉄道時代の置き土産を見つけることができる。
下長瀬を過ぎ、長瀬駅跡あたりまでは、廃線跡の道路が拡幅されているため、面白みはない。長瀬駅跡のそばにJAがあることくらいが、名残といえるだろうか。
少々退屈だった廃線跡の道路歩きが少し面白くなるのが、下丸子→信濃丸子→丸子鐘紡前と2度もの駅名の変遷をみた駅跡のあたりに来てからである。ここでは、右カーブを切りながら駅跡に進入するところで、道路の右側の水田が、道路の幅より余計に後退していく。つまり、おぼろげながら線路が分岐していた敷地の形の名残を感じることができる。
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