400.打保 茂祐さん
「廃線跡を旅する」のサイトを見つけ鹿児島交通・志布志線が、記載されていましたので拝見致しました。
昭和52〜58年にかけ九州の大分・熊本に在住していました。当時から列車に興味があって53年に最南端の私鉄である鹿児島交通に乗車したくなり出かけました。大分→熊本→伊集院→加世田→枕崎→西鹿児島→国分→志布志→都城→宮崎→大分と廻ってきました。鹿児島交通は、3日間掛けて沿線風景を撮影しました。
もう乗車して四半世紀が経って当時撮影した鹿児島交通のネガも何処にしまったのか所在不明となり記憶も薄らいで来ていましたが、HP内の写真を見て薄れかけていた記憶がまたよみがえり懐かしく感じています。駅舎横(何処の駅だったか記憶が曖昧)にて簡易テントで宿泊していたら警察に不審尋問された事もありました。
この旅で乗車した鹿児島交通・国鉄大隅線や志布志線が廃線となり九州新幹線開業に伴い鹿児島本線(八代〜川内間)の第三セクター化と大きく様変わりしなにか寂しさを感じます。九州の国鉄線は、北海道と並び多くの線が廃線・第三セクター化となり乗車した線も多くあります。廃線跡の写真・内容を見ているだけでも思い出される事が多くあり忘れかけていた青春の1ページが蘇りました。


399.九州の初心者さん
北条鉄道の内紛は一応の収束へ。 加西市長がようやく社長就任へ。
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/ho/00045457ho200612161000.shtml


398.garakutaさん
野上電鉄沖野々駅は、国道370号線の大十オレンジバス沖野々バス停付近にある押しボタン信号の位置にありました。沖野々駅の中に押しボタンがありました。


397.九州の初心者さん
北条鉄道が混迷の極にあるようです。資金ショートによる突然死なんていうみっともない事態だけはみたくないです。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/00044538sg200512261000.shtml


396.鶴田 壮平さん
お体の具合はいかがでしょうか? 遅ればせながら「一両目の真実」を拝見致しました。
あの事故は、同じ仕事をしている自分にさえ「速度超過で脱線転覆なんて・・・」と驚きを隠せない物でした。
同じ仕事をしている者として、運転士側の立場に立つ事は簡単です。
しかし、今日こちらを拝見してそれでは絶対にいけないという事を再認識させられました。
「安全と定時」もしかしたら相反する事なのかもしれません、だけどそれを達成させていかなければならない事が自分たちの最大の使命であると思いました。
もしお許しいただけるのならば、印刷して職場で公開したいと思うのですがよろしいでしょうか?
長文駄文で、失礼致しました。


395.鱒寿司大好きさん
富山地鉄射水線ですが、北陸線の跨線橋の写真がありました。
http://www.geocities.jp/ynydw981/jpg/level1/005.jpg
廃止前年の昭和54年撮影です。


394.たかしさん
感動しました! あの、生還の場面は特に。
マスコミで紹介されていない、事実があの1両目の中にはあったのですね?
これは、もっともっと多くの人に読んでもらうべき真実だと思います。


394.にしやんさん 
福知山線脱線事故の手記を読ませていただきました。
現在私は中国に中国語を勉強するために留学しておりますが中国国営放送のニュース内で報道されたときは衝撃を感じました。
訪中した後よく中国の友人に日本の鉄道は安全で快適だと自慢をよくしていたのですが冷や水を浴びせられた形になりました。
現在も中国にいることもあり事故のことはインターネットの報道以外ではよく知ることができません。
今回手記を読み事故のことを詳しく知ることが出来ました。
考えさせられる内容がありました。
ありがとうございました。


393.なつのさん
初めまして、やじうまWatchというサイトで紹介されていたので拝見させて頂きました。
2005年4月25日のあの事故は、未だ記憶に新しく私もネット上で色々とニュースを見ておりました。
今回読ませて頂いた手記は、マスコミを通したニュースよりも遥かに現実味が溢れ、その内容に大変驚きました。
吉田様の苦痛は私たちネットユーザーには必ずしも届きません。ですが吉田様が書き綴った文章から共感することは出来ます。慌てず落ち着きながら、ご自愛ください。
それでは失礼しました。


392.岩田 祐一さん
福知山線事故の模様、そして廃線跡の各ページ、非常に没入して一気に拝見させていただきました。
いくつかの廃線跡は身近なところであり(奥多摩etc.)、特に親近感湧いた次第です。
少しでもよりよきご回復、お祈りしております。


391.Yasuhiko Kambeさん 
「一両目の真実」を拝見しました。驚き、ショックを受けました。あの事故についてのサイトを探していて、「一両目の真実」を知り内容を読んだ後、トップページにアクセスしてびっくりしました。当事者が、ロムオンリーでしたが以前より興味深く拝見させていただいていた「The Ruins of Rail」の吉田様だったとは。しかも1両目の奇跡的な生存者のお一人とは…。何か他人事でないような、強いショックを受けました。遅ればせながら、心よりお見舞い申し上げます。
幸いにも私の身内・知り合いにはあの事故の被害者はおりませんが、一鉄道ファンながら「JRになってからはもう歴史的な大惨事(三河島事故など)は再発しないだろう」とタカをくくっていたのを内心情けなく思います。報道も9月に入ってから、一段と続報が減ったように感じます。「できればこのまま無かったことにしたい」、そんな本音もJRサイド(西だけでなく他社も)にはあるのではないでしょうか。しかし、それは犠牲者とご遺族に対しての侮辱以外何者でもありません。そうした風化をさせないためにも、誠に微力ながらリンクを貼らせていただきました。
吉田様ならびに他の生存者の方々のご回復と社会復帰を、蔭ながらお祈り申し上げます。辛いこともあると思いますが、どうか亡くなった方々の分まで生き抜いてほしい。そして最後に、犠牲者の方々のご冥福を改めてお祈り申し上げます。


390.ソルトさん 
はじめまして、こちらのホームページは福知山線の事故前から見させていただいておりました、事故後こちらのページ上に記された記録を見てTVでしか知ることのできなかった、鉄道事故のすさまじさを知り大変衝撃を受けました、地震、台風などの「天災」とちがい人為的な事故でここまでの被害を出す事故を起こすなんて考えられないことです。一日も早くご回復されますように、そしてこの事故を風化させないようみんなで見守っていきたいですね。
自分は廃線をめぐることはしておりませんが、錦川鉄道(岩日線)とその周辺の写真撮影などしております、未成に終わった岩日北線の今も撮影しております、よかったら見に来てください。


389.中村 浩史さん 
京都市電に続いて,路面電車発祥の「京都電気鉄道」の廃線跡を始めました…という書き込みをしようと思って訪ねましたが,管理人の吉田様があの福知山線の事故に遭遇し,入院しておられることを知り,驚いております。まずは,お見舞い申し上げます。
私も昨年地区の運動会で転倒し,靭帯を切断,一ヶ月半の入院を余儀なくされ,その不自由さは比較的記憶に新しいところですが,全治6ヶ月ともなるとその比ではないと思います。なんと言葉をおかけして良いやら分かりませんが,一刻も早いご回復をお祈り申し上げます。


388.せんろ商會&けいてつ協会本局さん 
  けいてつ協会&せんろ商會プロデュース「トロッコ鉄道展」

東京都の「東村山ふるさと歴史館」では、夏の企画展としてけいてつ協会&せんろ商會プロデュースによる「トロッコ鉄道展」を開催いたします。鉄道保存ボランティア団体の「けいてつ協会」による、各地の軽便鉄道・トロッコ鉄道の保存活動の紹介から、会員のフルスクラッチによるGゲージのトロッコ鉄道模型展示。世界各地のトロッコ画像など展示されます。
また、各種の鉄道イベント・書籍編集の事業をおこなっている「せんろ商會」からは、実物の販売用の「トロッコ」の展示や、各種の出版物などを御案内いたします。
また、けいてつ協会本局・せんろ商會代表の岡本憲之氏による特別展講演会「トロッコ鉄道の保存活動」が8月7日(日)午後2時〜4時に開催されます。

●開催場所 「東村山ふるさと歴史館」
●開催期間 7月24日(日)〜9月4日(日)
  開館時間は9時30分〜17時00分(入館は16時30分まで) 休館日は毎週月曜日
●交通案内 西武鉄道 新宿線・国分寺線「東村山駅」西口下車 徒歩8分
  ※車でのご来館はなるべくご遠慮ください(当館の駐車場は3台のみ)
●入館料  無料
●お問合せ・開催場所 〒189-0021 東京都東村山市諏訪町1-6-3 TEL:042-396-3800
  ※子供たちのために、鉄道おもちゃ達も走ります!!


387.誠一郎さん 
このページを運営さていている吉田さま、このたびの事故で負傷されたこと。こころよりお見舞い申し上げます。私は生まれも育ちも尼崎市(西難波町)であり郷里でこのような事故があったことを非常に残念に思っております。
吉田さまのHPで尼崎港線がありましたが非常になつかしい限りです。私は県立尼崎高校出身で81年卒業でしたが、高校一年の時は授業がおわる15時頃に尼崎港線の貨物が警笛を鳴らして通過していく思い出がよぎってきました。あのときはローカル線の福知山線がやっと電化(81年)して、カナリヤの国電が通ったのがとても嬉しかったでしたが、今では客車にのって宝塚〜三田の武庫川渓谷をとったときが懐かしいです。
その私も今は千葉県船橋市に住んでおり、尼崎を離れてからかれ15年が過ぎます。今は全国の鉄道を巡りっておりますが、原点はディーゼル時代の福知山線です。私も今、廃止にならないけど廃止寸前の鉄道をめぐっております。特に北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線は廃止するのがもったいないくらい線形がよい鉄道です。


386.がしこさん
お久しぶりです。廃線めぐりしたいと思いつつ、なかなか出来ておりません。
今回は仙石線野蒜〜陸前大野間が路線が南側に移動していたことの報告です。
当然知っている方は多かったのでしょうが、私には何のための移動かが疑問が残っています。
まだ盛土もしっかりしていますが、さすがに線路、橋桁(鳴瀬川には橋脚もなし)はなくなっていました。
ひょっとすると鳴瀬川の河川改修のせいかもしれません。


385.下津井電鉄保存会 吉備さん 
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何時も貴方の廃線資料を参考にさせて頂いています
下津井電鉄の廃線跡についてのご報告です
現在児島〜下津井間全線遊歩道「風の道」となっています
下津井駅構内では当時の車両11両を当会「下津井電鉄保存会」で保存しています
なを下津井駅舎は台風により冠水して柱が腐ってきてかなり危険な状態になったので残念ながら解体されました
添付写真は会開設1年目のクハ5です
次回活動は7月31日で調整中です お時間等御座いましたら是非お越し下さい
 会公式 http://shimoden.fc2web.com/
 自分のペ−ジ「保存会情報は一番早いです」 http://mypage.odn.ne.jp/home/rinkou7002

追記・・先日岡山県玉野市宇野にて玉野市電保存会が設立されました


384.ノースさん
とうとう来年春に旧池北線、現ちほく高原鉄道(ふるさと銀河線)のバス転換が決定しました。なので、廃線前の駅舎、風景を撮影するには今年が最後となります。
私も出来る限り記録に残そうと思っていますが、気になる方はお早めに。


383.しゃけさん 
はじめまして!「歴史と旅」の管理人の「しゃけ」と申します。是非私のHPと相互リンクをさせていただきたく連絡させていただきました。お手数ですが、もしよければお時間のある時に、私のHPに一度訪問していただき、折り返し連絡をお願いできないでしょうか?宜しくお願いします。


382.EF6480さん 
ごぶさたしております。
鳥沢ー猿橋間旧線ですが貴サイト(E地点)にても宮谷トンネル東口が確認出来なく、私も今まで近づけませんでしたが3月下旬に訪れた際にアプローチ出来ました。その写真を当HPの中央本線の廃線跡を歩くコンテンツの鳥沢ー猿橋間にUPしましたのでよろしければご覧になってみて下さい。訪ねてみた印象では近づきにくいために自然の中に徐々に埋もれていくようなような印象です。


381.荒川さん 
2004年11月、中央線廃線巡りに行ってきました。このサイト「廃線跡を旅する」が橋脚、トンネルの入口探しにおいて、非常に参考になりました。どうもありがとうございました。
私のレポはhttp://www.d4.dion.ne.jp/~arakawas/chuuous/chuouse1.htmlにアップしましたが、第二富浜トンネル鳥沢入口はすでに埋められて消失し、大原トンネル東側入口・道路向かいの土堤もなくなって更地になっていました。
廃線巡りは時間との戦いだな、と実感しました。そちら様のサイトの更新、楽しみにしております。私の方も、何か情報がありましたら、また、そちらに送らせて頂きます。今後もよろしくお願いします。


380.Shuji Kamanoさん 
三鷹駅から北へ延びている線路は実は武蔵野競技場前という駅があって客扱いもしていました.国鉄スワローズの本拠地に1年くらいなっていたけどまだその頃は周囲の人口も少なく廃止されてしまいました.私が学生の時(昭和30年)そのごく近くに大学が疎開していまして,そこで授業を受けた最後の学年となりました.北裏行きのバスが1時間に1本くらいしかなくて歩いていったこともあります.(編者注・「皆さんからのご報告」の項にまとめていただきました。
それから上田丸子電鉄ですが,丸子鉄道との合併前の名前は上田温泉電軌だったと思います.丸子線が戦後では最初に廃止されたのは信越線の複線化のためだと聞いています.
それから自分のホームページの宣伝:はじめはヨーロッパだけのつもりでしたが,世界中の保存鉄道も含めた交通関係リンク集になっています.沢山の言語で書かれたヨーロッパの基幹鉄道のHPには英語の時刻表に到達するまでのガイドを書いてあります.自分の旅行記もあります.どうぞ見て下さい.


379.古都 秀次さん
3
こんにちは。鳥取県米子市出身のものです。
法勝寺鉄道の長砂駅のプラットホーム遺構だと思われるものを撮ってきたので、報告します。


378.yasubiさん
こんにちは。小千谷の出身のものです。
何気に、魚沼線の記事を読ませていただきました。当時のことを懐かしく思い出し、また、復興のことを願わずにはいられません。
1点ご指摘させていただきます。小生の記憶が正しければ、魚沼線が廃止になったのは、昭和59年3月31日ではなかったかな〜と思います。ご確認ください。
また、立ち寄らせていただきます。ありがとうございました。
(編者注・まったくその通りで、訂正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。)


377.ちひろさん
初めまして。新潟・長岡在住のちひろという者です。
実は、この間の新潟の震災の時の時なのですが、私が確認したところ、長岡線の廃線跡が一カ所、壊れてしまっていた部分があるのです。(厳密には、線路ではなくて看板ですが)
写真で撮影しておいたのですが、私はホームページも持っておらず、デジカメのスマートメディアの肥やしになっていたので、もしよろしければと思い、こちらに掲載させていただきました。

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2

今回の地震で壊れてしまった看板です。震災前は、下半分もしっかりとあったのです。
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私はここの前の道が通勤路になっており、地震発生3時間前にここを通っているのですが、そのときはまだ壊れていませんでした。しかし、震災翌日に通ったときには、この写真のようになってしまっていました。間違いなく、地震で壊れてしまったのだと思います。壊れて無くなった部分を探してみたのですが、すでに見あたりませんでした。
ちなみに、この看板の壊れる前の写真が、ネット上にありました。 http://www.aya-min.net/(トップページはリンクフリーと書いてあったので、無断で拝借 ^^)
PhotoLounge 留置線 → 鉄道廃線跡・東日本/東海 → 越後交通長岡線  → 2002年版・2 の順にリンクを辿ってみてください。下から二番目に、壊れる前の看板があります。
場所は、この辺りです。 有栗駅の少し西長岡寄りの部分です
ちなみに、右写真は私の撮影した上2枚と同地点から、ぐるり180度反対を向いて、西長岡方面の廃線の跡です。
それでは、失礼します。


376.九州の初心者さん
神岡鉄道の過半数出資者である三井金属が「2006年3月までには廃線にしたい」 との意向を飛騨市側に伝えたとのこと。
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20041126/mng_____sya_____009.shtml


375.九州の初心者さん
神岡鉄道の貨物取り扱い廃止へ。 鉄路がまたひとつなくなるであろうことは寂しいことです。
http://www.chunichi.co.jp/00/gif/20041106/lcl_____gif_____008.shtml 貨物輸送も樽見の場合もそうだけれど、貨物輸送はトラックでなく鉄道でやっている企業の方が「本当に環境やさしい」企業として社会に評価される情勢にならないですかね。(平成筑豊鉄道は産業再生機構の管理下になったので「コストが余計にかかることは一切ご法度」というのもしかたがないかもしれないが。)


374.九州の初心者さん
こんにちわ。いつも楽しくしかし、一方で厳しい地方鉄道の現状にため息をつきながら拝見しています。
ご承知かもしれませんが、屋島のケーブルカー運営会社が自己破産しました。親会社だったコトデンが破綻したので「時間の問題」ではあったのですが。一昨年利用したときも本当に利用者が少なかったと記憶しています。(会社は新運行先を探しているようですが困難なようです。)
並行のドライブ・ウエーに客を取られたことが最大の原因ですがこちらの路線バスは早くから廃止されており、公共交通を使って屋島山上に行くことは不可能になりました。(まあ、本当に登山するのはあるかもしれませんが) コトデン屋島駅の乗客も多少減ることとなりましょう。
http://www.shikoku-np.co.jp/news/economy/200410/20041009000077.htm


373.堀川 彰広さん
廃線跡のレポート拝見させていただきました。
私は、富山県新湊市に住んでいますので富山地方鉄道射水線が走っていた地域に住んでいます。レポートを読ませていただきましたが、全区間、どのような交通手段で調べられたのでしょうか?バスで行ったのならともかく、写真で見る限り自動車か自転車でしょう。
このレポートには、新富山から四方駅までは詳しく書いてありますが、四方駅から新港東口駅までは、ほとんど調べられてないではないですか!なぜ、ここの区間だけ手抜きがしてあるのですか?それに、レポート中で「自転車専用道路の区間はまったく面白くない道中である。」と記載されていますが、ここの区間には、数多くの遺構が残っています。
たとえば、練谷駅の構内跡地、海老江駅のホーム。海老江駅の駅前広場と商店街跡。新港東口駅の構内跡。この中でも特に海老江駅のホームは、今でも当時のままのホームが草に覆われてはいるもののちゃんとした形で残っています。この遺構は射水線の遺構の中でも最もよく当時のまま残されているものの一つだと思います。
しかし、なぜ、このホームページに写真が無く、レポートでさえも述べられていません。確かに、車で廃線跡を訪れると四方〜新港東口間は全区間が自転車専用道路になっているのだと思われがちで通り過ぎてしまうかもしれませんが、たくさんの遺構が残っています。再度、訪れる機会がありましたらじっくり見学して見てください。


372.床屋のしんサンさん
初めまして,いつもそちらの廃線跡のホームページを興味深く拝見させて頂いてます。当方,大阪に在住していますので,近畿地方を特に愛読させてもらい,実際に車や自転車で廃線跡を通ったりしています。
ところで,国土交通省のホームページで日本各地の航空写真を見れるのをご存知でしょうか?廃線跡を見るときに,上空からの写真で見るととても判りやすいです。
又,撮影年次が古い物も結構有るので,北陸本線 敦賀〜今庄のように高速道路で廃線跡が一部分 無くなった所も,まだ工事中だったりします。場所によってはスイッチバックの全体像なども良く判ります。山中(信)など一度ご覧になってください。 アドレスは、http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/index.htmlです。


371.JUKさん
はじめまして。私は兵庫県の淡路島に在住しております。私は鉄道や廃線探索が趣味というわけではないのですが、父親や周囲の年配の方々に「淡路島にも鉄道があったんだよ」という話を聞いてからなぜか気になり、インターネットなどで廃線跡を紹介しているHPを検索していたところ、貴HPに出会い、拝見させて頂きました。日本全国にこれほど廃線となった鉄道があったことに驚くと同時に地図と写真を交えた解説など趣味のHPというにはすばらしく整理されており、楽しませて頂きました。
さて、淡路島にあった鉄道ですが、名を「淡路交通」といいまして、同社は現在バス会社として同名で営業しております。鉄道の方は1960年代に廃止されたそうで(同社HPに当時の写真が少し掲載されています)、廃線関係のHPは多々ありますが、本件を掲載している所はほとんどありませんでした。(あまりにマイナーなためなんでしょうか?)是非とも貴HPにて詳しく取り上げて頂けたら嬉しいのですが・・・。


370.のぶさん
鉄道ではないのですが、その昔(昭和46年か47ごろまで?)ですが、姫路駅(当時は国鉄)のすぐ北から手柄山(てがらやま)まで、モノレールが運行しておりました。当時、子供会の行事で手柄山の遊園地(現在は、市民プール)に行くために姫路まで電車(昔風には汽車ですね)で行きその後乗り換えてモノレールに乗ったことがありますね。
今でも一部のレールは残ったままですので、姫路駅周辺で見ることができます。あとになって聞いたのですが、何でも、「姫路万博」とかの当時の市長の発案でレジャーランド計画か何かあったようでその一環で作られたと聞いております。
駅は始発(姫路)と終着(手柄山)のあいだに1駅ありました。今でも駅だけは見ることができます、ビルの3階か4階が駅になっていました。
始発駅のあったところは現在は、キャスパの駐車場になっております。そこから手柄山まで行くのですが、手柄山駅は外観はお城(洋風)になっておりその地下(?)が駅になっておりました。今でもモノレール本体はこの駅の中にあるようですが、一般公開はされていないようです。(これは噂ですのでどなたかご存知でしたら教えてください)
現在は終着駅の建物は公園となっており、周辺には、亀の飼育で有名(?)な水族館があり子供連れの方ならそれなりに楽しめると思います。
廃線と行っても姫路駅からその全貌がほぼ見れますので、とても短い廃線ということになりますね。(^^;


369.のぶさん
冬広さんの片上鉄道の訪問記の中ですが、「同和工営(株)」がありますが、冬広さんのおっしゃるとおり、片上鉄道を運営していた同和鉱業のグループ企業です。
主に、土建(土木)などを担当しており、実際にこの鉄道の土木かんれん工事は、ここが請け負っていたようです。今でも、りっこう門(漢字が不明ですみません)の銘板には、施工業者として同和工営の文字が残されております。あと、同鉄道の部分保存でも同和工営が行ったようです。
今も柵原駅周辺の解体も同企業が請け負っております。まぁ、関連と言えば関連ですね。自宅から近いのでここもよく訪ねる場所なんですけれど。(^^;


368.のぶさん
No.365の件ですが、近隣の老人(オヤジの友人)に聞いて見ましたが、真殿駅ではないようです。本来真殿駅は存在はしておりません。正確には、真殿給水所であり、便宜上人を乗せていたようです。また、給水タンクが当時はあり、水源は山からの湧き水が使われていたそうです。その片隅に客車の引き込み線があり、その部分をひょっとすると駅と同様に利用していたものと思われます。
あと、戦災で焼けた事実は真殿駅(給水所)ではないようです。もしあれば我が家も巻き込まれていることになっていたでしょう。(^^;
あと、寄付で駅が出来たという話は、近隣の老人に確認したのですが、事実関係は聞いたことがないようでした。案外赤穂駅周辺なら可能性はありそうです。
ちなみに有人駅は近隣では有年、高雄、赤穂であったようです。蛇足ではありますが途中からガソリン気動車、ディーゼル気動車も導入されていたようです。(これは、小学校の開校120年記念で発刊されていた本に写真で発見しました。)
現状ではこんなところですね。


367.Kazuo 'KAZ' Nishiさん
はじめまして.ホームページ拝見しました.
わたしもあちこちうろつくのが大好きで,廃線跡を探索するのも大好きです.
昨年のネタですが、http://www.phs.gr.jp/2424/trip/2003/20030830/bankyu.html 一部ですが.....
それではまた.


366.宮村 謙治さん
鉄道廃線跡ファンといえども、日本全国すべての地理に精通している人はいないはずです。記事を書いている人は当該廃線跡の地理に精通しているので気づかないでしょうが、地理に精通していない人にとって単に文章を読むだけと、地図があるのとでは想像力の働かせ方がまるで違います。 というよりも地理にうとい地域の記事の場合、書いている人がどんなにいいものを書いたと思っていてもそれは自己満足に過ぎず、読む方からすればどんなに想像力を働かせてもそれがどんな路線であったのか理解できないのではないでしょうか。「百聞は一見にしかず」のたとえどおり、全編に地図の添付があればこのホームページは100倍面白くなるのではないかと思います。


365.みしかんさん
のぶさんの348のお話についてです。鉄道の情報ではなく、場違いかもしれませんが、どうぞお許しください。のぶさんの赤穂鉄道のお話を読みました。私は真殿家の者で、姫路市在住です。親戚のおじさんから、昔、私のひいひいじいさんぐらいに当る人が、鉄道に寄付をしたため、真殿駅が造られたときいています。しかしながら戦災に遭い、今はもう過去をたどることができません。おじさんたちの記憶が定かであれば、それはきっとそのひいひいじいさんに関係する駅ではないかと思われます。おじさんたちも老齢ですので、もしのぶさんが、真殿駅の由来などについてご存知のことがありましたら是非教えていただきたいのです。どうぞよろしくお願いいたします。


364.安藤 基之さん 
今年の1月末で廃線になった、東急東横線(反町−桜木町間)の今をレポートしています。また、旧高島町駅の横から発掘された旧二代目横浜駅についても発掘当時の写真を交えアップしおります。


363.EF6480さん 
ごぶさたしております。
4月に中央本線の初狩ー笹子間の廃線跡を歩いて来ました。鳥沢ー猿橋間と違って、ここ10年以上殆ど変化はなく自然の中に埋もれつつあるように見えます。その時の様子は当HPの中央本線の廃線跡を歩くのコンテンツで「初狩ー笹子+笹子スイッチバック跡+笹子トンネル」のページにUPしておきましたのでよろしければご覧になってみて下さい。


362.okketanさん
とても楽しめました。私は子供の頃、南大塚に住んでおり、近隣の小学校(大東西小学校)に通っておりました。学校の図書室には安比奈線が操業していた頃の地図が保管されており、写しを片手に友人と二人で線路を辿って探検したことがあります。あの頃(昭和55年当時)は国道16号にも踏切が残っていて線路もとぎれることなく、入間川まで伝っていけました。貴HPを見て懐かしく思い出します。
廃線情報というほどのものではないかもしれませんが、山梨県三富村の西沢渓谷遊歩道は木材運搬用の軌道跡地です。まだ所々にレールが残っていて、それなりの郷愁は味わえます。貴HPに情報が載っていないようでしたので、僭越ながら一筆置きました。
これからも廃線ファンを楽しませてください。ありがとうございました。


361.ピノックさん 
廃線後の探訪をこれから行おうと思っています。既に廃線になっている鉄道でいくつか写真等のデータもありますが、(蒲原鉄道・新潟交通・有田鉄道・南部縦貫鉄道等)これからHPにアップしていく予定です。私のHPは旅(主に鉄道)を中心としたHPですが、廃線跡にまとを絞った貴HPを素晴らしくおもいながら拝見させて頂きました。
近いうちに筑波鉄道の廃線跡をサイクリングしようと思っています。その模様が撮影取材できましたら、ご報告致します。


360.BRAUSE 1614さん 
私は倉吉線の関金から車で1時間ほどの所に住んでおりまして、昔は乗ったこともありました。廃止になったことは知ってはいましたが、いままで訪れる機会もなく過ごしていました。ある時、貴HPで倉吉線の跡を拝見し、すごく詳しく経緯などが説明してあったのに感激しました。そこで私も昨年の夏から少しずつ下見などをしておりましたが、貴HPに掲載されている時よりもまた更に、線路の撤去が進んでいることも分かり大変残念な気持ちになりました。
まだ廃線跡が残っているうちに・・・と思い、地の利を利用して私も写真を撮ってきましたが、残念ながら貴HPのような製作技術もなく、公開もしておりません。単に写真を貼り付けた重い、雑なページになりました・・・。
現在の倉吉線の跡、よろしければご覧になってください。


359.クロスケさん 
私は千葉県中心に全国を旅しながら日本を楽しんでいる変わり者クロスケと申します。色々と調べていくうちに廃線後を地図から読み取る事を始めた所現地に行って見ると面白くなってHPでも廃線探検を掲載し始めました。わたしのHPからリンクさせてください。お願い致します。


358.M.M.さん 
はじめまして。貴HPを拝見させて頂き、内容の充実に驚きメッセージを残させて頂きます。
私は以前、幼少の頃は鉄道ファンとして、車両の形式を調べ実際に乗りに行ったりしておりましたが、年齢と共に嗜好が変わり、鉄道を使った旅を好んでしております。今では車両の型番などは分からなくなってしまいましたが、一方で、その土地の歴史に根付いた鉄道に乗り、その土地の方々と接することを楽しみにしています。
最近では、戦前に鉄道の途絶えた沖縄でのモノレールの開業など喜ばしいニュースもありましたが、大半は地元に生きてきた鉄道が消えていくことを伝える寂しいものばかりです。九州新幹線の陰に隠れてしまった在来線が、とても気になります。
廃線を辿る旅が流行っているようですが、誰でも歴史に触れたときに何かを感じ、そして自分のことも含め、様々な思いを持つことと思います。新しきのみを追うのではなく、時間の積み重ねを大切にする世の中を願うばかりです。
私自身は、貴HPとは全く別の観点ですが、旅をする中で「私」の中に湧いた思いを旅の写真と共に紹介するHPを公表し、メールマガジンを発行しております。鉄道に関するものばかりではありませんが、お時間のあるときにでもご覧ください。(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/8186/)
これからも一層の貴HPの充実を楽しみにしております。


357.西川 英一さん
ここへ書き込みをするのは久しぶりです。先日朝刊の折込チラシで見たのですがNHK神戸文化センターの教養講座で関西昔の鉄道見て歩きというモロ廃線跡巡り講座が開講されるそうです。興味がある方は申し込まれてはいかがでしょうか。 http://www.nhk-cul.co.jp/school/kobe/ (現地講座を見てください)


356.冬広 明さん
いつも写真の無いレポートを載せていただいている冬広 明と申します.No.345以来の2回目の書き込みです.
山本さんの「福井鉄道鯖浦線水落付近」のレポートを拝見しました.
以前,No.335で山本さんが鯖浦線の沿線出身で,しかも,”福井鉄道と鯖浦線とその2線の連絡線で囲まれた三角地の中で生まれ・・・”,たそうで ちょっと驚きました.私が,”畑仕事をしていた人に話を伺った.”,と書いたのは,その三角地帯から軌道跡を挟んで北西側の畑での事です.ちょうど挿入図の中心の赤クロス印から道を挟んだ西側です.付近は何度も行ったり来たりしたのでよく覚えています.さらに,私が分からなかった軌道跡の事を書いて下さるということで,大変期待しておりました.
今回,あの崖付近の軌道跡が明瞭に示されたので大変うれしいです.ありがとうございました.廃線歩きをしていると,それらしい道と軌道跡は間違えやすい場合が多く,間違いがよく分かりました.以前歩いた時も,掘割だった地形や写真にある崖の様子は見てはいたのですが,正解には結びつきませんでした.どちらかというと,図書館の入っている「文化の館」や,その北西の「あたらしい道」というのを気にしていました.「あたらしい道」は,県別ロードマップに載っていて,それなら崖が低くなる北側か ら水落駅に線路が入ったのかな,と見当違いに探したりもしました.近いうちに再訪したいと思っています.
また,No329でT.Eさんから「陶の谷」から北の軌道跡の情報も頂いております.ありがとうございます.そちらも廃線歩きでは中途半端だったので 行ってみたいと思っています.
鯖浦線だけでなく,他の廃線に関してもたくさんのコメントを見て,うれしい気持ちでいっぱいです.今後とも宜しくお願いします.


355.前崎 正生さん
はじめまして さいたま市在住の前崎です
今回素晴らしいHPを拝見させて戴きまして有難うございます さいたま市にも2線廃線がありましたので記載させていただきます
1. 川越電気鉄道 大宮〜川越 1906年(M39)4.16〜1941年(S16)2.28
  現在のJR川越線の路線とは違うみたいです
2. 武州鉄道 蓮田〜神根(川口市内) 1924年(T13)10.19〜1938年(S13)9.1
  一部現在の東北自動車道
   以上の2線が廃線だそうです 詳しい事を知っているかたがいらしゃいましたら教えてください


354.zaiさん
今年も出雲に行ってきました。で、昨年報告した状況から大社駅に変化がありましたので報告しておきます。
昨年は駅舎からホームまで改札口を通っていけたのですが、今は壁ができていて行くことができません。木造ゆえの腐食対策なのでしょうが、ちょっと残念な気がしました。

1
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もう一点荒茅駅ですが、駅名表示板は取り外されておりました。
初めて出雲大社に詣でたときにあえて乗った路線だけにどんどん記憶のかなたに去っていくのが寂しい気がしました。
とりあえず報告まで。


353.Applecustardさん 
ここに来られるみなさん、初めまして。以前からこのページを見せていただいておりました。
僕の地元JR尼崎港線の金楽寺駅周辺は現在公園になっています。レールも置かれていますし、踏切の跡のようなものもあります。線路跡も以前は空き地でしたが、現在ではかなりのところで家が建っています。
このページのリンクを僕のページに張らせていただきました。僕のページではアニメ、声優が中心ですが、JR各路線の快速計画を作成しています。まだまだ未熟ですが、いろいろと作ってみました。これからもよろしくお願いします。
下に僕のホームページのアドレスを書いておきます。
「Applecustard's Valcony」
URL http://members.at.infoseek.co.jp/happycake23/


352.しげさん 
はじめまして。“宮之城線”を興味深く拝見させていただきました。川内地元民の私ではありますが、樋脇より遠方のポイントでは知らないことも多く、大変勉強になりました。
途中出てくる楠元駅記念館について、ちょっとだけ情報提供させていただきますと、現在あの施設は市から地域公民会(自治会)に管理が委託されいる格好でして、毎月1回開催される地域フリマの用具倉庫になっております。(市の補助なし)
3-4年位前までは、当時の構内を時刻表・備品もそのままに展示保存してある記念館の体を成していたのですが、如何せん市が管理を放棄した為、あのような格好になった経緯があります。
カナリ小さな写真しか手元に残っていないのですが、 http://st205.com/csia2/kokyo/kusumotostation.jpgのような感じで、当時は個人的に気に入っていた施設でした。
追跡調査をしていない為、その備品がどこにあるのかつかんでいませんが、分りましたらまたお知らせしたく思います。


351.田中 正恭さん
以前に御著書拝読しました。実は私も同じ心交社から「鉄道全線三十年」という本を出しているので、 もしかしたら私のことをご存知かもしれませんね。
篠山線は、私が高校時代に、最初に行った廃止直前の線だっただけに印象的でした。そのほか、野上電鉄、北鉄金名線、大社線、倉吉線、そして何よりどこより好きだった福知山線(JR宝塚線ではありません)生瀬〜道場間旧線など、懐かしい思いでいっぱいでした。
また名鉄三河線(海線/山線)に続き、能登線、池北線、栗原田園鉄道、南海貴志川線など、多くの線が続々と地図から消えそうなのは、誠に寂しい限りですね。特に3セクでなんとか生き延びてきた各線が、ここへ来て挫折しはじめているのは、本当に残念です。特に能登線蛸島駅は私にとって、昭和56年に国鉄全線走破を達成した駅なので、廃止が事実だとすれば、断腸の思いです。
できれば、また廃止間近の線や、現役時代旅したことのある廃線跡を訪ねたことをまとめて出版したいと思っています。