151.斑目 智昭さん


152.田窪 正則さん
子どもの頃使われていない踏み切りを見て不思議に思いました。ここにはかつて汽車が走っていたんだろうか、もう汽車は来ないのだろうかと。大人になって、以前日本各地に軽便鉄道を含め多くの鉄道があったことを知り、とても興味を覚えました。同じような思いを持った方々がいらっしゃるようでうれしいです。


153.北商協さん


154.佐田 紀子さん
廃線情報として、具体的にはわからないのですが、静岡県浜松市街から北西に鉄道がありました。「軽便道路」と高校に通っていた頃(15年ほど前)でも言われていましたので。
廃線ではないのですが、建設しながらもそのままになってしまった路線があります。静岡県の天竜浜名湖鉄道の二俣(天竜市)から佐久間町へつながっているものです。橋桁や、トンネルや盛り土もあり、あと線路を引くだけの状態のものです。最近の情報では、天竜川にかかる橋桁をハイキングロードにするとか、地元新聞に載っていました。
北海道 興部から雄武、北見枝幸から浜頓別に乗車したことがあります(85年)。雄武から北見枝幸までは、廃線直後でバスでした。列車が通らなくなってすぐの駅というのは、かつてのにぎわいを想像させる寂しさが印象的でした。
四国の室戸岬から海部まで、今は一部列車が走っているようですが、高架線やトンネルだけはあって、「佐久間線」同様の寂しさを覚えました(87年)。高知県あたりはそういう未完成路線が印象に残っています。
市電でしたら、岐阜市内の名鉄の岐阜駅から長良北町(だったと思う。)が、89年(うろ覚え)に廃線になりました。


155.千葉 淳さん 
友人のはらださん(記帳ナンバー3)の紹介で来てみました。私も最近廃線跡に興味を持っており、大変楽しく拝見させていただきました。
思い付く範囲ですと今までに、日中線、赤谷線、弥彦線(東三条−越後長沢)、魚沼線、清水港線、相模線(寒川−西寒川)、小松島線、漆生線、添田線、宮田線、室木線、香月線、上山田線のいずれも全線と旧国鉄を中心にたどってます。
また、ちばのホームページの探訪記も写真はまだ載せてないものの、文章の方はぼちぼちできてきましたので、一度お越しください。


156.片田 直伸さん 
Webページ、「廃線跡を旅する」を以前より楽しみに見せていただいております。今回、私のふるさとの北恵那鉄道が出てきてうれしく思いました。
私は昭和40年付知町生まれです。8月にもふるさとに帰り、ふと思い立って下付知や美濃下野の駅に行ってみたりしました。


157.佐藤 泰亮さん
私はMTBを買って1年目で、主にツーリングを楽しんでいますが、このような楽しみ方もあるのですね。私も早速行ってみようと思います。これからもちょちょく拝見させていただきます。これからもHP作成頑張ってください。


158.柴田 孝三さん
はじめまして。私も廃線跡を辿るのが好きで(特に北海道の)毎年地形図ををたよりにさがしまわっています。今年も行ってきて念願の日曹炭鉱線跡を見つけることができました。(道北の豊富町)
波止場にあった引込線なども結構すきですね。


159.小村 達彦さん 
貴殿のページを楽しく拝見させていただきました。写真、資料など豊富でしかも秀逸で、感心いたしました次第です。小生も乗車したことがある路線も多数あり、親しみを覚えました。
弊ページ「鉄道写真館」:http://www.din.or.jp/~ennosita/photog.htmlにおきましても、去る8月21日より、廃線特集を開始しました。これは、現在鬼籍入りしている路線の、小生が乗車した記録をもとに、現役時代の写真、切符を小生のエッセイを添えて展示するものです。(現在、73路線ですが、今週末に、宗谷本線・稚内桟橋と、京津線のコンテンツを増設する予定です。)


160.藤原 正さん
私は兵庫県出身で現在東京都に住んでいます。実家は福知山線のそばなので、休日はよく道場の方へ遊びに行きました。その時の車窓からの渓谷美は今だに忘れられません。今はJR暗黙の了解のハイキングコースになっていますが、道の半分まで草に覆われていて、自然に帰ろうとしているのを見ると廃線になってからかなり時がたったのだなあということを実感させられます。
今住んでる所にも廃線跡のサイクリングコースが有りますが、機会があれば報告します。


161.小林 正長さん
特に興味が深かったのは旧江若鉄道の浜大津駅、京阪の浜大津駅から膳所駅までの考察がすばらしい。3条式軌道は覚えている人が少なく経緯も文献には詳しく述べられていません。京阪膳所駅前の変則なカーブも考察の通りだと思います。
幼い頃、京阪の島の関駅で蒸気機関車が国鉄の客車を回送するため入り込んでいた姿が今でも目に焼き付いています。


162.次田 修さん 
「すばらしい」の一語につきます。私も地元和歌山の「野鉄」を廃線前から追いかけ、今も時々訪れては私のHPにある「野鉄資料館」を更新しております。
  「野鉄資料館」は野鉄の廃線までの経緯や、駅舎、車両、最後の日、そして廃線後の変化の様子を1年毎に分け記録しています。今後も「野鉄」の情報を地元から発信し続けますのでよろしくお願いします。
他にも私のHPでは「紀州路の鉄道風景」で1984年頃からの和歌山市周辺の鉄道写真を掲載していますので、興味のある方はご覧下さい。


163.Hirofumi Otaniさん 
私は静岡市に住んでおり、静岡鉄道駿遠線を読ませていただきました。まだ行ったことはないのですが、そのうち行きたいと思います。
さて、わたしは鉄道が趣味なわけでもないのですが、先日日経新聞を見ていたらひそかに廃線跡ブームである事を知り、しかも県内の駿遠線が載っていたので、興味をそそり、見てみました。
私の実家は浜松市にあり、そこには軽便として地元では親しまれてきた遠州鉄道奥山線という廃線があり、先日実家に行った際に趣味のマラソンの練習を兼ねて走って探索してきましたので、よかったら見てください。


164.布一 利樹さん 
大変、すばらしい、HP、感動しました。私も北陸本線、旧倶利伽羅ー石動間の廃線跡を探りましたが、旧九折トンネルの片方の口は、見つけましたが、もう片方が不明でした。またまた、新しい廃線跡期待しています。


165.大館 示希子さん
2回目の記帳です。さて信越線「軽井沢-横川」が廃線になるまであと少しとなりましたね。
大好きな路線ゆえに、ひときは寂しい思いでいっぱいです。9月30日は、仕事を休んで以前撮った写真などを観ながら、碓氷峠に思いをはせようかと思っています。できれば残してほしかった。


166.栗原 高士さん
大阪から上京し東京に住んで10年。野上電鉄、南海天王寺支線等なじみの私鉄等が廃止されて 残念です。
一般の方々からの情報の中に、和歌山地区の南海加太線の記事が有りました。東松江駅から分岐していたのは、旧加太線以外に住友金属引き込み線も有ります。まだ線路が残っているか不安ですが・・・。実は紀ノ川ぞいの海釣り公園の入り口付近がまさにこの住友金属の裏手にあり、複雑な引き込み線跡を横手に見ながら釣りが出来るのです。私も良く行きました。ちなみに有料ですが(^^;。
旧国鉄から、わが故郷天下茶屋駅の横手を走っていた天王寺支線を通り、あのモウモウと不思義な音を立てて懐かしい南海型ディーゼルが鉱石等を満載し、はるばるこの住友金属までやって来ていたのですね。あのディーゼルの恐い位の勇姿が忘れられません。ちなみに住友金属の構内線は現役バリバリで今も活動しています。アメリカン機関車なみのディーゼル機関車が縦横に走っているのを見ていますし、今も健在との事です。
南海天王寺支線は、天王寺駅付近は殆どそのままで今も残っています。興味有る方はどうぞ。


167.堀井 康平さん 
私も鉄道の中でも廃線跡(特に引き込み線系)が好きで、よくまわっています。近々、過去の作品と、モノクロ現像方を載せたページを作る予定です。
ところで、富山地方鉄道射水線の件ですが、富山方の起点は、廃止時には”新富山”となっていたように思います。また、現在の市内電車の”新富山”停留所は当時”新富山駅前”となっていたように思います。ちなみに、太平洋戦争中は、通称かもしれませんが”連隊橋北詰”と呼ばれていたようです。
なお、射水線に使用されていた、”デ5010”型電車のうちの一両は、げんざい加越能鉄道万葉線の除雪用に、機械扱いで使用されています。同線米島車庫の片隅にあり、スノープロウをつけて留置?されています。 また、ここには同型式のもの一両が倉庫として使用されています。
なお、富山地鉄の情報についてですが、古い資料ですが”富山地方鉄道40年史”なるものがあり、結構参考になります。とっくに50年たっているのですが、今のところ”50年史”は出版されていないようです。 ただ、現在では入手は不可能です。富山県内の図書館にはあると思います、参考までに・・・。


168.木村 隆史さん
福知山線の旧線が身近なところに住んでいます.僕が中学生のとき,トンネルばかりの新線に切り替わりました.旧線が廃止されてから2日後,旧線を歩こうというイベントに参加しました.生瀬駅から武田尾駅までを歩き,武田尾では「この信号機はこれから動くことはないでしょう」と腕木式信号機が動くのを見守ったのを記憶しています.その後も何度か廃線敷を歩きましたが,いつ歩いても武庫川渓谷はすばらしい眺めです.
現在,兵庫県は生瀬の上流にダムをつくる計画をしていますが,建設省の方の計画で「調査用予算のみ」計上されたダムになりました.このまま計画倒れになることを願っています.


169.泉澤 努さん 
東京から転勤になったのを機に、北海道紋別市から紋別の情報を発信しています。また、その関連で鉄道廃線跡のコーナーも作りました。北海道オホーツク地方は廃線の宝庫です(うれしくないが...)。ぜひ消えていった鉄道たちの今の姿を見にご訪問下さいませ。(編者注:泉澤さんの「オホーツクもんべつのページ」現在リンク切れです)


170.Yukihiro Oshidaさん
私は、廃線跡に多少なりとも興味を持っている者です。土浦方面にバイクでツーリングした時、偶然廃線跡を見つけたので御一報致します。場所は、千葉県土浦市にある関東鉄道本社のすぐ前だったと思います。
あと、千葉県佐倉市のJR佐倉駅近辺にも廃線跡があったと記憶しております。私が見た時はレールがまだありましたが、現在は土手のように少し高くなっていると思います。


171.原島 哲夫さん
今年のゴールデンウィークに、新潟県に釣り旅行に出かけたのですが、加茂市とその近くの下田村に鉄道廃線跡がありました。加茂市の方は駅舎 レール等はもちろん 列車も放置されたままの状態でかなりの形跡が現存していました。下田村は殆ど形跡はとどめておらず、新潟県出身の友達が「依然ここに鉄道があった」と言わなければ分からないぐらい、何もありませんでした。


172.中村 浩史さん
私も鉄道ファンでこのような廃線跡に大変興味があります.是非貴重な情報として有意義なHPにしてください.私は京都に住んでいますが,京都市電(昭和53年全廃)の全廃線跡を追ってみようと思っていた所です.まとまれば,報告したいです.また,他のみなさんの情報も寄せて頂ければうれしいです.また,先日も京阪の京津線が10月11日をもって廃止になり,京都からまたひとつ路面電車が消えました.専用軌道もあり今後どうなるか知りませんが,何年かすればここも廃線跡として,あの本に載るんでしょうね.


173.Noriaki Kannoさん 
私のHPに静岡県清水市にあった旧国鉄清水臨港線の写真を載せてあります。めずらしい可動橋の写真もありますので是非みにきてください。(編者注:現在リンク切れです)


174.谷 順之さん
はじめてここを訪れました。「能登鉄道(北鉄能登線)」を見つけたので。私は石川県志賀町高浜の出身で、家の裏には能登線の列車が走っていました。小学生のときになくなってしまいましたが、それまでは、毎週日曜におばさんに連れられて高浜−羽咋間を往復していました。(なんでだか思い出せない)自転車道路になってからは、中学の部活で走ったり、高校に通うのに使ったりしていました。
最近、インターネットでいろいろな懐かしい列車の写真等見ていて、あの頃の列車や駅の写真がないかな、といろいろ探し回って、このページにたどり着きました。でも写真がないのがちょっと残念ですけど。実家にもたぶん駅や列車の写真はないでしょう。どなたか持っていませんかね。あったらHPで見せてほしいなぁと、ちょっと自分勝手に思っています。


175.しーさん
福知山線生瀬駅〜武田尾の間を歩いた。と友人から聞いていました。「よし!ハイキングがてらに。」と思いたったが、なにぶん4年前の話しです。その後、震災などの影響もあるのでは?と調べていました。こんなすばらしいHPがあるとは!感動しました。今度、福知山線生瀬駅〜武田尾を歩いてきます。


176.匿名希望さん
名古屋に住んでいて、名鉄常滑線をよく利用するのですが、この名鉄常滑線神宮前駅周辺は線路付け替えの激しい所として、一部では有名です。神宮前のホームが本線、常滑線路線別になっていた(昭和63年頃)ころまで、昭和30年(昭和37年か?)付け替えで廃止された橋脚が残っていました。古くは明治時代の旧伝馬町駅、国道1号線との踏切等は分からなくなっていますが、東海道線西側の旧神宮前駅の跡は、名鉄パレ百貨店の敷地等の建物に転用されてはいるものの、建物の敷地が、旧神宮前駅の形に沿っており興味深い物があります。
また、話がかわりますが、名鉄の新岐阜も線路変更が激しかった所ですが、現在確認できる所は少なくなっています。でも、田神線が完成する以前に、各務ヶ原線と岐阜市内線を連絡していた跡はアスファルトの下とはいえ、レールが残っていることが分かります。新岐阜駅各務ヶ原線出口の右手、星野書店の向かい側の歩道を歩くと、歩道に近付いてくるレールのあとがあります。
今後とも貴殿のホームページの充実を期待します。


177.小原 輝昭さん 
私は、街と道の形成の歴史を辿るのが大好きな者です。だから、私が廃線に「はまる」のも当然なのかもしれません。しかし、私自身は、レポートをまとめる力がゼロなので、自分のホームページを作れません。それでも、東京・青梅の柏熊秀雄氏のご好意により、彼のホームページ【Rail & Bikes】に幾つかの廃線レポートを掲載させて頂いております。
私は、もともと愛知県の出身ではありません。それが縁あって、愛知県に住む事になりました。そこで、私の信条、「住む土地の街と道の形成を知る」を達成するために、当時買ったばかりのボロ車で、県内を駆け回りはじめました。
そんなことを続けていた時、北設楽郡設楽町大字田口の【奥三河郷土館】に迷い込みました。そこには、屋外に【モ14】という古い車両が展示されていました。車内には、なにやら鉄道関係の資料がたくさん展示されている。資料を読むと、当地を走っていた「田口鉄道」という、廃止になった私鉄関係のものであることがわかりました。郷土館に迷い込む前に、すでに田口地方の素敵な風景に好印象をもっていた私は、「この鉄道は、この街の発展・衰退にどのような影響を与えたのだろう…」、そして、「鉄道車内から見えた風景はさぞかし素敵だったのでは…」と感じ、個人的に田口鉄道について調べ始めました…
でも、当時は廃線関係の資料を集めるのは、すごく大変だった。でもだからこそ、些細なことでも判明すると、大喜びしたものでした。
それが、1995年秋、本屋に迷い込むと…「鉄道廃線跡を歩く」という本が置いてあるではないですか。「やった」とばかりに、すぐ購入しました…
私がここまで「廃線」を愛するようになったのは、田口鉄道のおかげでした。だから、私は、ぜひとも田口鉄道関係で何か文章を書きたかった。でも、田口鉄道関係の記事は、各種雑誌でよく見かける。それは、あれだけ素敵な風景の田口鉄道沿線を見たら、多くの人が何か書きたくなるのも不思議はないと思います。そこで、私は、他文献に掲載されているのとは視点の違う「田口鉄道記事」を書くために、田口鉄道に接続していた4本の森林鉄道を登場させることでオリジナリティを出そうと考えました。これでやっと、「私自身の廃線のルーツ・田口鉄道」の記事を出す事ができました。


178.井尾 達也さん 
私は岐阜県恵那郡に住むものです。1年程前から、北恵那鉄道跡に興味を持ち、自分なりに時々調査をしていました。廃線跡をたどる事自体が、これほど話題になっているのも知らずに、ただ自分なりに推理しながらあちこちフラフラして、痕跡を見つけた時のあの気持ちは考古学をやっている人の気持ちに似ているのでしょうか。おかげで、廃線跡をみつけるいくつかのポイントがわかりました。キーワードは、古い並木、S字の国道、石垣、築提、川、古い街道、水の無い橋・・・などですよね。
ところで、11月1,2日に福岡町の中央公民館での文化展に、「もう20年 思い出 北恵那電車」と題した企画展が行なわれました。写真パネルやさまざまな資料、ビデオ上映などがありましたが、最大の目玉が、約百分の一に縮小した美濃福岡―栗本駅間の鉄道模型です。廃線前の様子を忠実に(カンバンや民家、柵などまで!)再現してあり、ただただ驚くばかり。さらに、当時の車内での走行音の録音テープもいっしょに流してくれて、感激ものでした。(模型電車が駅を発車する時に、ちゃんと笛と汽笛・発車音を合わせる念の入れようでした)また、自分がさがしていた宝物をそっくり見せてくれたようで、とてもうれしかったです。
残念なのは、家族が一緒だったので充分時間をかけて企画展を見る事が出来なかったことです。でも、すごい盛況ぶりで、地元の人達は、思い出話にふけっていました。
今思うのですが、あれだけの資料があるのだから、たとえば美濃福岡駅跡の広場にメモリアルステーションをつくり、栗本までを遊歩道と自転車道、それにレール自転車(線路の上を自転車で走るやつ)を整備するなどしたら、町の中心施設としてやっていけるのではないでしょうか。写真なども、広く地域の人から生活に密着した思い出スナップを集めたりすれば、みんなのステーションになりますよね。
こんなの、個人的な夢なのでしょうか。


179.安楽 幸二さん
ホームページ拝見させていただきました。来週の日曜(11月16日)に武田尾の廃線跡にハイキングに行きます。美しい紅葉を楽しみにしています。


180.宮本 浩史さん 
広島県三次市にある医師会です。医療関係から広島カープの情報等掲載しております。是非一度お越し下さい。


181.宮崎 文隆さん 
講演家の宮崎文隆です。人・街を元気にする講演家です。ご希望あればどんなところでも皆さんを元気にさせにうかがいます。過疎にお悩みの市町村役場等の関係者等の皆さん是非一度お越し下さい。


182.弘津 興太郎さん
私は1959年の生まれでちょうどSLブームの最終期にカメラを持ち始めました者ですが、朝日新聞社の世界の鉄道を、見てからは地方私鉄に引かれ、学生時代までに各地を探訪しました。多感な少年時代?、身近な大分交通の別大線や耶馬渓線が廃止になるというニュースに居ても立ってもいられなかったのが正直な気持ちだったのです。
 実際に、廃線跡めぐりを始めたのは耶馬渓線が完全に廃止になってから、1年半後くらいからでしょうか。恐いものみたさが妙にハマってしまい、駆け足ながらそこら中にある北部九州と山口県の廃線跡を廻った思い出があります。
 「こんな趣味は特殊だなあ」と共感した相棒もいまは九州を離れ遠くの空の下に住んでおりますが、まだ、当時は大正や昭和初期の匂いがした時代。昭和30年代や、40年代は「昨日の記憶」でした。
 ぼちぼち、古い資料も整理していかねば、と思っております。これだけ立派にまとめておられるのに大変感心しましたが、その当たりの鉄道でご質問があれば、お気軽にお尋ねください。一度リストも作ってみようかと思います。


183.つつみひろあきさん
私の生まれ育つた所には、国鉄松浦線が走っていました。支線として臼の浦線、世知原線、柚の木線が在りました。いずれも炭坑からの石炭を運ぶために敷設されたものでした。
エネルギー革命とともに石炭産業は、廃れ地域の住民も他の産炭地や都会の職場へと散ってしまい廃線となってしまいました。洗炭で褐色の流れであった川も清く住み白魚の取れる川に蘇っています。人々が流出して淋しくなったのと引き換えに自然が帰ってきているようです。
でも当時の賑わいをもう一度見たいと思います。叶わぬ思いですが・・・・・
松浦線は、国鉄合理化の際廃線の話も出ていたようですが、現在松浦鉄道として存続しています。私が利用していた頃には、1日数列車の運行でしたが今や1日40往復位の運行に成っていました。強力なバス会社との競争によって生まれたダイヤです。何事も民営化が肝要かと思う私です。


184.滝沢 修さん 
このたび「我が家の近所の鉄道廃線跡」と称するささやかなホームページを立ち上げましたので、ご案内申し上げます。


185.西川 英一さん
私の実家の近くにも宇島鉄道や日豊線築城駅〜築城基地への引込線、日出生鉄道といった廃線跡があり中学高校時代は自転車でよく探訪しました。その頃は廃線跡に興味を持つ人等は少ないのだろうと思っていましたが、同好の士が多いことに驚いております。今は自分で探訪する時間がとれないのでこのHPやJTBの一連の廃線跡シリーズを読むことで欲求不満を解消しています。長崎駅〜長崎港駅の支線や大村線松原駅〜九電大村発電所の引込線等も跡が残っているので暇ができたら見に行こうと思っています。


186.落石 武士さん 
私事で恐縮ですが、廃線をメインにした趣味のページを開設しました。是非おたち寄り下さい。まだ、宮田線のみですがこれから増やしていくつもりです。
宮田線跡はほとんどの部分で道路化工事が進んでいますので早目の訪問をおすすめします。近辺には貝島炭鉱専用線の遺構も見ることができます。宮田町石炭記念館には貴重な資料が残っていますので、一度訪れてみてはいかがでしょうか?


187.谷 順之さん
久々に訪れました。あるHPに北鉄能登線が載っていたのです。懐かしい列車の写真入りで。その方も、もしかしたらここを訪れて記帳されているかもしれませんが、了承を得ていないので、URL等を私が公開するわけにはいきません。
でも、本当に懐かしい幼年期がよみがえるような思いでした。
(編者注)このHPはNo.138にご記帳いただいている小原 修さんのHP「北陸の鉄道 懐かしの写真館」です。北鉄能登線以外にも多くの懐かしい写真が掲載されています。


188.陶山 透さん
今から20年前、中学生だった私は、北九州のとある盲腸線に乗った。何線だったかもう思い出せないが、ディーゼル機関車に引かれた2、3両の旧型客車の開け放たれた最後尾のデッキで数分間揺られた記憶がある。陰気な闇の中を、最終列車で訪れた終着駅には、かなり重度の身体障害者が、この列車から降りてくる家族を迎えにきていた。
ホームから一段下った所にある改札口に、暗い白熱灯の下、うずくまる様にしていたその人と一瞬目が合った。そして彼は、何か引きずられるように私を見ながら駅から去っていった。今はもう、廃線になって消えているに違いないあの駅に、私はその人に会うために降り立ったのかもしれない。
大変興味深く、拝見いたしました。つい、上のようなことを思い出してしまいました。


189.大友 偉且さん
私は以前より廃線跡を歩くのが好きでしたが、ここ数年のブームで出版物やTV番組が増えて楽しくなりましたね。列車の撮影にいった路線が、各地で廃線になることもありましたが、ついに昨年10月最寄りの京阪京津線が廃線になってしまいました。まさか地元で廃線跡が出来るとは…。次の廃線跡発生予定は青森県弘南鉄道黒石線(川部〜黒石間6.2キロ)です。今年の三月の予定です。


190.水野 淳司さん
ぼくは、水野淳司と、いいます。小学校6年です。ホームページ見せていただきました。とてもすごいと思いました。
ぼくは、淀川貨物駅を、知っています。JR大阪環状線の、京橋駅の、大阪方に引き込みせんの跡があります。いまは、保線基地になっています。それで、貨物えきへは、鉄橋を、渡り、勾配を下り、地平におり、後で紹介する連絡線とまじり、京橋グリ-ンハイツの、となりを、走り、踏み切りを、はしって、淀川貨物駅に到着します。淀川貨物駅は、広い敷地に、貨物駅、電車区、コンテナ坂、車坂が、ありました。今は、民家、公園、野球グランド、総合医療センタ−、大きいマンションに、なっています。
では、連絡線を、紹介させてくださいこの連絡線は、淀川貨物線から、城東貨物線へ、貨物列車を走らせるための、連絡線でした、コ−スは、淀川貨物線から、別れて、カ−ブをしながら、新京橋商店街を通り、踏み切りを、はしって、ボ−ルメイト京橋の前を、カ−ブして、京阪電車の下を通り、カ−ブしながら、勾配を上り、鉄橋をわたり、やっと、城東貨物線に、たどり着くのです。
こんな都会にも、廃線跡があるんですね、いずれも、昭和60年に、廃線となりました。


191.なおたろさん 
はじめまして、なおたろと申します。このホームページを初めて拝見させて頂きました。全国のあらゆる廃線跡の情報が記されており、大変素晴らしく思います。
ところで、出雲鉄道(一畑電鉄立久恵線)の情報ですが、なかなか詳しく書かれておられ感心しました。地元の者(出雲市在住)および関係者(一畑電鉄鉄道部職員)としてお礼を言いたいです。
なお、私のほうのホームページにも簡単ではありますが立久恵線のことが書いてありますので、ぜひご覧ください。リンクには私の職場の仲間(もちろん一畑電鉄鉄道部職員)が作ったホームページへも行けますのでご参照下さい。(一畑電車についての情報がいっぱいです)


192.Masayuki yamadaさん 
テーマと全体のデザインもマッチしていて、とても雰囲気のあるページですね。なかなかチャレンジ出来ない(というより、「しにくい」かな?)廃線紀行という旅を充実した内容で疑似体験出来る・・・とても素晴らしいページだと思いました。
私は鉄道関係に詳しいわけではありませんが、旅が、そして汽車旅がとても好きです。そんな旅の中で、例えば廃線の1年ほど前に乗った北海道の深名線(この沿線に父の生まれ故郷がありました)のことなどはとても印象に残っていて、機会があればまた、「廃線後の今」を見に行きたいと思っています。
最近書店でも「廃線」をテーマとした書籍を良く見かけますし、私もその何冊かを読んだことがありますが、そんな書籍以上にリアリティを感じるページだと思いました。これからもさらに充実したページになることを楽しみにしています。
・・・ちょっと誉めすぎですかね?(笑) 長々と失礼しました・・・


193.平野越後守さん 
ずいぶん細かく調べられていて、大変敬服しております。廃線歩きはいろいろご苦労もあるでしょうが、これからもがんばって下さい!
私は、廃線の切符を掲載したホームページを開設しております。宜しければ一度お立ち寄り下さい。


194.ばんとうさん 
こんにちは。ここはいい雰囲気のページですね。
YU-SO小説というHPの宣伝させてください。短編小説と4コマまんがのHPです。すべてオリジナル。小説のイラストと漫画はペインターというソフトで描いています。ぜひ遊びに来てください。(編者注:現在リンク切れです)


195.山崎 寛さん 
最近の廃線跡シリーズのホームページが多く驚きです。愛宕山鉄道沿革史及び中勢鉄道沿革史を公開していますから上記のホームページに参考までにご覧ください。ご感想又はご質問が有ればお答えします。


196.小原 啓太郎さん 
滋賀県の廃線跡というと近江鉄道の貨物支線(彦根、多賀、武佐)はまだ所々見受けられますが、江若跡は道や湖西線になって面影はあまりありません。北陸線旧線(国道365号線)には駅跡が国道脇に残っているのと、柳ヶ瀬トンネルがあります。
京阪びわこ号と言う名でホームページを作っています。旅行記がメインのページです。アドレスは http://www.biwakogo.com/ です。のぞいてみてね!!


197.M.Fukuchiさん 
はじめまして、とても楽しく拝見しています(^^)。身近なところに、こんなにも廃線があったのか!と正直驚いています。
私の実家は京都府亀岡市でして、学生のころに友人と旧山陰線の廃線ハイクを何度かしたことがありました。見事な景色や鉄道のにおいなど、非常にワクワクしました。鉄橋とトンネルの間に保津峡の河原に降りられる道を発見して、河原で弁当を食べていたら「保津川下り」の乗客から缶ビールを放り投げてプレゼントされたり(^_^;)など、逸話はたくさん覚えています。
このページを見ていたら、また廃線ハイクがしたくなりました。旧山陰線はトロッコ列車が冬期休業中の今がチャンス!…ってゆ〜のは不許可ですね(^_^;)。これからもがんばってくださぁい!楽しみにしています(^.^)/~~~
PS.「電車でGo!」一度しかやったことありませんが、地元民として思ったこと。
  「亀岡〜馬堀間があんなに近かったらずいぶん便利なのに」(爆)。


198.栗原 高士さん
再び記帳致します。ちょっとした話題ですが、実は今丁度渋谷駅のバスターミナルのど真ん中の一部を何らかの工事でくり貫いております。そう、すぐ横の歩道橋上から見ると、有りました有りました!あの東京都電の赤錆びたレールが2本。工事の邪魔にならぬ様にばっさり切られておりますが、わずか地下10センチ位の所に。
しかし、なんか重いアスファルトの下で苦し気な感です。早く掘り出してあげればいいのにね(^^;


199.渡辺 英司さん
今まで何回か訪問して、いろいろ読ませてもらっています。
私は多くの鉄道が廃線になった頃は、興味があったのにかかわらず、まったく現地に訪れたことなどなく、今になってもうほとんど、跡形もなくなった遺跡を訪問しています。
去年も北海道で幾つかの廃線跡を見てきましたが、時すでに遅く廃線になった頃の面影は全くないように感じました。残念至極です。これからのHPに期待しています。


200.小川 和通さん 
どうもこんにちは。私は「皆さんのご報告」で度々北海道内の鉄道跡地の報告をした小川です。
さてさて、この度大学を卒業いたしましたので、その記念に北海道内国鉄(JR)廃止路線概要なるファイルを他人のホームページを間借りするかたちでたちあげてみました。構成は、廃止路線の簡単な沿革と停車場一覧表からなります。(編者注:現在ページは独立しています)