小田急線は駅間距離の長かった西生田ー柿生間に百合ヶ丘第一団地の入居開始に伴い百合ヶ丘駅を開設した.西生田駅は1964年3月1日よみうりランド前駅と改称,同日東生田駅は生田駅に改称した.さらに多摩ニュータウンの開設を控え,百合ヶ丘ー柿生間のS状カーブを解消して標高のやや高い南側に路線を移し,新百合ヶ丘駅を新設して多摩線を分岐させることにした.新百合ヶ丘駅と多摩線小田急永山までは1974年6月1日に開業した.なお小田急多摩センター駅は1975年4月23日の開業である.この附近は住宅地の開発が盛んである.

昭和30年地図


 上は、国土地理院5万分の1東京西南部1955年応急修正の一部である.残念ながら柿生駅が地図の範囲に見えないが,西生田から西側4.5kmの間に駅がなく,人家もまばらである.登戸の先に南武線との連絡線が書かれている.

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1967

 左の図は1967年10月10日発行,右の図は2002年7月1日発行の国土地理院25,000分の1地図「溝口」の一部であるが,新百合ヶ丘駅周辺が直線化しているのは見て取れる.

1地点-1
1地点-2

 小田原寄りの旧線との分岐部から多摩線高架橋下までの 500m くらいの旧線路敷内に作業用車用の側線が遺されている.1の地点から両側を見る(上の2枚).架線は張られていない.

2地点

 さらに多摩線高架橋下から約200m くらいの間は,放置自転車の収容所になっている.多摩線高架橋の広い径間が旧線跡であることを示している.

 2の地点から小田原側を見る(左).この反対側は約300m位は建築資材らしきものが草叢の中に積み重ねられている.そして道路があってその向こうは建物で埋まっていて、路盤の痕跡はない.

3地点

 3の地点から新宿寄りを見る(右).分岐部の僅かな場所を残すだけで駅に近い部分は建物で埋まっていて旧線路敷きは分からなくなっている.建物の裏側に今ある道は狭く線路跡とは考えられない.

 小田急線で最も規模の大きい6面6線の新百合ヶ丘駅ができて次の柿生駅の副本線が廃止された.その先の鶴川で朝混雑時上り線のみ各駅停車或いは準急が急行を待避している.

 小田急の駅名の改訂はこの附近に集中している感がある.上記の他1927年4月1日開業時の稲田多摩川が1955年4月1日登戸多摩川に,3年後の1958年4月1日登戸となった.開業時の稲田登戸は1955年4月1日に向ヶ丘遊園となり,遊園地が閉園された現在も駅名は変わっていない.東生田→生田,西生田→読売ランド間まで4駅続けて改名,駅間距離が4.5kmあった西生田(現読売ランド前)ー柿生間に2駅続けて新設され,その間が路線変更により約300m短縮という訳である. 他は千駄ヶ谷新田→小田急本社前→南新宿,世田谷中原→世田谷代田.新原町田→町田.通信学校→相模大野,相模原→小田急相模原,座間 →士官学校前>→相武台前,新座間→座間遊園>→座間,河原口→厚木.相模厚木→本厚木.大根→東海大学前.六会→六会日大前などである.

 廃止された山谷駅について:宮脇俊三さんの鉄道廃線跡を歩く4に原口隆行さんが描いて居られますが,南新宿駅の移転とは全く関係ないことです.新宿駅2層化の折り支障するため後退したので,山谷駅廃止とは時間的にも何の関係もありません.