探索記ではありませんが,記憶を元に書いています.

三鷹駅から北へ延びている線路は実は武蔵野競技場前という駅があって短い期間ですが客扱いもしていました.

昭和25年に日本野球連盟が分裂してセントラルリーグとパシフィックリーグができました.巨人,阪神,中日,太陽(松竹)がセントラル,南海,阪急,東急,金星(大映)がパシフィックになり,セントラルに大洋,広島,国鉄,西日本が加わり,一方パシフィックには近鉄,西鉄,毎日が加わったのですが,神宮は進駐軍による接収が昭和27年3月まで続けられ,学生野球だけ許可されている状態でした.後楽園に巨人,国鉄,東急,毎日,大映とひしめき合っている状態でした.そこで国鉄スワローズの本拠地にしようと中島飛行機跡のグリーンパークをフランチャイズにしようと引き込み線を活かして武蔵野競技場前という駅を作りました.しかし周辺は今では考えられないほど寂しいところでした.そのため客が集まらず国鉄の夢は消えてしまいました.一時的には東京競馬場前より1字多く国鉄最長の駅名だったことになります.

私が学生の時(昭和30年)その通りを挟んだ向かい側に私の入った大学が疎開していました.我々はそこで授業を受けた最後の学年となり,学年の途中で本校へ復帰しました.ようやく日本の復興が進んでいた頃です.その場所は一つ先の青梅街道に達した終点,北裏行きのバスが1時間に1本くらいしかなくて25分くらい歩いて行ったこともあります.まだ砂利道で周囲には公立の小学校か中学校とそば屋が一軒あるだけでした.

昭和30年当時の武蔵野競技場前駅は上屋もなく,がらんとした長いホームが4〜5線はある広い構内でしたが,廃駅同然の状態でした.改札口があったような記憶はありません.何か目隠しみたいのものがあってホームが丸見えという状態ではありませんでした.柏熊秀雄さんのRail & Byke 26武蔵野競技場線によれば,昭和34年に正式に廃止になったと言うことです.

昭和30年頃の地図に記載されています.