■ガイド 所原〜出雲須佐間

 所原駅跡の先も、廃線跡は丹念に国道184号線にトレースされている。それが少し乱れるのが沿線随一の観光地であった立久恵峡付近で、上下線の道路がそれぞれ一方通行の2本に分かれている(H地点)。G地点にあった一方通行とは逆に、出雲市方面行きの道路の方が鉄道跡であることは、カーブや勾配の感じで一目瞭然である。

 一方通行が合流した先にある乙立の駅跡には、道路脇にJAがあるほかには、それらしき跡はない。

 また、次の向名の先にあった向名トンネルも、一時期は両入口に信号機を設けたうえで、廃線トンネルをそのまま活用した道路となっていたものの、現在は拡幅改修されて、なんてことはない普通の道路トンネル(名前は殿川内トンネル)となっており、しばらくはアクセントのない、退屈な探訪を続けなければならない。しかし、終点出雲須佐まであと1キロ余となったところで、国道が神戸川の左岸に渡ることにより、生々しい廃線跡を目の当たりにすることができる(I地点)。

 それは連続する2本のトンネル跡である。残念ながら、入り口には柵がしてあって内部に立ち入ることはできず、痕跡は対岸の国道から川越しに眺めるよりほかないのだが、それでも2本のトンネルの間には黄色に塗装された落石覆いがあったりして、目の離せないポイントである(J地点)。

落石覆い跡
2本のトンネルの間に見える落石覆いの跡  
橋台
出雲須佐駅跡手前に残る橋台(J地点)  

 国道184号線が廃線跡を避けるルートをとったのはこのトンネル部分だけで、再び川を渡ってきた国道に線路敷は吸い込まれ、須佐の市街地に近づいていく。廃線跡上にドカンと建っている佐田町役場の奥にあたるところで、神戸川に架橋をしていた跡を川の西岸に橋台跡として残している(K地点)のを除くと、終点の出雲須佐駅跡もバスターミナルや店舗になっていて、鉄道が通じていた残香は意外なほど漂っていない。

 この鉄道が大社宮島鉄道と名乗っていた頃に目指した三次の町は、山また山の先、赤名峠を越えた60キロのかなたである。



■出雲鉄道(一畑電鉄立久恵線)あとがき

 陰陽連絡に限らず、都市間輸送を目指して開業したものの、途中で挫折、当初の意図とは裏腹にローカル線と化して利用客が低迷、そして廃止に至った線という例は日本全国枚挙にいとまがない。このHPで取りあげた中でも、北陸鉄道金名線、能登鉄道、江若鉄道、北丹鉄道、国鉄篠山線、国鉄倉吉線、伯陽電鉄など多くの線区がその範疇に属する。

 それらの中の多くは当初の構想が壮大すぎて、その当時から到底実現不能と思われたであろうものも少なくない。特に北陸鉄道金名線が金名鉄道と称していた頃の金沢〜名古屋間などは、本気で建設する気があったのか、はなはだ疑問である。もしかすると地元や関係者の意気の高揚のためにも、または資金の調達のためにも、あるいは当局の免許を得るためにも、ある程度無理を承知で打ち上げ花火を上げておく必要があったのかもしれない。

 既述のように、この陰陽連絡の夢の跡は、そのほとんどが国道184号線と化したが、姿を変えても今なお沿線の重要な交通路であることに変わりはない。

 蛇足ながら、同じく一畑に吸収合併された荒島〜出雲広瀬間の島根鉄道の痕跡は、付近の区画整理が進んでいることもあって、あまり見受けることができなかったことを付け足しておく。

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