■胆振線:伊達紋別〜京極〜倶知安 京極〜脇方




 調査区間:伊達紋別〜六郷
 調査年月:1995年8月上旬


胆振線は、鉱山の開発や森林資源の輸送のため国営で一部区間軽便線として開通し、残りの区間も私鉄によって開通して、昭和18年に国有化された路線である。なお、この軽便線は、当初から、狭軌であり、他の私鉄も狭軌であった。

昭和18年から有珠山の畑が盛り上がって昭和新山が生成されたが、その影響で路盤が盛り上がってしまい、何度も路線を変更する工事をしながら営業を続行していた話が残っている。なお、この路線の工事の北湯沢付近では、熱湯が湧き出す(この辺りは温泉が沸いている。)トンネル工事現場に、朝鮮から強制的に連れてきた人夫を多数「突入」させるというむごい話が残っている。

廃止後は、道南バスが代替輸送を行っている。


さて、伊達紋別駅の構内には、路盤跡とおぼしき空地が上り方向に続いている。

その空地は、長万部側の最初の踏切付近で室蘭本線と別れて、昭和新山に向かっていく。そこから先は、自転車道になっている。自転車道には踏切警報装置などがオブジェとして設置されている。

自転車道は国道37号(国道でよかったか?)の下をくぐって、2km程続くが、長流川の付近で途切れてもとの路盤に戻り、川を渡る。川に沿って砂利道があるが、路盤跡ではないので注意。川には橋脚などはないようだ。

その後、路盤は国道453号に沿って進んでいく。ただ、路盤はところどころで途切れている。地図では、道として表示されているが、なぞである。(この「道」は、どこまでも続いている。)

上長和駅は、駅前広場が住民の憩いの広場となっている。ホームは残っており木の柵まで残っている。もちろん、駅舎は撤去された。広場の隅の方に小さい木造の建物があるが、駅とは関係ないようだ。(ただし、断言はできない)

国道を進んでいくと、壮瞥付近の倶知安方向左手に国鉄胆振線跡という看板が見える。どうやら、噴火で廃止となった区間に設置してあった看板を移設したようだ。壮瞥駅付近で壮瞥川を渡って壮瞥駅に至る。

壮瞥駅は、駅前ロータリーがあって、営業当時からあった電話ボックスが今なお当時の場所で営業している。駅舎前の木はすっかり大きくなった。ホームは上下とも残っており、花壇が置いてある。

壮瞥駅跡を見てなおも時間があったら、相撲好きの方ならば横綱北の湖記念館へ足を延ばすのも良いだろう。路盤跡は、草が刈り取られているようだった。(だから、「道」として地図に表示されているのだろうか。) 壮瞥産のりんごジュース「洞爺湖の露」が売られているAコープ壮瞥店の先で路盤跡は国道の下をくぐって、国道の左手に移る。

久保内駅は、久保内郵便局の先を左に曲がって坂を上り切ったところにあった。

現在は、平屋の住宅が多数並んでいるため、駅舎の場所を特定できない。

久保内の先で路盤が国道の右手に移るが、こっちは自転車で移動の上に、雨でずぶぬれだったので、確認している余裕がなかった。

地図によれば、長流川を横切って蟠渓駅に至る。

蟠渓温泉の最寄りの駅だった蟠渓駅は、ホームが残っている。草は、丁寧に刈り取られている。駅舎はもちろんないが、ホームへ上がる階段には、綺麗な風車がくるくる回っている。駅前はバス待合所となっている。近くには、蟠渓ふれあいセンターという、公共の温泉がある。1995年現在で、大人320円である。宿泊可能であるとか。(0142−65−2004)

ふれあいセンターの先で大滝村に入るが、線路はそこで国道と長流川を渡って国道の左手に移る。日暮れ間近だったので、線路跡は確認しなかったが、ずい道が一個所(以上)ある。国道が○○川を渡ったところで路盤は長流川と国道を越えて、国道の右側に移る。トンネルが一個所ある。国道は長流川を渡って長流川の左手に移るが、その先に北湯沢温泉街がある。シェルターらしきものがその温泉街のところで見えるが、詳細は不明である。温泉街を抜けると、右へ曲がって長流川の対岸に渡る道がある。その道こそが北湯沢駅へ入る道だった。調査当時、大きなホテルを建設中で、ホームなどの駅付近の用地は、工事車両の駐車場や事務所などに化けてしまってその姿を消しており、ロータリーのみが駅の面影をとどめていたが、現在、どのようになっているか不明である。

しばらく進んでいくと、路盤は長流川を渡りながら国道の下をくぐって、国道の左側に出るらしいが、その時、雨でずぶぬれであったうえに疲労が極限状態にあったため私はやる気を失って、確認しなかった。その付近にあったドライブインで食事をしながらオバチャンにぐちをこぼしたところ、激を飛ばされた。

「あんたのすきでやっていることでしょ!」

「ほら、食べなさい!」と食事をご厚意で更に頂いて、目頭が熱くなった。


閑話休題。ドライブインのオバチャンがいうには、路盤はこの先で自転車道になっているとのことだった。早速行ってみると、「平成ふれあいの道」という看板がある。この自転車道は、キロポストがそのまま残っている。沢を渡る橋(カルバートと呼ばれる、長さが短い橋)の橋桁は交換されて、手すりが鉄琴となっている。地元の子どもが植えた並木が続いている。この自転車道は、伊達紋別起点29km付近から優徳駅跡まで続いている。その先は工事中であった。優徳駅は、空地となっている。記念碑などでもあればいいのに。

新大滝方面へ進んでいくと、左に曲がる道があるが、そこには、コンクリートでできた高架橋がある。それは、側面から見ると鳥居を横につないだような感じであり、正面から見ると、それが斜めに背中合わせになっていて、ちょうど「A」のような感じである。

 <側面>                   <正面>
 _______森森 森森_____
 |||||||  ↑  |||||          A 木木木
 至伊達→→→→→→国道→→→→→→至倶知安    国道→→→→→→→
                           ↓
                         至倶知安

その物体は道路の上をまたいでいたらしいが、道路の上の部分は壊されている。

新大滝駅だが、現在公園とマンションになっている。

新大滝の先で辺りがすっかり暗くなったのでその先の線路の様子は確認していないが、線路は、長流川を渡って国道453号から離れる。

国道276号の旧道(国道276号の手前の左に曲がる道がそうである。)に沿って、線路は山の中へと入っていく。国道276号の旧道の左側から右側に線路が抜けるとまもなくおろえんトンネルに入る。坂を上り切ると道路案内板が出ている。国道は右へ別れていくが、左に道道695号があり「御園」と案内が出ている。そこを下るとすぐに舗装が途切れる。道の右側のやぶの中におろえんトンネルの出口がある。

急な坂を下っていくとヘアピンカーブがある。そこがかつての踏切だったようだ。路盤は道の左側に出るが、恐らく見えないだろう。

しばらく砂利道を下ると、砂利道は舗装道になる。その付近の民家の人によると、このあたりには尾路遠仮乗降場が存在していた。堀 淳一氏の著書にもある。その民家から尾路遠仮乗降場付近まで、路盤の上を車が通れるらしい。ある文献によれば、昭和60年頃になくなったらしいが、正式には確認していない。

道道を下ってふもとに出ると、道道の左側にガーダー橋が見える。御園駅はホームがたしか二つあった。

北鈴川まで路盤を撤去した所がある。北鈴川駅は(たしか)空地となっている。路盤は国道の右側に移って、喜茂別に至る。

喜茂別駅は跡地を民家にしてしまった為、全くわからない。

留産駅は、私の記録では現状が空欄となっているので、跡形もないのだろう。

あるいは、草むらとなっているのか。記憶に間違いなければ、駅は、一件だけ建つ民家の前にあったと思う。 南京極駅は、跡形も無く、東京極駅も更地となってしまった。

路盤は、京極の市街地で国道の左側に移って、京極駅に至る。京極駅は、一見すると更地にみえるが、ホームは残っている。というのも、ホームは壊さずに辺りを埋め立てただけで、ホームの上部のみ、地面より露出しているからであるからだ。駅の残骸としては、他に水飲み場が残っていた。

駅の場所は、日本通運の近くである。

京極駅からは、線路が国道から離れて川沿いとなる為に、線路の様子がわからない。京極からは、脇方の鉱山へ向かう支線があったが、廃止前になくなっている。かつては、レールバスが走っていたらしい。(この区間は未調査)

北岡駅は、発電所の近くにあったが、現在、ホームは取り壊されて、待合室が農家の倉庫として畑の真ん中に鎮座している。辺りの路盤は、畑となっている。

寒別駅、三郷は記録に残していない事から、更地だったと思う。

路盤が国道の左手から右手に移って、しばらくすると、六郷駅がある。

六郷駅は現在、鉄道公園となっている。

線路が一部残っており、客車一両と緩急車一両、機関車の動輪がある。客車の保存状態は良いとは言い難い。客車の表記は消されていたと思った。

ここまで来ると、終点の倶知安駅まではもう近い。市街地を抜けると、倶知安駅がある。

倶知安駅は、かつての1番ホームの線路が外されている。


この調査は雨と坂に悩まされたが、無事に調査が終了した。

この場を借りて、お世話になった地元の方々に厚く御礼を申し上げます。


SPECIAL THANKS TO:

    伊達市上長和町の農家の方(休憩場所・駅情報などの提供)
    ドライブインのオバチャン(大滝村の自転車道情報の提供)
    小前様(尾路遠仮乗降場の情報・資料・寝床及び食事と風呂の提供)
    南京極駅の元委託業務の方(資料・情報提供)
    東京極駅前の商店の方(資料提供)
    寒別駅付近の民家の方(電話・跡地案内)
    駅の宿ひらふのご主人様(自転車の輸送)

1997年に、国鉄清算事業団が国鉄時代に廃止した路線の構造物を破壊して、跡地を更地にする事を大規模に行なうようなので、線路跡や、橋台や橋脚も含めた橋梁や、トンネルが破壊され、必ずしもこの本文に書いた事とは一致しない部分が多くなるものと思われます。早めの調査をお勧めします。