近鉄田原本線の終点西田原本駅付近から桜井駅付近まで県道14号線が滑らかに続いていて,それが大和鉄道跡である.廃線歩きとしてはあまり面白そうではない.しかし,ちょっと別の動機があった.

 実は,それまで近鉄線は全線のほとんどを乗っていた.乗っていなかったのは,田原本線の箸尾駅から終点の西田原本駅までだけであった.箸尾駅の南西には馬見丘陵公園があって古墳公園となっている.そこまでは何度か行った.近鉄田原本線と大和鉄道はいわば続きなのでこの際,箸尾から桜井まで一挙に訪ねてみようという気になった.

 思えば,生駒聖天・宝山寺からローカル線の近鉄生駒線・近鉄田原本線・大和鉄道・初瀬鉄道で長谷寺へ行けたわけである.宝山寺と長谷寺は宗派は違うのだろうが,ローカル線を合わせれば繋がっていた事が面白い.

 03年11月,大阪から近鉄奈良線で生駒駅へ行った.生駒線に乗り換える.後で思えば,ケーブルで宝山寺まで行けば良かったと思った.生駒線は宅地開発で北半分はもはやローカル線とはいえない.複線化の工事もどんどん進んでいた.30分弱で王子駅終点である.

 JR王子駅の北側を歩いて,新王子駅へ行く.そんな乗り換えをする人間はごく少ないと思われる.新王子駅からの田原本線は,まさにローカル線でのんびりとしている.ただ,人口密度は高いので朝夕は乗客が多かろう.20分弱で西田原本駅終点で,そのちょっと北には近鉄橿原線との渡り線がある.西田原本駅と田原本駅はやや離れていて鉄道会社の吸収の様子が現われている.

 西田原本駅へ着いて,近鉄線を全部乗った事になるが感慨は無かった.下車して,みんなが行く東の田原本駅方面へは行かず線路の延長方向へ南下する.駅から南へ1本の路地までは線路跡の境界が窺えたが,家が1軒あり,またもう一軒新築中であった.西の県道14でその路地へ行く.県道のすぐ東側に軌道跡の路地が左にカーブして緩やかに県道に合流している.それからは鉄道の面影は無かった.事前に,橿原線が県道,即ち大和鉄道をオーバークロスする部分に鉄道遺物があるのではないかと思っていたが,県道が拡幅され,元の遺構は何も無かった.ここのように先行の大和鉄道を新しい鉄道がオーバークロスするのはごく普通である.近鉄はどちらかというと国鉄とかの先行軌道あるいは廃線跡の道をオーバークロスする場合が多いようである.

 県道の歩道をとぼとぼと歩く.車が多く,雨だったので不愉快である.寺川を渡り,R24の交差点を過ぎると先へ歩く気がしなくなった.折しも日に数本の桜井行きのバスの便があった.しめしめ,バスから桜井まで県道である廃線跡を見てしまおうという気になった.バスはすぐ来た.バスは始めは順調に県道を走ったが,途中の大泉という交差点から大神神社方面へ寄り道して桜井へ行くのがルートであった.

 桜井駅に着いてから,逆に県道が拡幅されている場所まで戻った.「春日神社前」交差点である.地形図では寺川が2本に分かれた南側の本流が近鉄線をくぐる部分が県道の延長であり,JR線に滑らかに近づくのが読みとれる.

 桜井駅へ向かって廃線歩きを再開した.県道の延長は路地になっていて軌道跡に間違いない.路地は製材所で行き止まっていた.延長を見ると家の敷地境界が軌道境界と一致しているらしいフェンスを見つけた.北寄りを迂回して東へ,川沿いを南下する.近鉄線の大きな橋梁の真下に廃線遺構があった.左岸つまり西側にはコンクリートの橋台がそのまま残っていた.

 北西延長を見ると先の家の境界は軌道の北の境界と分かった.つまり家が建っている場所が軌道跡であった.

 橋台があると軌道の正確な位置や軌道の方向まで分かる場合があるので重宝する.河床には橋脚の基礎が残っていた.桁を2本のコンクリート柱で支えていたと見える.東側は,川の護岸が新しくなったらしく三叉路の真ん中に橋台があった.桁を架ける部分は,腰掛けるのにちょうど良い.しかも上は近鉄の巨大な桁であり雨でも平気である.橋脚の位置から考えて,川の東側の護岸付近にもう一本橋脚があったと思われた.また河床には鉄道の構造物であったと思われるコンクリート塊が散乱していた.

 これから桜井側もたぶん何も無さそうである.短い鉄道の両端に辛うじて遺構が残っているらしい.橋台に腰掛け,しばし感慨にふけった.桜井から初瀬までもなるべく間を置かずに訪れたい,と思った.

 軌道の延長は僅かに道路になっていたが先は宅地であった.道路から見ると橋台は車止めの様に見えた.路地はジグザグしていて行き止まりも多かったが,南側から桜井駅に戻った.