1. 廃止路線(歩いたところに関係する所のみ)


a. 福島駅前─長岡分岐点─聖光学園前─湯野町(飯坂東線)

  福島─長岡            9.10km 1908.04.14 開業
  長岡分岐点─聖光学園前      0.30km
  聖光学園前─湯野町        3.80km
  聖光学園前─湯野町          1967.09.16 廃止
  福島─聖光学園前(─伊達駅前)    1971.04.12 廃止


b. 長岡分岐点─上保原─保原(保原線)

  長岡─保原            4.57km 1908.07.01 開業
  長岡─保原(─梁川) 1971.04.12 廃止


c. 保原─梁川(梁川線)

  保原─梁川            6.53km 1910.06.18 開業
  (長岡─)保原─梁川 1971.04.12 廃止


d. 長岡分岐点─聖光学園前─伊達駅前(飯坂東線の枝線)

  長岡分岐点─聖光学園前      0.30km 1910. .  開業
  聖光学園前─伊達駅前       0.90km
  (福島─)長岡─伊達駅前 1971.04.12 廃止


e. 保原─掛田─川俣(掛田線)

  保原─掛田            6.30km 1910. .  開業
  掛田─川俣            15.75km 1915.12.13 開業
  掛田─川俣 1928.02.22 廃止
  保原─掛田 1971.04.12 廃止


f. 上保原─桑折駅前(名称不明)

  上保原─桑折駅前         6.50km 1922.04.17 開業
  上保原─桑折駅前 1928.02.22 廃止




2. 列車運行状況

 福島駅前─保原 13分毎(下の二つを含んで) 
 福島駅前─梁川 26〜60分毎  福島駅前─掛田 26〜60分毎 
 長岡分岐点─湯野町 30分毎(1950年頃) 
 伊達駅前─湯野町 25〜120分毎(1956年頃) 

掛田─川俣、上保原─桑折駅前については不明。



3. 廃線の状況


3.1 福島駅前─長岡分岐点について

 福島駅前(東口)は整備されていて、そこに駅があったとはわかりません。廃線跡はエスタと中合百貨店の間の若干広い道へと左折していました。実は福島駅の北にも線路が続いていて、貨物駅があったそうですが、今では何もわかりません。

 廃線跡は明治病院の前を通り、昔はなかった国道4号線を横切った所で左に折れます。国道4号線から一本東に入ったこの道は2kmほどまっすぐ続いているのですが、この通りは旧電車通りといい、地図にもそう記載されています。その後廃線跡は福島競馬場の東を通り、再び国道4号線にぶつかります。国道を北上すると、左にそれとなく分かれる側道があります。それが廃線跡で、その道を歩くとすぐに松川に出ます。ここに併用橋があったのですが、見た限り何も残っていませんでした。

 川を渡った向こう側は、国道から一本西に入った道が廃線跡です。道なりに進むと、本内郵便局、福島市鎌田支所の前を通ります。支所の前あたりに駅があったはずですが、今ではわかりません。廃線跡は阿武隈急行をくぐってから右に曲がり、すぐに国道4号線の旧道、陸羽街道に沿って左に曲がります。そのまま道なりに進むと摺上川にかかる幸橋を渡り、しばらくして長岡の集落に入ります。今も昔も伊達町の中心地です。ちょうど福島銀行の前あたりが長岡分岐点の駅だったそうです。あまり広くはない道ですが、この場所でで伊達からの貨車を保原方面の列車に付け替えていたそうなので、その入れ替え作業中には自動車は通行できなかったそうです。

 ここまでの部分には何にも遺構は残っていませんが、鉄道特有の緩やかなカーブ、走っていた頃の雰囲気などを楽しむにはいい区間だと思います。


3.2 長岡分岐点─保原、桑折─上保原について

 長岡分岐点を出ると、列車は右に90度に曲がり、今の国道399号の上を走っていたと思います。というのは、曲がった後、川の手前までは専用線だったらしいのですが、今の地図を見比べるとどうもそんな感じがするという理由があります。歩くとすぐに阿武隈川を横断する伊達橋にたどり着きますが、新しく架け替えられていて何も残ってはいません。渡り終え、左に伊達中学校を見ると、箱崎バス停、下の台バス停に着きます。ほぼバス停の位置に駅があったそうです。この二つとも何も残っていませんし、ましてや軌道線の跡は国道の下に埋もれています。

 道なりに進むと保原の集落に入り、まもなく保原バスセンターに着きます。この保原バスセンターこそ保原駅の跡であり、構内が広かったことを想像させてくれます。事実この駅で掛田方面と梁川方面の貨物の受け渡しをしたり、掛田方面と梁川方面の列車の分割併合をしたり、保原止まりの列車を留置するために構内は広かったそうです。バスセンターの待合所の建物は新しいものです。ちなみに、このバスセンターの前にその名も駅前食堂というのがあります。この食堂が鉄道があった頃からあったのかは、休業日だったので聞けませんでした。


3.3 掛田─保原、掛田─川俣について
掛田駅駅舎
掛田駅駅舎(保原の方に向かって撮影)

 掛田駅の跡は、その名も掛田駅前というバス停になっています。ここの待合所は、当時の駅舎そのままであり、軌道線の数少ない遺構の一つです。道路に面していない方がホームで、今はアスファルトでほとんどが埋まっています。

 前出のように、保原─掛田が開業した後に掛田─川俣が開業したのですが、その当時は福島交通ではなく大日本軌道福島支社の軽便鉄道でした。軌間は狭かったようです。その後、大日本軌道福島支社から福島電気鉄道に譲渡される際に、掛田─川俣間の貨物量、乗降客量が少なかったために引き継がなかったので、そのまま廃止になったそうです。逆に掛田─保原間は引き継ぐと同時に改軌して、多くなった貨物量、乗降客量に対応したそうです。その掛田─川俣間は、桑折─上保原と同時に約70年も前に廃止されたので遺構など残ってはいません。廃線跡は大体、掛田から川俣に行くバスの路線の通りで、掛田から月舘を通り、小島を通って、川俣中島というところに至っていたようです。後日川俣にも行きましたが、国鉄川俣駅は知っていても、さすがにその軽便鉄道の駅があったところを知っている人はいませんでした。

枕木
掛田駅の近くにあった枕木

 元に戻りますが、そういった歴史を刻んである石碑が、掛田駅の外れに立っています。(漢文調ですが)また、駅舎とともに軌道線の数少ない遺構の一つであるその当時の枕木が掛田駅の保原寄りに埋まっています。

 保原までは今の国道349号の上を走っていました。保原に向かっての上りが続き、ちょうど頂上を過ぎたところで金山バス停に着きます。ここに駅があったそうで、バス停の待合所はその駅に使われていたものだそうです。そこから坂を下りきったところで柱田バス停に着きます。ここに駅があったそうですが、何もありませんでした。ここまでの上り下りの勾配は、鉄道が通っていたとは思えないくらいでした。事実、満員の四両編成の列車が登りきれなかったので、一両づつ上って、ふもとでまたつなげた、というエピソードもあるくらいです。

 柱田から、保原の集落までは、典型的な一直線の電車道です。その後阿武隈急行の高架線の下をくぐり、国道が道なりに左に曲がる所の一本手前の道へと左折して進むと、保原町の南北のメインストリートに出ます。その道沿いに北へ行くと保原バスセンターに着きます。ちなみに現在の阿武隈急行の保原駅は、高架線の下をくぐってすぐに左折したところにあります。町の中心部にある保原バスセンターからは700mほど歩かなければなりません。

 余談ですが、この軌道線には、直角に曲がるところが長岡分岐点、保原など各所にある為、基本的には一両でしか運転していませんでした。しかし古い文献や地元の人の話から、複数両つないだ列車もあったことがわかっています。(貨物列車が一両では困りますからね) ではどうやってその直角カーブを曲がっていたのかわかりますか? 実はつないでいた連結器に長さが1mもある代物を使うことによって対処していたそうです。そんなことをしていた鉄道はここ以外に聞いたことありません。


3.4 保原─梁川について

 福島側から見ると、保原バスセンターから右に直角に曲がっていくのが掛田方面で、左に直角に曲がっていくのが梁川方面でした。左に直角に曲がった廃線跡は、600mほどは国道349号の上を走っていました。セブンイレブンのある交差点で左に折れ、桃陵中学校の手前で右に折れると、そこからは専用線になっていました。すこし行くと猫川というところに着きます。廃線跡の道の左に入ったところにバスの転向場があり、そこで話を聞いた運転手さんは、元軌道線の車掌だった人でした。鉄道の廃止後には代行バスがたいていある、と書きましたが、この人のように鉄道からバスに移った人もいるので、やはりバスはチェックすべきでしょう。その人の話では、次の向川原という駅には転車場の設備があったそうです。

車両
粟野小学校にあった福島交通の車両(1102号車)

 沿線は今も昔も果樹園で、ところどころに枕木か、という木が転がっています。緩やかな右カーブで県道に合流したあたりに、梁川までの間にある唯一の駅である向川原という駅があったようですが、転車場を含め何もわかりませんでした。ここから梁川までは、この県道の上を走っていました。向川原から500m位歩くと左に、粟野幼稚園・小学校が見えてきます。なんとそこに、状態は悪いものの、軌道線の車両があったのです。車番1102号のその車体は、事前に調べた写真そのままであり、馬面電車と呼ばれていたのがよくわかるものでした。ちょっと感動してしまいました。ちなみに馬面電車として有名だったのは、今はなき花巻電鉄にあったものと、ここの二カ所だったと思います。

 その後道なりに歩いていき、国道349号線と合流すると、梁川の町に入っていきます。すると、普通の十字路にしては左折する方がやけに広い交差点に着きます。その左に広い部分が廃線跡で、コープマート梁川店の見える方に続く未舗装の道にまっすぐ続いていく感じになっているのがわかるでしょう。福島交通の終点梁川駅はそのコープマート梁川店があるところにあって、ホームが二面あった構内が広い駅だったそうです。梁川の中心地であるこの場所から、阿武隈急行の梁川駅までは700mほど歩かなければなりません。保原も、梁川も今ある駅はどう見ても町外れにあるような気がしました。


3.5 長岡分岐点─聖光学園前─伊達駅前、聖光学園前─湯野町について

 長岡分岐点を左に直角に曲がるとすぐに聖光学園前の駅があったそうで、そこを右に行くと伊達駅に、左に行くと今の国道399号線に沿って湯野町に至っていました。伊達駅前には、ホームがあったのですが、そう行ったものを含め何も残っていなかったと思います。聖光学園前の駅を左に行き、伊達製鋼を過ぎると、車庫からの線路と合流して国鉄東北本線と平面交差していました。今は、国道399号線が立体交差でJR東北本線を越しています。そのまま道沿いに進み、昔はなかった東北自動車道をくぐると明神町というバス停に着きます。廃線跡も、国道と同じく道なりに左に曲がっていましたが、すぐに国道と分かれて右に曲がっていました。国道沿いにある田中というバス停の一本北の道が廃線跡だそうです。

 その道が再び国道にぶつかり、横断した先に湯野町駅があります。今は廃線の通りには湯野町駅に直接行けないので、いったん北に回って湯野町駅に着きました。そこは今も湯野駅というバス停でして、そこの待合所は、掛田駅駅舎とともに残っている数少ない遺構である湯野町駅駅舎そのものです。この駅舎の南側には出札口がそのまま残っていて、ホームの跡も確認できます。湯野町駅から、飯坂温泉駅までは歩いて5分くらいです。伊達駅前には、飯坂温泉まで電車で13分という看板があったそうですが、実際、車は飯坂街道沿いに、鉄道は福島から飯坂温泉へ行くのが主流だったようで、こちらから飯坂に入る人は少なかったようです。福島から飯坂温泉へ行く鉄道も同じ福島交通であったため、需要が少なかったこちらを廃止したともいわれています。


(参考)廃線跡に関係がある福島交通バス路線

福島駅東口─伊達長岡─伊達駅入口─湯野駅線
福島駅東口─伊達長岡─箱崎─保原バスセンター─猫川線
福島駅東口─伊達長岡─伏黒入口─大正橋─保原バスセンター─柱田─掛田駅前線
湯野駅─伊達駅入口─箱崎─保原バスセンター─保原晦日町線
福島駅東口─伊達長岡─伏黒入口─桑折駅前─桑折警察署前線

 なお、掛田駅前、保原バスセンターには上記以外に廃線跡を通らない路線もありますので、注意してください。掛田駅に直接行くのであれば通らないバスの方が早くたどりつけますが、乗り物酔いをする人にはあまりおすすめしません。(私は酔いませんが)

 梁川方面で、廃線跡をたどる路線は猫川以北はありません。車両があった粟野小学校に歩いて行くためには、阿武隈急行で梁川に行って戻るか、猫川までバスで行って歩くしかありません。私が廃線跡を歩く際に国土地理院の地図と共によく持っていく昭文社の地図には、そのあたりにバス路線が示されてありますが、既に廃止されています。バスの廃止は鉄道のそれとは違い、いろんな意味でよくわからないものです。


4. 参考文献、資料

鉄道ファン1983年1月号
鉄道廃線跡を歩く 宮脇俊三編著
時刻表復刻版(戦後編)
国土地理院地図 50000分の1 福島(S31)、桑折(S31)、保原(S31)
国土地理院地図 25000分の1 福島北部(H1)、桑折(H5)、保原(H5)

以上