現在京都駅からJRの上りに乗ると,東山トンネルを貫け山科駅へ,さらに新逢坂山トンネルを貫けて大津駅へ至り,そして瀬田川を渡り湖東を東上するのだが,今回は明治時代に鉄道が敷かれた頃の話をする.

 明治初期はまだ湖東に鉄路はなく,長浜から船で大津まで連絡していた.今の京阪浜大津駅付近が当時の「大津」駅であり,神戸からの汽車の終着駅であった.ここから当時の汽車のルートをたどる.まず「浜大津」から京阪「膳所」までは今の京阪線とほぼ同じであったが,当時は「浜大津」付近は湖岸であった.京阪からJRに自然に合流したJR膳所駅あたりが昔の「馬場」駅のあった場所である.いまも付近の町名は馬場である.ここまでが湖東に線路がないための暫定のルートであり,ここから折り返して西に向かう.

 JR膳所駅の南隣に国道1号線が通っているが,これが当時の線路跡である.西に向かって,25/1000の上り勾配になっている.今のJR大津駅付近に駅は無かった.上り勾配の途中の逢坂小学校のところに古くて狭い地下道があるが,昔は線路をくぐっていたかもしれない.国道はこの先左にカーブしているが,線路はまっすぐ山に向かい逢坂山隧道に至る.国道161号線が合流したところに水道局の敷地があり,その中に隧道の東の入口がある.解説の看板がある.

 逢坂山隧道は,日本人技師の手によってできた日本で初めてのトンネルである.長さは664.8m.明治13年から大正10年まで供用された.山側に後につくられた2本目の複線用のトンネルがある.トンネルの排水路のわき水は豊富できれいであり,トンネルはまだ活きている.トンネルから東を望むと,国道1号線をくぐった京阪電車が国道161号線の踏切を渡る直前の壁がレンガ作りになった部分があるが,よくみると線路の橋台であったことがわかる.当時はもちろん国道はなく,谷筋に沿った街道があるのみであった.

 国道1号線に戻り峠を越える.逢坂山越えは東海道の街道の難所であり,牛車が通りやすいように道に石を敷き詰めていた.歩道の壁に解説板がある.峠を越え国道から北に分かれる道を入ると蝉丸神社に着く.琵琶法師の蝉丸は百人一首のボーズめくりで有名である.蝉丸神社の北,名神高速のトンネルの上に出ると「逢坂山とんねる跡」石碑がある.ここは昔の隧道の西の入口であり,隧道を出たところに「大谷」駅があった.西にすぐ京阪大谷駅に至る.歩くのはこれで終わり.あとは地図上で線路跡をたどる.なお,ここから三井寺や石山寺へのハイキング路があり距離と略図の入った案内板がある.

 現在の東海道線は「山科」から東山トンネルを貫け京都に至るが,昔は東山を避け大きく南へ迂回していた.今の名神高速のルートがほぼ昔の線路跡である.すなわち「大谷」から名神に沿って山沿いを南下し大宅から勧修寺(かじゅうじ)町へ至る.名神高速バスのバス停「名神山科」付近に「山科」駅があった.さらに名神に沿って山の低い所を越え京都盆地にたどり着くのであった.名神からJR奈良線に合流してJR稲荷駅へ至る.峠を越え下りになって名神から離れ,地図で妙になめらかにカーブしている道路が線路跡である.ここから京都までのJR奈良線が昔の東海道線であった.昔は東山トンネルが無いため,このように大迂回をしたのであった.

 京都から奈良へ行く昔の軌道は,京都駅から現在の近鉄線を南下し「丹波橋」からJR桃山駅に合流していた.新しい東海道線ができた際「稲荷」から「桃山」まで線路をつくり現在の姿になったのである.地図でみるとJR奈良線が異常にぐにゃぐにゃしているのはこういった事情によるのであった.

 一般に汽車の線路を新しく道路が横切る際,踏切を避けるには陸橋をつくって上を越えるのがふつうで,地面を切り通して下をくぐることは少ない.鉄路同士でも事情は同じである.「丹波橋」で京阪が近鉄をオーバークロスするのは近鉄線の軌道がもと官営鉄道で京阪より古いためであり,「東福寺」の南で京阪がJR奈良線をオーバークロスするのは,JR奈良線がもと東海道線でこっちが古いためである.東山トンネルを貫ける新しい東海道線は,京都駅を出て東山トンネルに入る直前と山科駅の手前で京阪電車の上を越えるように作られた.現在京都駅から大津駅まで電車でわずか10分である.