76年11月の時刻表によれば,福井鉄道南越線は武生〜粟田部の8.7kmを日に16往復していた事が分かる.下りは17分,上りは16分かかっていて,典型的なローカル電車といえる.値段は片道180円であった.今の福井の県内地図帳を見ると,粟田部は武生駅の東の山沿いにある今立町の中心部の西寄りにある事は分かるが,いかんせん時刻表は私鉄の記述がきわめて簡単で,その経路や途中駅には触れられていない.現在の地図を見て廃線跡と思われるルートをいろいろと考えたが決定的な確信は得られなかった.ところが01年夏に偶然それらが明らかになった.
武生駅から東へ7kmに味真野(あじまの)苑という庭園があり重要文化財の谷口家住宅などもそこに移転保存されているのだが,苑内に越前の里郷土資料館という武生市の資料館がある.いろんな郷土資料の展示があり,狭いが典型的な歴史民俗資料館といえる.しかも入場料が無料なので気軽に利用できる.ちなみに武生市には他に郷土資料館として武生市公会堂記念館もあり,こちらは武生駅から南西へ徒歩5分でやはり無料なので便利に利用できる.それはさておき,越前の里郷土資料館のロビーに古い地図が2枚展示されていて,それにローカル私鉄の軌道が記載されている.
一つは比較的新しいが,武生〜粟田部間がちゃんと載っていた.また鯖浦線といって今の福井鉄道水落駅から西田中駅までの廃線になったルートも現役であった.いま一つの地図はそれより古く,本来は武生の遺跡地図として展示されているものであるが,さらに長い鉄路が記載されている.それには,武生〜粟田部のほかに粟田部〜岡本新,岡本新〜戸ノ口も記載されている.岡本新駅は今の「和紙の里」という今立町の文化施設の辺りで,そこで鉄路は折り返して北上し戸ノ口駅に至っていたことが記されている.また鯖浦線の方は西田中駅が終着でなく,全盛時は織田(おた)町まで延びていたことが分かる.
01年暮れに南越線の廃線跡を訪れた.JR武生駅には駅レンタサイクルがありそれを利用してまず味真野苑を訪れた.くだんの地図を観察し,途中駅の場所も地図にメモした.3km位北上し「和紙の里」に至る.今立は和紙が地場産業で付近には和紙工場が多く見受けられた.戸ノ口から岡本新へのルートは道路になっているようであった.とりあえず今立警察付近まで北上し,川沿いの廃線跡と思われる道に出た.地元の人に伺ったが軌道跡は完全に道路になっているとの事であった.先の古い地図と今の地図を見比べても県道が戸ノ口までの軌道と推察される.粟田部から先は71年に廃止されたそうで,それより北へはトレースしなかった.しかし探せば何か発見できるかもしれない.
さて今立警察付近から南下し岡本新へ向かう.途中道路は向かって東へずれている場所がありはっきりした軌道は確認できなかった.一般にこういう風に道路化された場合,軌道を飲み込んで広い道路ができる場合や広い歩道に軌道が化ける場合等があるがここは事情が良く分からない.鉄道遺物が残っている雰囲気でも無かった.今立町役場の西の信号からさらに少し西へ行ったところが軌道跡と推定できた.しかし道路を南側に渡った所で再び道路が直線からずれていた.ただこっちは上記と違い,「さだとも」という駅があったので行き違いのため軌道は一直線でなく,ずれていても構わない.今立中央病院の東側に相当する.
南下し岡本小学校の裏をすぎると道は左にカーブして自然に「和紙の里」の敷地に入る.逆に言えば,折り返し駅であった「岡本新」の駅構内が和紙の里の敷地になったのであろう.しかし遊歩道にある解説板にはローカル私鉄の事は全く触れられていなかった.言及してもばちは当たるまい,と思った.
折り返して粟田部駅跡に向かう.粟田部駅は今のバス停付近ではなくて,南西近くの「うすずみ会館」というコミュニティーセンターが駅のあった所である.ここは夏に和紙の里を訪れた際に立ち寄ったところである.それで岡本新からそこへの軌道跡を探したがその部分は全く道路としての痕跡も見いだせなかった.うすずみ会館の場所は,いかにも駅の雰囲気が似合う良い所である.即ち,会館はプラットホームに建っているようであり,南側のホーム下は軌道跡らしい道路で,さらに南に少し低くなるギャップを伴って別の道路がある.待避線かもしれないし,駅前の道路であったのかもしれない.とにかく道路が2本並んでいるのである.
粟田部駅からは81年の廃線で上記より廃線になるのが遅かったが,雰囲気に違いはあるのだろうか.粟田部駅を過ぎると軌道跡は道路になっているのが地図から分かるのでルートの同定は必要なく,ただ現状がどうなっているかだけである.軌道跡の道路は南に向きを変え五分市駅跡に至る.途中東側に軌道の跡らしいものが見えたので,道路が軌道をつぶした部分と軌道に沿って道路があった場所の両方があるように思えた.五分市駅は交差点にある駐車場の敷地になっているようであった.軌道は五分市駅を過ぎると北西に向きを変える.粟田部から武生に向かうには五分市駅に寄るのは遠回りであるが,味真野や豪摂寺などのある地域に配慮したためであろう.遠回りはローカル私鉄によく見られ,鯖江から西へ延びる鯖浦線でも西田中駅に寄り道している.
しばらく行くと軌道跡の舗装道路はおしまいになる.東洋化成という工場のはずれで軌道は道路化されずにそのまま残っていた.やっと雰囲気のある廃線跡という感じになった.線路の枕木は無かったがバラスが多く見られ,それらは丸まっているとはいえ自転車にはやや不向きである.
東西に走る県道262を横切った脇の小川に鉄の橋桁がそのまま残っていた.そこから先少しだけ軌道跡はトレース出来ない.すぐ先に浅水川に架かる立派な鉄橋が見えていて少し迂回して鉄橋の東側に至った.U字型の橋桁は緑色にペンキが塗られていて橋脚や橋台や枕木もそのままで一級の鉄道遺物といえる.橋自体は通行できないので再び迂回する.反対側からかなり橋に近づけた.橋の西で軌道は小さな小川を跨いでいた.コンクリートの橋台は西側がやや崩れているものの東側はちゃんと残っていた.さらに架かっていた橋桁も軌道の土盛りに放置されていた.3m位の長さでやはり緑のペンキが塗られていた.
軌道は道路化した部分に入る.その付近に真柄駅があり軌道も駅跡らしく広くなっていた.さらに進み北陸自動車道に至る.その手前には北村駅があったが道路はやはり僅かに膨らんだり曲がったりしているのが観察された.北陸自動車道をくぐるとすぐ小川を渡る.現在道路化の工事中であるが橋自体は,軌道に対して真っ直ぐで,小川に対しては直角ではない.従って橋自体は当時のままか,もしくは同じ場所に同じ角度で架け替えたと思われた.
近江化工の工場の手前に塚町駅があったがやはり道は微妙に痕跡をとどめている様に見えた.道路を挟んで工場側は少ししかトレース出来ない.ただ境界部分に小さな橋台が残っていた.工場の敷地を迂回し,R8に至る.交差点からは進路をさらにやや西に取り日野川に至る.その間は軌道は広い道路になっていたが真っ直ぐな道である.日野川に架かる橋は八幡歩道橋という橋にに転用されていた.立派な造りの鉄の桁はクリーム色で7本ある橋脚のうち,西端の1本と東の2本がレンガ積みであった.レンガ積みの橋脚は中央部と違って普段は水の被らない場所なので開通時のまま残っているのかもしれない.橋を渡るときにかなりの満足感が得られた.
橋を渡ると廃線跡は工場の敷地になり立ち入ることは出来ない.北寄りから眺めると軌道は日野川の堤防から左に(南に)急カーブしているのが分かった.味真野の古い地図の通りであったが武生駅へ至る正確な軌道跡は窺えなかった.
日野川の右岸を南下し豊橋のたもとに至る.橋は一挙にJRの軌道を跨ぐ様になっていたが途中にJRの軌道の東側に沿う道に降りる歩道があった.先の八幡歩道橋と共に日野川の東側から駅に至る自転車道として便利になっていた.JRに並行していた軌道はその道路がそれなのか潰されているのか分からなかった.ただ橋から降りる歩道の東側に工場の敷地へくぐって入る所があり,その部分の盛り土が開いている.それが軌道跡かもしれない.武生駅には東側に駐車場があり,それは終着駅の駅跡,社武生駅,そのものであるのは疑いないところである.JR駅には東西に陸橋の自由通路があり,私鉄があった当時は国鉄駅の西側から私鉄駅へ行くのに便利な造りであったように思えた.もっとも,自由通路が出来るより廃線の方が早かったのかもしれないので調べないとはっきりしたことは言えない.また現在のJR駅には構内の陸橋もあるが,それはかなり廃線の駅の敷地より南寄りにあり乗り換えとは関係が無い風に見えた.正解を知るには駅や陸橋の改修等の細かい部分までちゃんと時間順に正確に調べる必要がある.