先日,榊原温泉口駅から西青山駅までの旧線を訪ねた.
旧線はさらに西の伊賀上津駅まで,新線に部分的に飲み込まれているものの独立に存在し,現線の車窓からも散見できる.
西から見ると,上津駅から土盛りを上って切り通しを通過し,現線の短いトンネルのすぐ北に単線の旧線と宮下トンネルがある.これは両方の開口部が車窓から見える.さらに東へ200m強で藪の間に北山トンネル西口が見える.ただしこっちはかなり見づらい.車窓からは,次は新三軒屋トンネルを出たすぐ北に(旧)三軒屋トンネルの東口がやや高みに見える.引き続いて(旧)三軒屋橋梁,これは東行きの電車の車窓から見下ろす感じになる.さらに現線と平面でクロスして,西青山駅の南側の軌道跡になり,そこからは既に訪れた.
先日は榊原温泉口駅から西へ現線の西青山駅の南側までを訪ねたのでその続きを見ようと思う.特に,車窓からは見えない北山トンネル東口から谷奥トンネルと三軒屋トンネル西口にかけて,どうなっているかを見たかったのである.現線は西から短い新宮下トンネル,短い新北山トンネル,すぐ続く新三軒屋トンネル,そして新三軒屋橋梁となっているが,旧線は,新線の新三軒屋トンネルに相当する部分に西から谷奥トンネル,三軒屋トンネルと1本多くトンネルが掘られている.北に少し迂回して,トンネルを少しでも短く,あるいは2本に分けて長いトンネルを掘るのを回避した事になる.昭和初期のことゆえ致し方あるまい.
03年11月の初め,西青山駅で下車し前月の続きの廃線歩きを始めた.地形図は,「伊勢路」を使用した.
まず西青山駅の南の旧線跡を再訪した.前回,旧線を西へ少し歩いたが今回はさらに西に進んだ.藪で余り先には行けなかったが旧線に沿った送電線が現線に合流しているのは見えた.
戻って,R165を西へ歩く.車が多く,歩道は無い.歩き出してすぐ北へ林道がある.地形図では,山を越えて旧線の三軒屋トンネルの西寄り辺りに行けそうだが,三軒屋橋梁を見たいので国道をそのまま西へ歩いた.
現線は,南の山腹に付いている.見上げる感じなので旧線が現線とクロスする場所は見えない.車窓からのみ見えるアングルである.現線は西青山駅から三軒屋橋梁までは勾配は感じられないが国道は下り坂である.新旧の三軒屋橋梁をくぐるルートになっているからである.
三軒屋橋梁が見えてきた.現線は下部がトラス構造で鉄骨は深緑色に塗られていた.何度も通ったが橋を見るのは初めてである.トラスの下部から下の国道までのスペースは以外と狭い.よく道路が線路をくぐる部分に,高さ制限の標識や鉄橋を守るための左右に渡した鉄骨があるが,ここには無かった.橋梁の規模が大きいので,スペースが狭く感じたのは目の錯覚なのかもしれない.
車窓から見た(旧)三軒屋橋梁はちらっと見下ろす感じだが,今日は全容が良く見える.昭和初期に参宮急行が青山高原越えの鉄道を完成させた時の記録として三軒屋橋梁の写真をよく見る.橋梁と同様に青山トンネルの開削も重要な工事なのだが,写真では橋梁の方が目立つからであろう.
R165は青山川の右岸にあり,北側から南側に橋梁をくぐるので,北側からが旧橋梁が良く見える.
旧線は現線の北側で青山川の上流側にある.普通,新規の橋は古いものより上流側に架けて,古い橋脚等が下流側に倒れても大丈夫なように設計するが,ここは違っている.ただし,ここの橋脚は断面が長方形のコンクリートですごく頑丈そうである.30m位高さがあり大変立派な橋脚である.
旧線の東側の橋台は現線の架線の基礎に転用されているようであった.一番東の橋脚は現線の橋脚と同じ位置で,どっしりとした感じである.二本目は川の流れのやや東の斜面にあり,同様に立派で文化財の雰囲気である.三本目は流れのすぐ西側で道路の東の路肩の下にある.ただ,道路面の高さから上は除かれていて,鉄筋が何本も剥き出しで出っ張っていた.これは現線の安全を考えて部分的に撤去したものと思われる.念のためではあろうがちょっと残念ではあった.四本目は道路の西の路肩にあり,現線の西側の橋脚と同じ位置であった.現線は旧線の2本の橋脚に当たる部分をとばしてトラス構造としたのが分かった.旧線の橋梁は橋脚が4本とも残っていれば,すごく絵になる風景と思われた.
高みを見ても西側の橋台や三軒屋トンネルの東口は見えなかった.車窓から植生が少ない時期に見るしかなかろう.送電線は北寄りに移っており,旧線に沿っているのは以東の旧線と同様であった.
つぶさに旧線を見たいが車がひっきりなしで落ち着かない.橋梁をくぐって南側から新三軒屋橋梁を見る.新三軒屋トンネル東口から西側の橋脚まで東に向かって登り勾配で,橋脚付近から東側が勾配が無い様に見えた.しかし地形図では新三軒屋トンネルの東口辺りから橋梁にかけてカーブしているので,そんな風に見えるだけかもしれない.新線の勾配標を調べる必要がある.
地形図では,新三軒屋トンネルは630m位の長さで,西口の標高は285m位,東口は305m位で,30‰以上の急勾配である.ちなみに伊賀上津駅の土盛りは標高220m位で,新三軒屋トンネル東口まで2.5kmで同じ急勾配が西から続いている事が分かる.また新三軒屋トンネル東口から新青山トンネル西口まで1km強で標高差が15m位で勾配は比較的緩やかと計算出来,感覚と合致する.
国道は青山川に忠実に沿っている.新旧の近鉄線とは南に離れるが仕方ない.国道はかなりの下り坂である.ドライブインを2軒見て,さらに坂を下ると旧道の分岐に着く.地形図の名前になっている「伊勢路」集落の東のはずれである.伊勢路集落は,立派な造りの建物が多く元は旅館だった様である.集落の中心部には,常夜灯があり,「初瀬街道 伊勢地の宿」と木柱があった.「路」が「地」なのは何か意味があるのだろうか.ここは青山高原越えの西側の里の宿場であった.
伊勢路集落を北に抜けると現線の土盛りが近づいてくる.東へ向かってかなりの上り勾配であることが良く見える.西を見ると青山川があり現線の北側で木津川に合する.木津川はもちろん大阪と京都の境の天王山のたもとで宇治川と桂川と合して淀川となる川である.
現線をくぐって北へ歩く.道は県道2号線で,「伊賀・青山線」とあった.500m北で東へ道路が分かれている.地形図では先に平らな土地や獣舎の標記がある場所があり,その近くに旧線があるはずである.地形図で切り取りの標記がいくつかあり,旧線があるのが読みとれる.結局,三軒屋橋梁を東西に長い楕円の東の端として,楕円を時計回りにほとんど一周する感じになる.楕円の西が現線をくぐる部分である.
東へ上り坂の道路を進む.平らな土地は丸太の集積場であった.東へ分かれてから1km位で,それまでは道路は広かったがそこからは狭い道となる.獣舎の標記は2階建ての養鶏場であった.数棟あり,さらに東には平屋の養鶏場がある.その間に小道が南に延びていて,地形図では旧線へ行くのはその道しかない.その小道は現線の新北山トンネルと新三軒屋トンネルの間を横切り,伊勢路集落へ行けることになっている.
小道を進むと現線が見えてきて,東に小道が合している.そのすぐ北から東側の小さな崖の下を見れば旧トンネルが見えた.北山トンネル東口で,小道は北山トンネルの上を横切る格好になっていた.地形図の小道の場所と異なっていた.地形図で北山トンネルは東からの切り通しが途切れる事から容易に存在が読みとれる.北山トンネルは短く南北にやせ尾根が走っていることになる.南の現線の新北山トンネルも同じ尾根にトンネルが掘られている.
先の分岐の小道を少し東へ進めば現線の新三軒屋トンネル西口が見えた.新三軒屋トンネルと新北山トンネルの間は僅かであり,新北山トンネル東口は死角で見えない.まずは東へ進まずに南下した.新北山トンネル西口が見え現線の北側に出た.車窓からいつも見ていた空き地である.
旧線に沿った送電線は現線に合流する.現線の82kmのキロポストがあった.藪の間から北へ分け入ると,地面を1m位切り取った旧軌道に出た.東側を見れば,先ほど上を横切った北山トンネル西口が見える.トンネルはごく短く,出口も良く見えた.軌道跡そのものは西へは進めないので,現線の脇を西へ200m位の宮下トンネルへ向かう.
現線の新宮下トンネルはごく短く,取り崩しても良いくらいの規模である.そのすぐ北に旧線の宮下トンネルがあるが,立って見る高さでは藪で良く見えない.車窓からの方が良く見えることが分かった.宮下トンネルから西も現線の切り通し付近で旧線は飲み込まれていて,そこまでは行かなかった.
先ほどの小道の分岐まで戻って,東へ歩く.道は旧軌道の高さまで下りるようになっていた.北側は切り取りで軌道面には太い木が堂々とあり,廃線からの時間を感じさせられた.西を窺うと北山トンネル東口が良く見えた.ただ藪で通過できる雰囲気ではなかった.この北山トンネル東口は,現線から見えないアングルであり,これまでいくら車窓から凝視しても見つからないはずであった.東へ軌道跡を歩く.現線から分かれた送電線の鉄塔が続いている.小川にコンクリートの橋台がそのまま残っていた.ただ桁の上部は枕木で,下は見えないが鉄桁がありそうであった.地形図では,小川に沿って道があるはずだが藪で分からなかった.渡るとトンネル開口部が見える.谷奥トンネル西口である.地形図で,”新三軒屋トンネル”と書いてある,”軒”の字のすぐ北側に切り取りの印があり,それが谷奥トンネルと三軒屋トンネルの間の切り取りと推定できる.従って谷奥トンネルは250m位の長さと推定できた.開口部の柵は開いていて中に入る.水の音がする.トンネルの左右に側溝があり水量は結構多い.東に向かって登り勾配で水は手前に流れている.トンネルは途中でやや南にカーブしていたがトンネルの中間辺りでは両口の明かりが確認できた.谷奥トンネル東口に着く.
谷奥トンネル東口から三軒屋トンネルは50m位で良く見えている.間は,地形図では南側の切り取りであったが実際は切り通しであった.側壁はトンネル内と同じコンクリートブロック積みで,天井の抜けたトンネルの雰囲気であった.切り通しの部分は藪で,三軒屋トンネル西口までは行けそうもなかった.幹線の送電線が旧軌道を横切るのを見てトンネル間の場所が地形図の切り取りであると正確に分かった.
旧軌道がほぼ理解できたので満足した.東は500m位で三軒屋トンネルを抜け,三軒屋橋梁になるので大迂回をしたことになる.
谷奥トンネルを通って西へ戻る.行くときは少し怖かったが帰りは平気であった.小道の分岐から養鶏場に戻った.さらに少し東に進み,違う所から旧線を見ようと試みた.平屋の養鶏場の裏には旧線に沿った送電線があった.送電線の鉄塔の基礎部分から見下ろして谷奥トンネルと三軒屋トンネルの間の切り通しを見ることが出来た.しかしトンネルの開口部は藪で見えなかった.トンネルを通過して切り通しに立って見たのと同じ場所だが,印象はかなり違っていた.切り通しは川か水路のように見え,予備知識が無いと鉄道遺物だと気が付かないかもしれない.
4本の旧トンネル,西から宮下・北山・谷奥・三軒屋トンネルの開口部を,車窓からも含めて全部見ることが出来た.三軒屋橋梁の橋脚は下から見上げる格好になり,立派で印象深かった.帰路は,直線距離では西青山駅が近いが,山越えである.戻って,現線を県道がくぐる場所から西へ500mの伊賀上津駅へ向かった.
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