出石鉄道の軌道の図が見つかったので,04年春に再訪した.
昨年暮れの時は,江原駅から鶴岡橋まで逆S字型であり,一度,国道を横切ることは分かっていたが詳細は分からなかった.
江原駅からすぐ北の,線路に沿った橋台は,前回は,下り列車からは遠いと思ったが充分見えそうだと分かった.橋台からすぐ北で左カーブするかと思っていた軌道は,もう1本北の道まで線路に並進する事が分かった.右カーブする地点に,教えてもらった保育園があった.しかしカーブしていた軌道の痕跡は分からなかった.保育園の南側に,カーブしていた遺構を見出そうとしたが見方が甘いのか分からなかった.工事の手が入ったのかもしれない.
東西の道路のやや南に並行していた軌道跡付近を見たが,明瞭な痕跡は見いだせなかった.国道に出て,振り返って軌道跡を見たら,ガソリンスタンドの北側の敷地境界が,軌道の南の境界らしく見えた.西の延長も家屋がその線で分かれている風にも見えた.
国道から東は,道の南側に平行に別の道がある.その道を進んだ.家の玄関が反対にあり,道側が裏手になっている家があったのでその道が軌道跡そのものかもしれない.道に沿っての両側のどちらかが軌道跡の可能性もあるが,ここは道そのものが軌道跡らしく見えた.
道を進むと円山川の堤防にぶつかり北へカーブする.前回,うろうろしたが分からなかった付近である.軌道は,もっと手前で道からカーブして北寄りに進んだらしいが,分岐点やその先の痕跡は無かった.
鶴岡橋が近くなる.
円山川の左岸堤防に立つと,日光の関係で水面下に丸い鉄橋の橋脚の跡が見えた.それを参考にして西側を見ると,堤防下の軌道跡に建つ家の南側の境界が軌道境界と一致しているらしい事が分かった.高みから見るので確からしい.しかしそれより西は田畑の畦に痕跡は残っていなかった.
鶴岡橋を渡り軌道跡を見る.付近では,前回の推定は正しかったが,新たに,山際の落石防止のコンクリートが軌道時代の物らしいのを見つけた.
公園を過ぎ,北東の山際へは田畑の区画整理で軌道跡は分からない.山際にある堰堤は新しそうであり鉄道があった頃の痕跡は無かった.前回,すぐ東にある上郷川の右岸の橋台は積雪で近くに行けなかったが,今回間近に確認した.軌道跡と思われた土盛りも,明瞭にそれと分かった.
国道と並んだ市谷川の橋台を見て,それから東側を前回より詳細に調べた.
”お寺の裏手を進んだようだ”,というのは尋ねて正しいことが分かった.ドライアイス工場の看板付近の軌道の東には,里道を通すトンネルがあったことも伺った.その里道は今もある.次の山際までの撤去された土盛りの位置は正確に分かった.
前回よりも西寄りから峠にかかる斜面の軌道跡によじ登った.そして西にバックして土盛りが撤去された正確な場所を確認した.峠で国道に合流するまで,今回は積雪は無いがぬかるみで難儀した.
峠を越え,国道の下り坂を歩く.三木集落付近は特に勾配がきつく,国道ではなく南の里道が軌道跡かもしれないと新たに感じた.
例の真っ直ぐな道を歩く.南にカーブし鳥居集落に入る.前回も鳥居駅のホームを探してはいたが今回も分からなかった.カーブする凸部にあるホームとも見えるコンクリートの構造物を今回も調べたがどうもホームには見えない.普通プラットホームは線路側が垂直になっているがここのはかなり斜めである.人に聞けば良かった.
バス道のすぐ南の水路の橋台を再見する.前回も良く見てはいたのだが何とも不思議な残り方であった.
今回は出石川左岸は歩かなかった.国道を菅川の橋まで歩いた.河川工事は終わっていて,菅川の橋台をより近くの正面から見た.
前回は工事現場内で分からなかったが,菅川の分流というか水路に別の橋台と低い柵のある鉄桁を見つけた.菅川の橋台の南の延長上にあるので間違いない.巾は2〜3m位だが保存状態は最高と云える.
前回,県道2号線までは単に推定だったが,直線状に線路があったことが図で分かった.あと,県道2号線から南の軌道は,県道に飲み込まれたかと思ったが,間違っていた.踏切で交差していたことが分かった.角度は斜めだが西の山際を削って軌道があったらしい事が分かった.終点の出石駅の推定地点は私有地で分からなかった.鉄道遺物が残っているか分からない.古い,”農業倉庫”は鉄道時代からあったそうだが,駅との位置関係は分からなかった.
大阪から前回と同じ汽車で来たが,2時間弱早く着いた.今回は余裕があったので,観光地である出石をぐるっと一巡りした.以前より,観光客はずいぶん多くなった印象である.観光バスやマイカーは増え,駐車場もずいぶん多くなった様に感じた.蕎麦屋も増え,土産物屋も賑わっていた.ただ,帰りの江原駅行きの路線バスは地元の人がほとんどであった.
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