阪神電鉄の廃線跡




     このたび、プロ野球阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を果たしました。これに便乗してというわけでもないですが(いや・・・その通りなのですが)、いい機会ですので、阪神タイガースの親会社阪神電気鉄道の廃線跡関連の話をしてみます。

     阪神電鉄は、鉄道線と軌道線を持っていました。軌道線というのは、いわゆる路面電車で、本社のある野田を基点に天神橋筋六丁目を結ぶ北大阪線と、国道2号線を西方へ東神戸までを結ぶ国道線の2線が東西軸で、このほかに甲子園線などの枝線を持っていました。

     道路との併用軌道であったため、当然ながら、現在は軌道線の跡は残っていないのですが、以前、このホームページをご覧の方から、国道2号線の工事で路面を掘り返していた現場で、阪神国道線のものと思われるレールが埋まっているのを偶然見たという目撃談が寄せられました。実は今でもアスファルトや植え込みの下に、人知れずレールが残っているのかもしれません。

     レールが残るというと、私が中学の時ですから、昭和54年頃のことになりますが、宝塚市内の小浜交差点の高架下に、使い古しの細いレールが山積みされているのを見たことがあります。当時、なんでこんなところに古レールが積んであるのか、全く不思議でしたが、このレールは阪神国道線から撤去されたものの一部ではないかと思ってたりしています。

     なんでこんな阪神のテリトリーから離れた宝塚市内に?というと、このHPでも山脇俊秀さんに取り上げていただいているように、宝塚尼崎電鉄という阪神電鉄の子会社が、尼崎から宝塚まで路線免許を取得しながら、鉄道線としては開業できなかった、いわゆる未成線の路盤跡地が現在の県道42号線(尼宝線)であり、小浜交差点はズバリこの中にあるからです。もっとも、これはあくまでも私の勝手な推測であり、もし本当のことをご存知の方がおられましたら、お知らせいただくと幸いです。

     さて、鉄道線の廃線で有名なのは、武庫川線です。現在も武庫川〜武庫川団地前間1.7キロが現役で活躍中である武庫川線ですが、もともとは現在の武庫川団地がある一帯に立地していた川西飛行機の工場に向けて、戦中の昭和18年に、武庫川〜洲先(現在の洲先とは異なり、現武庫川団地前付近にあった)間に線路が敷設されたのが始まりです。翌年には、武庫大橋まで北伸したうえに、さらに軍事的要請により、同年末に省線の甲子園口を経て西宮まで延伸し、貨物輸送も始まりました。阪神電車は1435ミリ軌間ですから、旅客列車の走った武庫大橋から洲先までは、3線軌条の線路となっていました。

     この跡については、JR甲子園口から阪神武庫川にかけて、いまだに路盤が残っているところが多く、楽しい散歩が楽しめます。特に、一般道路が跨ぐところなどに強い面影を感じることができます。

     阪神電鉄は、西大阪線の延伸が決定しました。平成21年予定の完成のあかつきには、なんばにて近鉄線と相互乗り入れし、近鉄奈良〜阪神三宮間に直通列車も走る計画です。これは、大阪市内ではJR東西線に次ぐ東西軸の貫通を意味するだけでなく、神戸方面から見てミナミはキタの向こう側にあるという、これまでの常識を覆すことにもなります。

     今は各駅停車のみが行き来する一支線となっている西大阪線も、大きく脱皮することになるわけで、関西私鉄の中でも路線長が短く、成長余地の乏しかった阪神電車にとって、大きな転機になるかと思われます。これからの阪神電車から、目が離せなくなりそうです。






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