有田鉄道跡はいま・・・
昨年大晦日限りで、ファンに惜しまれながら廃線となった和歌山県のミニ私鉄、有田鉄道(藤並〜金屋口5.6km)ですが、このほど近くを通ったときに、少しばかり立ち寄って現況を見てきましたので、ここにご報告します。
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急行型気動車が残る。レールバスの奥がホーム跡 |
結論から言うと、現役末期当時のままでありました。すなわち、草が生えるなど、当時から荒れていた線路は、少々雑草が増えたかなという程度でそのまま残り、踏切跡も、近傍の紀州鉄道西御坊〜日高川の廃止区間と同じ、英語表記入りの使用中止看板が掲げられた程度の変化だけで、基本的には撤去工事も未だ行われていません。
今回は時間がなかったので、田殿口、下津野、そして金屋口の各駅跡を見るにとどまったのですが、私が一番好きであった田殿口の駅跡は、ミカンの積み込みで賑わった雰囲気もそのままに、相変わらず静かに佇んでおりました。
また、主だったお客さんだった高校の最寄り駅、下津野も、プラットホームや駅舎がそのままだったほか、末期には使われていなかった腕木信号機が、藤波・金屋口方とも残っておりました。
そして、本社のある金屋口の駅跡も、これまた駅舎に掲げられていた駅名表記が撤去されている程度で、構内に目をやると、末期に所有・あるいは保存していた車両もほとんどそのまま残っておりました。日本最古の木造貨車こそ、9月にオープンする予定の貨物鉄道博物館(三重県大安町・三岐鉄道丹生川駅構内)にこのほど移送されましたが、そのほかはレールバスのみならず、検修庫の中には、富士急から譲渡された、両運転台式の急行型気動車までもがそのまま眠っておりました。
レールバスは、もしかしたら、例えば紀州鉄道にでも譲渡されるなど、使い道があるのかなあとなんとなく思っておりましたが、バス部品主体のレールバスは鉄道車両としては総じて傷みが早いためなのか、行き先はなかったのでしょうか・・・。
また、駅前のスーパーは土曜というのに人気が無く、閉店となったのかもしれません。あまりにもひっそりとした駅周辺が印象的でした。