

宮脇俊三さんを偲んで
皆さんもご存じのように、鉄道紀行作家の第一人者である宮脇俊三さんが、2月26日に76歳でご他界されました。宮脇さんの経歴や功績については、いまさら私からご紹介するまでもないので、ここでは私個人の宮脇さんの思い出を綴ろうと思います。
私が宮脇さんの作品に最初に接したのは、氏の処女作でありかつ出世作である、ご存じ「時刻表2万キロ」であったのですが、その出会いは一風変わっていました。というのも、それはNHKラジオの朗読だったのです。午後10時くらいでしたか、当時は小説などを朗読する番組があって、たまたまそれを聞いた私はラジオに釘付けになってしまい、番組の存在に気づいてからは、毎回楽しみにラジオの前で耳を澄まして聞き入っていました。宮脇氏の原文の魅力に、朗読する方のテクニックが加わって、特に花輪線荒屋新町付近のくだりでハラハラしたことや、足尾線間藤でのあっけない完乗達成、それに続く皆の祝福の宴会のくだりで少し切なくなったのは、今でも忘れることはできません。
多くの鉄道関連の著作物が、その通り一遍の表現やマニアックな専門用語によって、えてして鉄道ファンのみにしか支持されていないなか、宮脇さんの作品が、ひろく一般の人に受け入れられていたのは、ユーモア溢れる文体や、表現力豊かな風景描写・心理描写が、読者を惹きつけたからに他なりません。
私もHPの開設時から、文章は鉄道好きの人以外にも訴求力を持つものにしたいと思っていて、こういうのも恥ずかしいですが、実は宮脇さんのような文章を綴りたいと思ってやってきました。もっとも、宮脇さんのような紀行文を書いたところで、皆様に共感していただけるほどの力量を持っていないため、一人称の文体を避けてはいますが・・・。まだまだ未熟というレベルにさえ達していませんが、これからも宮脇さんのような生きた文章を目指し、また内容もより実のあるようにしていきたいと思います。
「時刻表2万キロ」に関連した話では、先ほども触れた、氏が昭和52年5月に国鉄全線を完乗した駅である、旧足尾線(現わたらせ渓谷鐵道)間藤駅には、氏を偲んでこのたび訪問記念ノートが置かれたそうです。
宮脇さんは天国でも相変わらず旅を楽しんでおられるのでしょう。謹んでご冥福をお祈りいたします。