碓氷峠越え廃線に寄せて---アプト式鉄道考




     信越本線横川〜軽井沢間が来月の北陸新幹線長野開通により、廃線となるということで、一世紀以上に渡る碓氷越えの歴史も新たな次元に移ろうとしています。この信越線の碓氷越えの歴史は、急勾配との格闘の歴史であり、明治26年の開通以来昭和38年まではアプト式鉄道でこの峠越えを行ってきました。このアプト式とは、車両側に設けた歯車と地上側に取り付けられた鋸状の第三レール(ラックレール)が噛み合うことによって、急勾配を登ったり降りたりする方式のことで、日本では最近大井川鉄道井川線に利用されているのを除けば、この碓氷峠にしかなかった方式です。

     私はこの碓氷越えのアプト時代に使っていた旧線が、日本の中で歴史的にも一番重みがあり、訪れる価値のある廃線跡だと思っています。このアプト式時代を中心とした碓氷越えの歴史は、事故の歴史と行っても過言でないほど壮絶なものがあります。話はそれますが、私が中学生時代に夏休みの宿題で市主催の読書感想文コンクールに参加しなければならなかったとき、文才のない私は原稿用紙の枚数を稼ぐために「碓氷線物語」という本の感想文として、あらすじばかり要約して提出したところ、それがかえってよかったようで、なんと入選になってしまった思い出があります。送られてきた講評を読むと、碓氷越えの歴史は大変なものがある云々と書いてあって、審査員の先生まで列車逆行事故や熊の平の崖崩れ惨事などの歴史に胸を打たれたようでした。

     さて、このアプト式は輸送量の制約が多いことと、保守の大変さから、昭和38年に変更され、現在の峠越え専用に強化された電気機関車による粘着運転(簡単にいえば普通の鉄道)になりました。そのため、現在日本では平成2年に登場した大井川鉄道井川線以外にアプト式鉄道に乗るチャンスはありません。ところが、私が3年前に旅行でマッターホルンの麓の街として有名なスイスのツェルマットを訪れたときに、図らずもアプト式の鉄道に乗車する事になりました。その時の話を少し・・・


     スイスという国は山岳国であるがために、あちらこちらにアプト式をはじめとするラック・アンド・ピニオン方式の鉄道が張り巡らされていて、2本の通常のレールの間にラックレールがあることは全く珍しいことではありません。私はイタリア側からシンプロントンネルを越えてブリークに入り、ここからBVZ(ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道)で、ツェルマットを目指しました。

    ブリーク〜ツェルマット間のBVZ、右はラックレール。


     なぜか日本の富士急行と姉妹鉄道の縁組をしているこの鉄道は、フィスプから谷に分け入って登りにかかり、終点までに計5カ所のラックレール区間があります。その直前では列車は最徐行し、先頭の機関車から「ガチャン」と大きい音が峡谷に響き、それがだんだんと私たちの乗っている客車に近づき、ついに私たちの車両も大きな音と心地よい振動と共に、ラックレールを噛み始めます(下りのブレーキのためにか、無動力の客車にも歯車がついている)。そして、列車は普段私たちが鉄道に乗っている常識から考えられないほどの坂をぐんぐんと力強く登り始め、先ほどまですぐ横にあった川床がみるみる遥か下方に離れていくのです。

     翌日には、ツェルマットからゴルナーグラートまでのGGB(ゴルナーグラート鉄道)に乗車しました。この鉄道は全長が9キロ余りしかないのに、始発から終点までの標高差がなんと1485メートルもあり、そのためこちらは全線にわたってラックレールが敷かれています。アプト式であるうえに、観光鉄道も兼ねているためか、運転席のスピードメーターには時速18キロまでしか刻まれていないほどゆっくり進みますが、歩みは力強く、どんどんと標高を上げていき、40分余りでゴルナーグラートに到着しました。

    ツェルマット〜ゴルナーグラート間のGGB、複線区間が多い。右の山はマッターホルン。


     この鉄道の驚くところは、私たちが訪れたのが冬場だったこともあり、完全にスキー客のリフト代わりに使われていたことです。私はこの鉄道の経営内容など知る由もありませんが、こういう観光鉄道でありながら運賃も高くなく、列車は綺麗で手入れが行き届いているのは、このスキー客輸送が大きいように思いました。まあ、それはともかくとして、この鉄道も私にアプト式の威力を実感させてくれました。

     このアプト式鉄道の感覚は文章ではうまく言い表すことができませんが、とにかく「力強く、なかなかのもの」であった事は間違いありません。碓氷越えで現にそうだったように、輸送量のネックになり、手入れも大変ですが、現在の日本の多くの線区のように貨物輸送がなければそれほど輸送量的には問題ないし、何しろ粘着運転に比べて最短距離で線路を敷設できる利点があります。大井川鉄道井川線に限らず、このアプト式鉄道の良さが再認識されても良いのではないかと感じるし、現に上高地なんかはシーズン時の車の大渋滞を見ると、このツェルマット周辺のように一般車乗り入れ禁止にしてアプト式鉄道を敷くのが環境にも良いと思います。

     碓氷峠越えの現在線の命もあと1ヶ月を切りました。この夏休み中のフィーバーは大変だったそうで、特に横川駅では鉄道マニアによるトラブルも少なくなかったと聞いていますが、現在線が無事使命を終えるように祈ってやみません。それとともに、地元の松井田町等によるアプト式時代を中心とする旧線跡の保存が、適切な形でなされることを願っています。私は熊の平から軽井沢方の一部しか旧線跡を訪問したことはありませんが、いつか静かになった碓氷峠をじっくりと訪れてみたいと思います。


    <このような長い駄文におつき合いいただき、ありがとうございました>  




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