愛宕山鉄道




 京都に来られて嵐山付近から清滝付近に足を延ばそうとしたときに、清滝手前に道路トンネルとしては狭い交互通行のトンネルがあるのをご存じの方も多いだろう。このトンネルを見て、「クサイ」と感じたアナタは鋭い。これは戦時中に廃止となった愛宕山鉄道のトンネルそのものなのである。

 この鉄道は主に愛宕山山頂の愛宕神社付近への観光目的のため、嵐山(現京福嵐山)から清滝までを普通の鉄道として、さらに清滝の少し先の清滝川から山頂の愛宕にむけては鋼索鉄道(ケーブルカー)として、昭和4年に開通したものである。なんと嵐山からトンネルの手前までは複線の鉄道だったという。しかし第2次大戦中に不要不急の鉄道の烙印を押されて、まず複線部分の単線分のレールがはがされ、さらに残るすべてのレールも撤去されて、戦後も復活することはなかった。

 現在廃線跡はほとんどが道路(通称清滝道)と化している。複線の線路跡は道路とするにはもってこいの幅であるので、山陰線のオーバークロスに至るまで道路のルートは愛宕山鉄道跡そのままである。山陰線をオーバークロスしていた鉄橋の橋台は廃止後かなりの間放置されていたというが、道路の高架橋が完成した昭和45年までに築堤を含めて完全になくなってしまった。

 さて廃線跡の清滝道は、何も残っていない釈迦堂駅跡を過ぎると、上り勾配を続けながら山あいに入っていくようになる。切取部の石垣はおそらく鉄道当時のものであろうが、そのほかは跡はほとんど見あたらない。最大の痕跡は前述の清滝トンネルで、試峠を越える道の改修により清滝口は延長されてオリジナルのトンネルポータルは隠れてしまっているが、嵐山口は今なお鉄道時代そのままである。

清滝トンネルはそのまま道路トンネルとなっている(嵐山口)

 そしてトンネルを越えて京都バスの清滝バス停の転回場があるが、このすぐ手前の駐車場のあたりが清滝駅跡である。この駅も戦後50年を経過した今となっては跡は残っていないが、駐車場の端の土止めには愛宕山鉄道のものとは断定できないものの、枕木が使われている。

 鋼索鉄道のほうは全く市街地とは離れているので今なお痕跡が残っているが、今はかなり自然に還ってきているので、探索は困難を極めるようである。






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