古くから、鉄道は砂利とは縁が深かった。線路にバラストが使われているからという単純な理由からだけでなく、そのもの自体はただ同然(半ば勝手に採取していた?)であるわりには重量があるために、コストの大半を運搬費が占めるという砂利の輸送に、鉄道が適していたからである。

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架線が残る線路敷にまた夜が訪れる。 列車が走らなくなって何十年も不変の風景 |
そのため、各地に砂利採り用の小支線が敷かれた。特に首都圏では、上質の玉石が採れた多摩川沿いがメッカで、上流は旧五日市鉄道〜国鉄青梅線の河辺より分岐したものから、下流域では東急東横線の新丸子付近より分岐したものに至るまで、国鉄や私鉄、さらには東京市財務局までもが、競うように砂利採り支線を延ばしていた。ちなみに、今回取りあげた西武鉄道でも、多摩川の砂利採り線をルーツとする多摩川線が存在する。
さて、この安比奈線についてであるが、砂利採りのメッカ・多摩川でなく、荒川水系の入間川の砂利採取のために、(旧)西武鉄道の手によって敷設された貨物専用の支線である。開通した大正14年というのは、関東大震災(大正12年)の直後の復興期にあたり、コンクリート建築の増加によって、砂利需要が飛躍的に増大していた時期と重なる。
戦後の昭和24年には電化されたが、やがて時代の趨勢が変化し、川床低下や資源枯渇、あるいは自然保護や水害対策を理由に、各地の河川の砂利採取が禁じられるようになった。入間川についても例外ではなく、砂利採取ができなくなっために不要となった安比奈線は、昭和42年に休止された。
その後、全国の私鉄のなかでも有数の保有数を誇った西武鉄道の、貨車の留置に使われた時期もあったが、それらも撤去され、現在も休止扱いのまま放置されている路線である。
西武新宿線南大塚駅の新宿方で本線と分岐し、下り線のプラットホームの裏側に顔を出す安比奈線の線路は、南大塚駅の構内では保線車両の留置のために使われている。
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南大塚駅から分岐する線路。 荒れてはいるが、現役線のよう |
そして、構内の端でその線路上に簡易な車止めが置かれているのを過ぎると、レールや架線は残っているものの、近年列車が通ったような形跡のまったく見られない、あたかも廃線跡のような情景が展開する。
あたりは駅近辺の、ごく一般的な市街地になっているために、頻繁に登場する踏切では、警報機や遮断機が撤去されているどころか、レールもアスファルトに埋まっているところもあるほどである。休止というよりは限りなく廃止線に見える安比奈線は、住宅街の裏手のようなところを左へカーブしていく。
線路敷内は、立入禁止の札が建っていて、はじめは私もそれに従っていたのだが、各地に点在する廃線跡を活用した歩行者専用道路よりもよっぽど多くの人々が、日常的に通行や犬の散歩に使用しているので、こちらも遠慮なく廃線敷に立ち入らせていただくこととする。
この左カーブが終わらないうちに、片側2車線の幹線道路にぶちあたる(A地点)。
これは国道16号線で、クルマの通行量が非常に多いため、大型車の通行保安上、当面は必要ない架線など撤去してしまった方が望ましいように思えるが、通常2本並行している架線の上の方にあたるちょう架線と、下の架線が絡まったような、とてもそのままでは使えない傷んだ架線が、道幅の広い幹線国道の上を堂々と横切っているのには驚かされる。
そして、この踏切を過ぎたあたりから、架線はちょう架線と思われる1本だけに減じる。線路は規則正しく並ぶ架線柱に導かれるようにして、住宅街の中を、ひたすら真っ直ぐに入間川を目指して伸びる。
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B地点の橋梁跡から先を望む。 ここからは、長閑な田園風景が広がる |
人が通る幅だけ空けているかのように雑草が生い茂る線路敷では、レールこそ辛うじて二本並行しているものの、枕木は朽ちたのか、かなり抜けてしまっている。
万が一、この路線が復活するようなことがあっても、架線だけではなく、線路も枕木も全部敷設し直さなければ、到底列車を通すことはできなさそうである。
そんな、順調に進んだ廃線跡歩きも、行く手に黄色い柵が立ちはだかって、一旦停止を余儀なくされる(B地点)。ここは、小さな川を渡る橋梁があるところになるが、橋梁の手前を横切っている道路を、向かって右側方向に回り込むように迂回すると、小さい橋梁と連続するように架かっている少し長い橋梁の脇のあたり(C地点)に、難なく出ることができる。
そして、このあたりからは、それまでと一転して、もう何十年も変わっていないのではないかと思うような田園地帯の中を、こんもりした築堤や小さな橋梁などを随所に見せながら、趣も豊かに進んでいくようになる。首都圏近郊とは思えない、こんなのどかな風景の中を、小さな古い電気機関車に牽かれた砂利取り列車が走っていた頃は、とても絵になっていたであろうと思う。
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